車を大切にする男は女も大切にする(笑)?
RCサクセションの「雨上がりの夜空に」という歌は女性を車に準えているよね。
「こんな夜にお前に乗れないなんて!こんな夜に発車できないなんて~」
時代を投影した歌詞で「さすが忌野清志郎さん」と思うのさ。
私もギリその世代だからわかるのであるが、
女もモテたいから
「運転免許を取得して」
女にモテたいから
「新車を購入した」
しかも当時ナンパ車であったシルビアをすぐさま事故で潰すとプレリュードを購入すると言った具合にとにかく「やりたい」から車を購入したのだ。
そういう意味では同世代で今をもって「車好き」というヤツは全てとは言わないまでも私と同じような不埒な理由で車を買ったに過ぎないと思うのだ。
それが興じてしまって、いや致し方なく「車好き」になった輩も多いだろうね。
それはさておき、そんな風潮にごまかされた女もいるんだよね。
「車を大切にする男は女も大切にする」と。
その観点からすると「車は走ればいい」とか「居住性が重要」という観点で車を選ぶ私はたいそう酷い男ということになる。
ましてや、若い時に外車5台(イタ車、アメ車、ドイツ車×3)を乗り回したとなれば単なるパツ金好きに過ぎないということになる。
しかし、その頃は女性とのお付き合いもポツリポツリだった(笑)から、車が全てとは思えないんだよね。
でも当たり前だが、お付き合いした女性は丁寧に扱ってきた。それは私のブログを読んできた方ならおわかり頂けるかな?
だから擬人化なんてできないのである。
それに左右されるのはアホだと思うね。
いくら趣味に没頭していても彼女さんには勝らないのである。
セックスにも勝るのが彼女さんだね。
というノロケ(笑)
交際女性へのプレゼント
以前にも書いたが、女性とのデート代はいつも基本は私持ちである。
違うのは我が誕生日とバレンタインデーくらいかな?
それとたまにであるが、プレゼントもする。
セフレさんには誕生日、クリスマス、ホワイトデーくらいのものであるが、彼女さんには「似合うかな?」と思った衣服やジュエリーやバッグを不定期にプレゼントすることがある。
あとはテレビで見ていて「これいいよね」なんて言っていた美容用品や家電や文具なんかも渡したことがある。
これらについては「いつまでも美しくいてね」という意味であり、例えば家電と言ってもまさか扇風機を買うことはなく(笑)、スムージーが作れる機械(何て言うんだ?)だったり、文具であれば手に似合うボールペンであったりする。
女性には言わないが「きれいでいてくれるもの」「使ってもらえそうなもの」という自分なりのストーリーあってのものであるのだ。
明らかに高いものについては「引かれる」ので、それがわかりそうなブランド物などは極力避けるようにしている。
特に被服類やジュエリーについては普段から女性が身につけているものを良く見ていて(それとなくね)、趣味に合う身につけてもらえそうなものを選ぶ。これがなかなか難しいながらもすごく楽しい。
まぁ、言わば道楽みたいなものだね。
彼女さんに不定期にプレゼントをするのは「もらったものを身につけていかないと」というプレッシャーを与えないため、と言うこともある。
普段使いしてくれたらいいんだよね。
古くなったり飽きたら捨ててくれたりすればいいと思っている。
付き合いが長くなれば時代にも合わなくなるしね。
だから懐の許す限り数多く渡すことも必要かな?なんて思うんだよね。
ちょっと困るのはセフレさんへのプレゼント。
比較されるんだよね、彼氏さんと。
「貴方のプレゼントの方が良かった」
「彼はくれないけど、貴方はくれた」
何度か書いているが奪うつもりはないし、だからこそメインになりたくはないんだよね。
私にも彼女さんがいるわけだから。
いつも私のセックスに付き合ってくれていることの「対価」としてプレゼントをしているだけで、それは彼女さんにプレゼントするのと理由が違うんだよね。
あまりセフレさんの比較の言葉は気にしないようにしているけどね、最近は。
ラブホテルの忘れ物
出会い系サイトで出会うことを約束してデートをすることになるとやはり心は踊る。
お相手も初対面はそうであって欲しいと思うし、だいたいがそうであったのであろうな、と思うのはそこそこ着飾ってくることが多いことからもそれが窺える。
それは男である私も多少はおしゃれをして行こうと思うのであるから女性なら当たり前かもしれないね。
途中から初デートの時には「カジュアルで来てね」とメールするようにしているが、それでも身綺麗にしてくるのは当たり前だと思うのだ。
何回か出会いを重ねてもそれは「特別な日」であることには間違いないのであろう。それが不倫=非日常というものであるのだから。それがなくなったら面白くはない。
ある女性と交際している時のこと、もう数回は出会いを繰り返していた。
お互いの距離が遠かったこともあり、あまり会うことができない状態にあった。
こうなるとデート=セックスということになる傾向になるのは否めない。
いつものようにラブホに入ると当然求め合うことになる。
この時は妙に私が興奮していたのであると思う。
シャワーをする前にお相手の服を脱がせてベッドに突入してしまったのだと記憶している。
お相手も私と交わることを望んでいて、やや乱暴にされても素直に身体を開いた。
一度で終わろうはずもない。
お昼ご飯を挟んで何度も身体を重ねたのであった。
あっという間に時間は過ぎる。
もう帰らないと…という時間になったのであった。
何せ女性には小さなお子さんがいたし、ホテルから家は遠かった。
そそくさと身支度をしてホテルを後にした。
もう女性の家のある町に近いところまで行った時のことである。
「あ~!」
と突然女性が声を上げたのであった。
ピアスをホテルに忘れてきた、というのだ。
何度か情交を重ねるうちに外したらしい。
私はすぐにホテルに電話をして存在を確認し、フロントでキープしてもらうように依頼した。
そのホテルは私の住む町からも高速を使って一時間ほどかかるところであった。
私は仕事を抜け出して、その「忘れ物」を取りに行った。まさか送ってはくれないだろうし、ホテルからいずれかの家に送られても困る(笑)
ホテルの方には御礼を言って受け取った。
当時、あまりアクセサリーに詳しくない私でもそれは高価なものではないことはわかった。
しかし、「同じようなもの買ってあげるのに」などという無粋なことを言ってはならない。
それは思い出の品であり、だからこそ私との出会いの場に身につけてきたのであろうから。
配偶者からもらったものをつけてきて、背徳を楽しんでいたのかもしれない。だから忘れて慌てたのかもしれない。私がいち早く受け取りに走り、偽名で彼女の家に送ったのも何らかの事情があるのではないか?と想像したためだ。
ただひとつ言えるのは普段あまりピアスをつける機会がなかったのかもしれないね。
そして、やはりあまり乱暴なプロセスはいけないと反省したのであった。
先生を生業とする女3
それは彼女の会話から愚痴を引き出すことにあった。
愚痴や相談といったようなものが引き出せれば、いよいよ出会えるチャンスはあると思ったのだ。
「モンスターペアレント」なんて言葉を混ぜてみたのもそうしたものを引き出すためであった。
案の定、それに乗ってきた。
「そうなの。結構口うるさい親が多くて」
「どんな親御さんなのですか?」
「男の子のお母さんがうるさいの。足をすりむいたとか悪口を言われた、とか」
いい感じになってきた。メールを続けた。
「うーん、子供なら一定あるようなことだと思いますが。」
「そうでしょう?何でも学校のせいにするのよ」
「お父さんは言ってこないのですね。貴女の美しさにやられてしまって言えないのでしょうね。お父さんに口説かれたり…なんてないのですか?」
ここで男女のことを織り交ぜてみた。
「あるわ。あるけど、さすがに…(笑)」
「それはそうですよね。」
女教師と父兄の不倫という話は世間では聞かないわけではない。しかし、そんなことが本当に口説こうとする父兄なんているのかな?と思った。
しかし、あくまで職業欄が正確に書かれていることを前提に言えば、先生を生業にしている女性が出会い系サイトに登録していることは多い。
一般企業であれば社内不倫であっても「個人的なこと」として表面的にはお咎めなし、ということについては以前書いたが、先生は教育的な立場にいるから不倫の発覚は仕事上でも不味であろう。
にも拘わらずサイトで相手を探しているのは同僚や父兄から「女」として見られることを意識する状況にあるからなのかもしれない。
勝手な妄想であるが、「それならば」と思って攻勢に出ようと思った。
しかし、そんなことをせずとも彼女の方から申し出がきたのであった。
つづく
香水の類をしている女
私は酒も飲み、タバコも吸うと言った嗜好品に溢れた?生活をしているわりには匂いに敏感だ。
本当に気をつけなければいけないと思うのは他人の匂いに敏感なだけに自らが放っているものは注意しないといけないと思っている。
しかし、その一方でこの匂いというものには寛容にならないといけないとも思うのだ。
清潔さに欠けるために体臭があるのはもっての外であるが、人それぞれ一定の「何か」はあると思っておかないといけないと思っている。
日本人だからこそそのあたりに敏感になりすぎる訳で国際基準からすればちょうど「出汁が効いてる」くらいのところかと思っている。
ただそれ以上に気になるのは香水の類をつけているケースだね。あれは頂けない。
昔よりは良くはなったと思う。
エレベーターにプアゾンなんぞをふりかけた女が乗ってきた日にはそれこそ中毒死するのではないか?と思ったことがあったが、さすがに最近はそういう目に遭うこともめったにない。
不倫をしていて気になるのはやはり香水の類だ。
セックスをする時にはシャワーくらい浴びるからいいとしても前戯というのは何もベッドに入ってから始まるものでもない。
遅くとも個室に入った時には始まっていようものだ。
しかし、服のまま触れ合った時に女性の匂いがついてしまったりするのはある意味体臭よりも質が良くない。
恐らく「良かれ」と思って香水の類をつけているのであろうが残念ながら相手のことを考えていないと言わざるを得ないね。
少し考えればわかりそうなものだけど、ね。
ベンツに乗る女~その1
女性が不倫に走る原因は夫にある。
普通は女性が奔放で、夫に満足できずに男に走るというケースはない。
そんなエロ小説の主人公として出てきそうな女性がいたら一戦交えてみたいが、今までも事情を聞かなかったこともあるが恐らくはほとんどいないのではないか?と想像する。
確かに思い起こせばセックスに奔放的な女性はいた。しかし、だからといってイコール女性に原因があるという訳ではないだろうと思っている。
この女性に於いても本当の理由はよくわからないのであるが、言葉の端々から配偶者に特段の原因はなかったと思えるフシがあるのだ。
その頃、私は前カノと別れて、やや自暴自棄になっていた。自暴自棄になっていたと言っても勿論それを表に出すこともなかったが、明らかに酒量が増えていた。
あまりいい傾向にはないことは明らかであった。
「女」という存在なくしてはやはりバランスが取れないのかな?と思った。
「もういいかな?」と思っていたけどダメであった。
これで風俗やワリキリ女に走れれば良いのであるが、どんな生活をしているかもわからない女とセックスはしたくない。
私はしばらく放置していたサイトにまた執心することとなる。
それは私の中では「出会えない系」と位置づけていたサイトであったが、過去に登録した時のポイントがかなりたまっていたので、これでサーチしてみることにしたのだ。
最近登録したとみえるがしばらくアクセスしていない女性に目が行った。
私よりも5つ年上。職業欄には会社経営、自営業とあった。
会社経営と言ってもどのレベルにあるかは知れないが、今までそうした女性に行くことがなかったのでアプローチしてみることにした。
「ヒモ気取りになれたりしてな」
自らの容姿を顧みずに、そんなことを思った。
妄想するだけならタダなのだ(笑)
つづく
ややぽっちゃりの範囲
サイトの検索で「体型」というのがある。
スレンダー、ややスレンダー、普通、グラマー、ややぽっちゃり、ぽっちゃり…のようなカテゴリーに別れるのである。
私はまだ二度しか出会っていない「彼女さん」を探す時にはスレンダー~普通という範囲で探した。
そして二人とも「普通」ということであったが、会ってみて更には抱いてみると「ややスレンダー」くらいでいいのではないかな?と思うのである。
二人とも美への意識が高いために自己評価は厳しい(今の彼女さんは内面にも厳しい)からこそ「普通」となるのであろう。自己評価は人それぞれだから致し方あるまい。
そう、私はどちらかというとスレンダーな女性が好きなのである。
しかし、スレンダー~普通でないとダメか?と言われるとそうでもない。
今のセフレさんはやはり自己評価としては「普通」とのことであったが、ちょっとお腹はぽっこりしている。
これは巨乳でもある(私は巨乳はあまり好みではない)ことから致し方ない部分ではあると思う。脂肪がつきやすいということなんだね。
もっと言えば去年の夏くらいかな?数回セックスをした女性がいたけど、明らかに私よりも体重があったとのだがそれでも男性機能は普通に働いたのであった。
セフレということになればセックスだけに留まらなくなるのが普通だが、お付き合いするのなら体型はあまり関係ないのである。
サイトの検索ということに話を戻すと私の年齢プラスマイナス10歳で「普通」までで検索してしまうとターゲットは限られるのである。
これが「ややぽっちゃり」にまで範囲を広げると一気に対象は広がる。
しかし、この「ややぽっちゃり」の自己評価こそがかなり広いのだね。
例えば身長160cmで体重56kgでも「ややぽっちゃり」でもあるが62kgでも「ややぽっちゃり」であったりする。
一般的には(身長-100cm)×0.9が理想体重というが私と同世代の女性にそれ以下が「普通」というのは酷だと思う。
持論でしかないのであるが理想体重プラス5%は「普通」、プラス10%までが「ややぽっちゃり」なんじゃないかな?と思う。
150cm53kgや160cm64kgで「ややぽっちゃり」はないんじゃないのかな?と思うのである。
私も夏に向けてダイエットを開始した。
薄着になっても彼女さんやセフレさんの隣にいても恥ずかしくないためにね。
このブログを見ている「ややぽっちゃり」「ぽっちゃり」の既婚女性の中で「恋をしたい」と思う方がいるならダイエットをしてみようよ。
少し自分に自信が持てると思う。
そして、私のようなつまらない男に引っ掛からないためにもね。
恋愛ということに関しては女性は「売り手市場」
それは間違いない。
ならばもっと上を目指したらいい。
迎合してつまらないところにいかない方がいいな。
見た目で差別されるのは一番つまらない。
しかも体重とか、コントロール可能なところなら尚更だよね。
一緒にダイエットしましょうか?
夏を目指して!!
女だってセックスしたい
…そうなのである。
正直なところ、この感覚はよくはわからなかった。
ここにも書いているのだが、若い頃に年上の女性とお付き合いをして、セックスをしまくっていた時期があった。
恐らく彼女はセックスが好きだったと思うのであるが、求めていたのは私の方で彼女から求められたことはあまりなかったような気がするのだ。
若い頃にお付き合いした彼女以外の同世代の女性については奥手だったのか?あまり求められるということもなく、やはり私の方から行っていた感はある。
不倫ということをするようになって、確かにセックスを目的にお付き合いをした(または一夜限りをした)ことは何度かあったものの、果たしてそれがセックスという行為を求めていたものであるのか?女性であることを男性に認められたいがゆえの象徴としてのものであるのかはやや疑問であったのである。
私が「女性もセックスしたい時があるんだな」と思ったのは前カノさんとのお付き合いの時である。
年に何回もなかったが「どうしてもしたい」と朝からメールが来て、仕事をやりくりして、昼間からラブホに行くことがあった。
この時はすでに前カノさんの身体を知り尽くしていて、「身体さえも支配されている」と言っていたくらいなので、そうあって当然だったのかもしれない。
ただこの時に初めて「女性もセックスしたいことがあるんだな」と思ったわけだ。
その後、何人かセフレを作った時にはそれを確信できたのであった。今のセフレさんもそうなのであるが女性から「セックスしたい」との申し出を受けて私はデートをするからだ。
「女だってセックスしたい」と言いながらも気をつけないといけないのは、ほとんどの場合がステディという対象がいて初めてそうした気分になるということである。
男性のようにセックスがしたいから女性をサイトで探す、ということはまずないと思っていいということなんだと思う。
まずは自らがセックスをしてみたい対象となるかどうかということが重要なのだということだね。
ここにも書いている通り、会ったその日にセックスに至った女性は何人かいる。
しかし、それに至るにはそれなりにサイトでやり取りをしているということ。
いきなり「セックスしようよ」なんてことはないんだよね。
北海道の男は貴方のように働かない。
この言葉はお付き合いをした何人かの女性に言われたものである。
地方銀行(というと2つに絞られるが…)にお勤めの方の奥さんにも言われたので間違いはないと思う。
確かに地場の取引先の方々と比較すると私の方が遥かに働いているような気がするのである。
それは収入というレベルに反映してくるのであるが、私の場合は営業という職種なだけに人と会う数がまるで違うということになる。無論、話題もそれだけ豊富になろうというものである。
まともな女性であるならば、仕事ができる男に引かれる。しかし、その一方で自らとのデートの時間が取れないことを嘆くのである。
私がこの言葉を言われたのは正に後者であり、少々嫌みめいて言われたものであるだろう。まさに行員の妻から言われたのは、その意味合いが強いのではないだろうか。
不倫をしている(できている)ということを他に置いて、自らの黒歴史を紐解けば子供の頃から勉学に勤しみ、まあまあの学歴を得て、ただ中途半端にしか資格も取れなかったからサラリーマンになった。
ただプライドという名の下、世間で知れた会社に入社をして、これまたプライドという名の下、そこそこ昇格なんぞをする。
当たり前の話かもしれないのであるが、嫌が応にも労働時間は増えて、その対価を得るという苦労を自らに強いてきたのであった。
そして、その結果が不倫を楽しむオッサンという世間から見れば、何ともつまらない男ということになる。
しかし、自らの中では果たしてそうなのかな?と思うのだ。
最初は勿論、親に敷いてもらったレールの上を走ったが、その結果は意外と茨の道であり、楽なことなどなかったわけである。
これで会社という中での出世争いに勝つ、負けるということに人生の全てを費やしてしまったら自らが浮かばれない気がするのだ。
いろいろな人生の楽しみ方があると思うが、やはり一生の中で異性と交わる機会を持ちたいと考えるのは自然ではないだろうか?
立場からすると法(民法)に反しているんだけどね。
女性たちが自らの配偶者など身近な異性と比較して私の方が「働いている」とする。
結構なことだと思うし、当たり前だとも思う。
私からするといよいよ世間の尺度からして、私が女性から認められる時期がやってきたと思うのである。
やっとバカができるようになった、とも言えるが。
もう少し楽しみたいと思うね。
若き頃の不倫の追憶16~「旅行」
はっきり言うともうグダグダな関係になっていた。
別に悪い意味ではない。男女の関係においてはかなり親密になっていったということである。お互いの立場も考えずに。それがグダグダという意味である。
「いけない関係」という興奮するワードを楽しむ時期はやがて失われる。その時に「本気かどうか?」がそれ以降の二人の関係を継続させるかどうかに繋がるもの、ということなのである。
そういう意味では本気であったのは私だけでなく、大人であったはずの彼女もそうであった。
ラブホに行くということだけではない二人の時間の過ごし方はやがて旅行に行こうということになる。
自然な流れだ。もはや彼女もそうした時間を確保できるだけのものを生活の中で得ていた。一年前にはよもやそんなことをすることを想像もしなかったであろうし、だから時間を作ろうとさえしなかったものと思う。
要するにガードが硬い、緩いは別にして、今までにない時間は作ろうと思えば作れるということなのである。そうした時間があることさえ、想像にだしない時にはただ「作れない」という想像に駈られるものである。
私は彼女を伊豆という地域に誘(いざな)った。
そこは小さい時から家族旅行に行っていた場所であり、それが興じて父が別荘を持ったところでもあった。
更に言えば、彼女とお付き合いをするきっかけとなった女性との最後の地も伊豆というところであった。ここからその女性を海外に送り出した。
そんな土地に彼女を連れていくのは甚だデリカシーのない話であるのかもしれないが、一方でそこしかレパートリーがないという現実もあったのだね。
とにかく伊豆に行った。
半島の先端に近い下田というところであった。
思い出の地であった。
最初は確かプリンスホテルに行ったと記憶している。
しかし、いつの間にか伊豆急下田駅の近くのビジネスホテルになっていた。
それくらい頻繁になっていたということだね。
2階の角部屋は私たちのお気に入りであった。
ちょっと広かったんだよね。
着くととにかくセックスをしていた。
勿論、観光や釣りをしたこともあったが、メインはセックスであった。
ビジネスホテルであったから彼女のあえぎ声はフロアに響いていただろう。
いつだったろうか?ファミリーレストランでモーニングを食べていたら会社の同期に出会った。
無論、向こうは年相応の彼女を連れていたけどね(笑)
同期の中でも「真面目」と受け取られていた私が「熟女」を連れている姿を見て、かなり驚いていたことを覚えている。
この歳になっても彼女さんと旅行には行きたいな、と思う。
そして現に行ったこともある。
前カノとも行ったな。
道内が中心であった。
網走、旭川、函館、帯広、富良野、ニセコ…その後仕事で行くと思い起こされる。
別れというものは辛いが良き思い出というものはいつまでも心に残る。
今の彼女さんともたくさんの思い出を作りたい。
刹那的に言っているわけではないよ。
つづく
夫がEDで~その8
私は彼女に聞いた。
「なぜサイトでセックスする相手を探しているの?」
彼女は少し答えにくそうにしていたが、私の目を見つめると話し始めた。
「5年前から夫がEDで夜の営みがなくなったんです。私たち夫婦は子供はいませんが仲の良い夫婦でしたから、ずっと夜の営みも続けていきたいと思って治療をして欲しいと頼みました。でも夫は年齢的なこともあって治療にいかなかったんです」
「だから外に求めたの?」
私は髪を撫で続けながら聞いた。
「違うの。それは仕方ないこととあきらめたわ。セックスがなくても、と思って、夜一緒に寝ることはしたし、夫もしばらくは口や指で愛撫してくれていたからそれで満足していた。でも、それもなくなったの」
「旦那さんは快楽を与えることだけでは不満に思ってしまったのかな?」
「そう思っていた。でも」
「でも?」
「私は運転免許がないから夫の車の中もめったに見ないんだけど、なんとなくトランクを開けてしまったの。そうしたらゴルフ用具の下にバッグがあって。バイアグラと複数の大人のおもちゃが入っていたの」
「外で楽しんでいたってわけ?問い詰めてみなかったの?」
「しなかったわ。目には目を、じゃないけど。私も行動に出るしかないと思ったの」
「裏切られた気分?」
「確かにそれもあるけど、むしろ私はまだ女として見られるのかどうか…って」
私は彼女の口に自らの口を寄せるとねっとりとしたキスをした。
彼女の口からは興奮した吐息だけでなく声までもが漏れていた。そして「離さないで」とばかりに私の首に手を回してきたのであった。
私はそれに応えるかのように彼女を強く抱きしめ、
彼女の口の中で激しく舌を動かしたのであった。
長いディープキスを終えると彼女は言った。
「もう私、がまんできない。車の中からずっと濡れていて…」
「シャワーしてきなよ」
「は、はい」
彼女は素直にバスルームに消えて行った。
すぐにベッドに入っても良かったのであるが、私には業務連絡があった。重要な。
今の雰囲気を考えれば一度シャワーで洗い流したところで同じようにぐっしょりと濡れるであろう。
「一件目のお客さんのところに入るね」
ステディにメールを入れた。
これで一時間半くらいはバスルームに消えて行った女性とのセックスを楽しめる。
つづく
きっとうるさいことを言い過ぎているのであろう。
セフレさんとその彼氏さんの関係がよろしくないらしい。
セフレさんの一方的な話を聞いているだけなので何とも言えないのであるが、あまりに放置プレーが多いとのことなのである。
彼氏さんは現在独身。バツ2で土日は休み、セフレさんと隣町らしいのであるが、会えない日々が続いているという。
その状況からして私が思うところがあるのだが、それをセフレさんに明言したところで仕方ないのでそのままにして、セフレさんの愚痴を聞くに留めている。
セフレさんとは本当に身体の相性が良くて、それだからこそセフレであるわけだが、それ以上の関係にならないかな?と思うのは過干渉なところがあるのである。
それは彼氏さんにすべきところを「相手にされない」ところがあって私に来ている部分があると思うのであるが、要するに「ウザい」と思うことがあるのだ。
私がセフレさんとお付き合いをするにあたっての前提条件があった。
「◯◯だけど大丈夫?」みたいな。
それを含んでお付き合いを開始したのに、そこを否定するかのような発言があるのだね。
それを私は過干渉と捉える。
要するに口うるさいということだ。
口うるさいというのは、相手を自分の支配下に置こうとする表れではないか?と思うのである。
私は私として「個」があるので、そこまで慮ってもらうのは「大きなお世話」に該当する。
言われなくてもわかっているのである。
わかっていることを言われることほど堪に障ることはない。
ただ、同じことを彼女さんに言われたら別の感情になるのであろうけどね。
私がセフレさんに踏み込まないのは、そこまでの思いがないから。
だからセフレなんだよね。
セフレだからこそ許せてる部分もあるかな?
何か言われても。
大人の付き合いはセックスが前提と思うが、セックスだけではないということも事実。
残念ながら、私に彼女さんがいなくてもセフレさんは「彼女」にならないかな。
性善説に立つとか無私の心とか。
できた女じゃないと無理なんだよな。
私は根がわがままだからね。
若き時の不倫の追憶15~「手料理」
ある時歳上の彼女は家を離れた。
旦那さんの度重なる不貞に嫌気がさしたのか?
いや、私という存在がそうさせてしまったのか?
それはずいぶん後まで私の「悩み」となるのであった。
とにかく彼女は一人暮らしを始めた。
杉並区にある古いマンションであった。
とにかく彼女のことが好きで好きで仕方なかった私は無論そこに転がりこむことになる。
週末は今まで通りであったが、平日も彼女の下に帰るようになった。
二人で生活するようになったのであった。
隣にあるカレー屋にはよく行った。
そこで夕食を摂り、ビールをよく飲んだものだ。
フィッシュカレーをよく食べたな。
カレーに鱈のフライが乗っているものであった。
私の仕事は年を経るごとに忙しくなっていった。
今までなら、彼女に合わせて「会える時間」に無理もしながら行っていた。
しかし、今や彼女の家に帰れば、そこに彼女はいて、好き放題我が物にできるのであった。
皮肉なことに私が一番仕事を覚えたのはこの時期であった。
ひとつ過去と違ったのは彼女の手料理を食べれることであった。
私が帰れば晩御飯と酒が用意されていた。
幸せであった。
たまに彼女が好きなマンゴーを土産に買って行っていた。
なんとなく新婚気分だったのである。
私は今も料理を作るのが好きなのだが、当時もそこそこ好きで実家で作っていたから、料理の大変さは理解しているつもりであった。
だから彼女には「ポークピカタ」を作ってくれるように頼んでいた。
工程はある。
しかし、大変ではない。
そうした料理が好きという象徴として「ポークピカタ」を作ってもらうことが多かった。
現に美味しかった。
彼女の手料理はポークピカタだったのであった。
たぶん今でも「旨い」というだろう。
私もたまに作るが、彼女の味は乗り越えられない。
私は今の彼女の手料理を食べたことがない。
前カノのものは何度となくある。
お弁当を作ってくれたことも何度もあるからね。
おそらくなんだが、今の彼女さんはあまり料理が好きではないらしい。
仕方ないことだよね。
でもそれでいいのさ。
もしセカンドパートナーにまでなれたら、私が作ればいい話。
好きな者がやればいい話さ。
彼女さんに「美味しいね」と言ってもらえるくらい腕を上げないといけないね。
ちゃんとしている女かどうか?
私が彼女さんとお付き合いを開始した理由は「ちゃんとした女」であるからだ。
行動、身なり、言葉遣いなど全てにおいてきちんとしている。当然のことながら常識的であり、いろいろなことに謙虚で品性があり、知識レベルも高い。
たぶん今まで出会った女性の中で一番「ちゃんとした女」なのではないかな?だから、まさかこの女性が不倫をしているなど世間では思わないだろう。
前カノさんのことも好きで仕方なかったが、どうもこの「ちゃんとした」加減については常に疑問を感じていたところがある。
この「ちゃんとした」というレベル感については人それぞれというところがあり、それは人の生活観によって異なると思うのだ。
「生まれ」「育ち」というが、環境というものはすごく大切で親兄弟を筆頭に周囲が「ちゃんとしているか」でその人のレベルが決まってくるところがある。
お付き合いをしていて家族が垣間見えてしまうことがある。たまにそういう話にもなるしな。
自分が育った環境をどう思っているかは別として、彼女さんの場合は「厳しく育てられたのであろうな」と思うのだ。
彼女さんはどうやらそれが嫌だったようであるが、私と生活観が近いことがわかり「貴方とお付き合いができるレベルで良かった」と初めて躾に感謝したという。
前カノさんの場合はその点ちょっと生活観が違っていた。そこにひかれた部分があるのも事実であるが、果たしてそれでずっといけるか?というとそうではなかったというのが結論になっている。
お付き合いをしていればお互いに影響を受けるのは事実であるが変えがたい部分はある。それは不倫という関係だから特にそうなのであろう。毎日、元の環境に引き戻されていく。
簡単にいうとこの人がセカンドパートナーとなったらやっていけるのかな?ということなのではないだろうか?
今の彼女さんはセカンドパートナーとしてやっていける気がする。彼女さんもそう思っていて欲しいな、と思うのだ。
セックスフレンドにはそこまでのことを求めない。
極端な言い方をすればその場を享楽的に過ごせればいいのだ。
享楽的か。
前カノさんにはセックスだけでないが、享楽的であることを求められたな。
そういう意味ではセフレ止まりだったのかもしれない。
そういう過去があって今があるのだから、それはそれで感謝しないといけないね。
籠の鳥を解消しないと不倫は、その2
やはりまっとうに生きている私と同世代の男というのは平日昼間に暇な時間があるという可能性は極めて低いと考えるのが普通だと思う。
「働き盛り」などともてはやされて仕事をしている人間の方が女性から見て魅力的なのではないかな?と思うのである。
そういう男じゃないと経済的にも余裕が生まれないしね。
あ、これだけは確実に言えるのであるが、不倫に純愛などないと思うのだよ。何せ不倫だからね。
赤貧をもってしても「この男と付き合いたい」と思うかどうかはまずあり得ないと思っていいね。
だっていい歳して稼ぎがない男に惚れるか?という話。もはや経済力が男の価値判断の1つ(いや、前提)となっていて初めて成り立つものだと思っている。
資本主義という社会に生きているという前提において、幸せな時を過ごすのは一時の快楽だけでなく、継続的に金が必要だということはわかっておかないといけないということなのである。そうじゃないと特に「幸せな不倫関係」は成り立たないと思う。
ちょっと話が男性中心になってしまったが、もしこれから不倫に踏み出す女性がいるのなら、先ずは「籠」を取り除くことからしないといけないと思うのだよね。
配偶者、子供といった謂わば「一番大切にしていた者」たちから離れる時間を持つ準備をしないといけないと思うのだよ。
昼間ちょっと働いてみる、という行為が一番手っ取り早いのかもしれない。そこから少しずつ土日の昼間という「男の聖域」の時間に踏み込んでいくという。
しかし、それを配偶者は容認するのか?ということ。今まで「何不自由なく生活させている」と思いこんでいる人間に通用するものでもなかろう。
だから趣味の世界のようなもののコミュニティに参加することの方が良いようだ。経済的に豊かにしているという意識があれば、そこから個人の生活を豊かにしていくことに反対をする理由が見当たらない。
これは不倫の理由だけでなく、本当にやる方が臨場感があっていいと思う。
更に言えば、「お泊まり」をする理由のつけられるようなコミュニティの方がいいと思う。
不倫関係になれば旅行のひとつも行きたくなるからね。
そうして少しずつ配偶者や家族に「いない」という耐性をつけていかないと自分の時間は取れないし、不倫なんて「まともに?」はできないと思うんだよね。
私が不倫してきたステディたちはそうした十分な準備をした上での行動であった。
確信犯という言い方ができるかもしれない。
しかし、そうした周到さがない限り、籠の鳥を脱せられないという事実があるんだと思う。
おしまい