ゲスな男、ゲスな女(9年間の不倫と今の戯言)

40過ぎに女の味を知ったショーもない男のブログです。言いたいこと言うばかりで参考にもなりゃしないと思います。コメントは承認制にしているので、非公開の場合はその旨書いてください。

なぜこんなブログを書いているか?というと(3)

人の記憶というのは曖昧なのである。
だからこそ同じように失敗を繰り返したりする。
そういうことを極力しないようにしたいと思う。
それがこのブログの機能、役割であったりもする。

特に心情というものは冷静になって見直してみないことには再び臍を噛むような思いをするし、それと同じ思いをお相手に与える。

謂わばここは私のリマインダーなのである。
なぜあの時に当時のお相手は悲しみ、私も悔いたのか?逆に喜び合えたのか?
すぐにそれらをインプットして経験とできれば良いのであるが、そうはいかない。繰り返して初めて経験となる。だからここに書くことで経験として植え付けようとするのだ。

勿論、人の性格など千差万別であるが共通性も多くある。それをここで思い出したかっただけなのだ。

もう一つ言うと人は経験したこと以上のことはできないということを乗り越えたいという部分もある。

妄想を掻き立てるというか…

このブログを書くようになって、他人さまの同様な経験のブログを拝見するようになった。
特に女性のものをね。

それらを見ると自らの経験値に合致するものが数多くあり、更に心理の深淵を読み取ることもできる。

意外と妄想力が高いものが多いが、実は不倫する女性の心理というのは、そのあたりにあるのかもしれないな、と思うのである。

経験を書きつつも、その域を脱することは考えないといけないということ。

妄想することで経験を越えていきたいと思うね。

つづく

先生を生業とする女11

土曜日と日曜日にその当時のステディと連チャンでホテルに行き、セックスをした。

仲直りという側面があったので、それはそれはかなり激しいものであったのである。

体力を使いきるほどのそれで仲直りをした。ステディは2日とも帰りの車でもしなだれかかっていたのである。

私は満足していた。またステディとの仲を取り戻せた…と。

斯様にしてセックスというのは深い関係になった男女の重要なコミュニケーション手段であることを再認識した。そればかりではいけないのだけど。

一方で期待に胸を膨らませていたセックスすることを目前にした「彼女」もいたのである。
その淫乱なことを示すメールの一言、一言はセックスフレンドにできるような気がしていた。

セフレという存在ができるのではないか?と初めて思っていた。それくらい彼女は積極的だったのである。
抱かれたい…ということを明らかに表現されるほど男は嬉しいことはない。男冥利に尽きるというものだ。

しかし、連日5回、6回とステディに撃ち込んだことは明らかに体力を奪っていたのであった。
余力を残せば良かったのであろうが、それをする心の余裕はなかった。本気でステディを求めた結果であったのだ。

しかも年度始めの行事は曜日を選ばない。
月曜日、火曜日と夜の飲み会は続いた。
当たり前だが、これもまた私の体力を奪っていったのであった。

4月の寒空のせいもあってか少し風邪気味だったのであろうか、約束をしていた水曜日の朝には二日酔いとは異なる倦怠感をもって起床した。

「これはいかんな…」

メールを開けてみれば今日という日を期待する恒例のエロ話が彼女から入っていたが、それを読む自らの体調はパフォーマンスを描くことができない状況にあった。

不本意ではあったが、彼女にリスケのお願いをした。

しかし、彼女の妄想は膨らみ切っていたのであろう。私のその申し出を許してくれることはなかった。

今同じ状況にあるのならば、私は彼女がなんと言おうともリスケで通す。いや、あまりにそう言うならば致す前にパートナー解消を願い出たかもしれない。

しかし、彼女の身体を温めてしまった責任もあった。

「どうしても?」
「うん、どうしても」
彼女は譲ることはなかった。

つづく

LINEのIDを聞く不粋さ

出会い系サイトの女性のプロフィールを見ているとLINEのIDを教えないということが書かれている。
それだけいきなりLINEを聞いてくる男性が多いということなんだろうね。

男性としては早く女性のプライバシーに入り込みたいのだろうが、それ以上にサイメ送信にかかる料金を最小限に抑えようとしているのが見える。
それをもって「セコい男だ」と女性に判断されたらそれでおしまいなのにね。

そもそも、安易にプライバシーを聞くというのも如何なものか?と思う。携帯電話により電話番号をより教えやすくなった。メアドもそうだ。

スマホとそのアプリにより更に駄々漏れとなる。個人情報保護法がありながらも自ら放棄するようなところがある。
安易だし、緊張感もない。

だからといって当たり前かのようにLINEのIDを聞くのはどうなんだろう?と思うのだ。

遠い昔、固定電話の番号を聞きまくる輩がいたが、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」というレベルだった。それと同じことか?いや、かつてのケースは本人という実態があってのことだが、サイトはバーチャルであるから、より確率的に悪いのではないか?と思うのだ。

ただ、すぐに聞くことを不粋と言っているわけではない。
聞くことそのものを不粋と言っているのだ。

出会い系サイトに於ても女性は受身であることが多い。だからといって攻めの姿勢で行けば引かれるのである。

私の場合は女性がサイトという世界から飛び出したがるのを待つ。勿論、飛び出したがるように会話は仕向けるのであるが…

やがて女性の方からLINEのIDを教えてくる、または私のIDを聞いてくるようになるのだ。
それまでじっと我慢。焦りは禁物なわけである。

かく言う私も最初の頃はメアドを聞きに行ってしまっていた。しかし、そうして無理に聞き出した時の交際に繋がる確率は低かったんだよね。

自らサイト外に誘い出したという責任?もあるのだろうし、勇気を持って行動をしたことに対しての自らの評価もあるのだろう。
女性からLINEのIDが出てきた時には会って早い段階で大人の交際が始まるんだよね。

なぜこんなブログを書いているか?というと(2)

私は朝一番にブログを書き始めることが多い。
なぜか?というと頭を活性化させるためなのである。

それは人によってやり方は違うのかもしれないけれど、みんな何らかの形でそれをしているということなのだと思う。

私の場合はブログを書くということになるのであるが、こうすることでリアルな生活が良いスタートを切れるということがわかった。

しかもである。その方向が男女のことであるためにより頭は活性化すると思っているのである。

健常な男性は1日に15回くらいはエッチなことを考えるという。私の場合はその2倍くらいは考えているかもしれない。

つまり過剰なわけだ。これを行動に出したら単なる変態で犯罪にも繋がる可能性があろうが文章ならば単に「元気の源」と思えばいい、という程度のものになる。

たぶん生真面目な顔をしている男性も心の奥底ではエッチなことを考えているのであろう。(因みに私も世間から見ればかなり真面目なサラリーマンである)

このように書くと女性には引かれてしまうかもしれないが、彼氏にするならば草食系ではなく、やはり肉食系なのではないだろうか?

そう、以前も書いたかもしれないが現代の若者があまり元気がないのはそういうことを考えないからなのではないか?と思うのである。

朝からショーもないと思われるかもしれないが、ブログを書くことでエロいことを妄想することにより1日元気に過ごせるのである。

時々、ブログを書かない日がある。いや、書けないんだね。

猛烈に忙しいという理由の時もあるが、そうじゃないのに書けないのは落ち込んでいたりするからなんだよね。

人間だからそういう日があってもいいと思うんだけど。

元気な日は毎日書いていきたいし、書けることがそのバロメーターと思いたい。

つづく

【500回】なぜこんなブログを書いているか?というと(1)

去年からこのブログを書き始めて、これで500回投稿したことになる。

めくられたページは約132500、何人かの方は「お気に入り登録」してくれてさえいる。ありがたいことだと思う。

「不倫」という内容が主であるため、たまたま開けてしまった方に不快な思いをさせてしまったことも多々あると思う。たまに炎上しかけたブログの主が「見なきゃいい」などと反論しているが、正に開き直りであり見苦しい。私は不快な思いをさせた方々には素直にお詫びしたい。

では、何故私が他人さまに不快な思いをさせてまで自らのエゴのためにこんなブログを書いているかについて吐露してみたい。人は理由があって行動をするものなのである。

ちょっと真面目な理由から書く。

私もアラフィフになって、正直なところいろいろなことが面倒になってきている。その度に「これじゃいかん」と思うのであるが、なかなか歯止めは効かないものなのである。

その一つに「文章を書く」ということがあるのだ。
主に労働をしている時にあたるのだが、構想ばっちりでも文章にならないということがあった。

私のような肉体労働をあまり要さないホワイトカラーの場合、一般的には勤務時間に比例して熟練度が増す。しかし、筆不精という現象は明らかな「劣化」なのである。

そんな時にネットサーフィンしていると、ある趣味について書かれているブログに行きつくことになる。

そのブログの内容は正直なところ私には興味のないカテゴリーについて書かれている。しかし、その文章構成には感嘆するしかなかったし、そのカテゴリーに興味さえも抱くようになった。

「こりゃすごいな」

その方がブログで言っているのだ。
「このブログは自らの老化防止でしかない」

なるほどね…というわけである。
そう、このブログはその方の真似でしかない。
ボケ防止なのだ。

さて、何かを書くにあたりテーマは何にしたら良いか!?ということになった。その方のように誇れる趣味もない。

人は聞きかじった程度のことを趣味と言うことがあるが、本当に趣味を持つ人は少ないと思料する。
私もその一人である。

さすれば何について書いたらいいのか?
続かないと意味がないのだ。

趣味とはいかなくても「好きなこと」。
…ということでセックスのことについて書くことにしたのである。

まだまだその方の領域には遠く及ばない。特に知性溢れるウイットについてはいつまで経っても真似すらできないと思う。

しかし、目指すべきは彼ではない。
所期の目的である筆不精については劣化は止まったし、言葉が出てくるようになった。

ただまたこれを止めてしまうと元の木阿弥となるのだろうね。

つづく

やっぱり多少は容姿も…

昔の言葉に「ハンドバッグボーイ」「ステッキガール」というものがあるらしい。

この意味は「連れていて気分良い異性」ということになる。

つまりは容姿の良い異性ということになろう。

男性はセックスをする相手の女性の容姿はあまり選ばずにできると思っている。口ではなんだかんだ言っていても、させてくれるとなれば意外とヒットゾーンは広いのではないか?と思われる。

少なくとも私はそうである。
そういう女性には出会ったことはないが、清潔感がない女性を除いてはたぶんできてしまうと思っている。

自らがモテるわけではないので、もともとは「そんなお相手をどうこう言えた義理ではない」というものであった。

「セックスの経験人数を積みたい」などという不埒な希望に容姿を伴わせるなど「100年早い」いや「20年遅い」という話である。

そんなこんなしているうちに人数をある程度こなして?からは、「この女性でも俺は大丈夫なのであろうか?」と思える人とセックスすると自らのオス感を覚えるようになったのであった。

自らの名誉のために言っておくと、そうしたマニアではない。あくまで、私に「引っかかってくれた女性」で可能性を見いだしてみたいと思っているに他ならないのである。しかし、やはり「いい女」とセックスをしたいという願望はあるのだ。

思えば…である、実は私の好みにまったく入らない女性というのはセフレにもなっていないということなんだよね。

じゃあ、何が私のセフレの定義かと言えば「最低3ヶ月はお付き合い」し、「5回はベッドを共に」し、「セックスなしのデートをしている」ということとしている。

この最後の「セックスなしのデートをしている」がないと他の2つもないかな?という感じである。

そうなるとやはり容姿も重要、ということになってしまうのである。

一例を言うと体型なのである。
私はスリムな女性が好きなのである。
逆はちょっと…ということになるが、これも女性特有の体質、特に私をお相手してくれる年齢層を考えれば、かなり寛容な域にあると言って良いと思う。
それはセックスをするだけのデートならば更にその域は広がる。

しかし、私よりも明らかに体重がありそうな女性とはセックスはできてもセフレ(以上)にはなり得ないのである。

そこは「ステッキガール」の論理なわけである。

私はリアルでも「スリム好き」を言って憚らない。
それが「激ポチャ」を連れて歩いていたら人間性を疑われると思うのだ。

だから、そのカテゴリーの方とセックスはできても、セフレ(以上)にはなれないということ、つまりはちゃんとしたセックスはできないということになる。

なぜなら女性がプレイで如何に感じてくれていても、本当の快楽に浸らせるには、「普通のデート」的なものでセックス以外の満足感を与えないと女性が満足するセックスができない、と思っているからだ。

間違えているかもしれないが、女性ってそういう生き物だと思うから。

「旦那に相手にされない、寂しい」という理由でお付き合いを開始した女性がいた。「セックスする関係だけでいい」と言われた。セックスでは感じまくってくれた。嬉しかったね。


何度か身体を重ねるうちに彼女は言った。
「貴方とお洒落なバーに行きたい」

ごめん、できない。
が、私の回答。
言う側からすればあまりにも非道、受ける側からすればあまりにも辛い言葉だよね。

本当のセックスに到達しないままにお別れさ。

私の基準が全ての男性の基準では勿論ないのだろうけどね。


と、女性のことばかり言ってきたが、私も普通のデートを望まれない見た目になったらアウトだよね。

なぜなら、「普通のデートをしてみたいかな?」と思える男性としか女性は寝ないものね。

それがわかっていて何故?と言われたら言い訳はしにくいな。

まだまだ「青い」としか言えない。


私も見た目の努力を今以上にしないと。

いつ相手にされなくなるかわからない(笑)

ベンツに乗る女~その9

私は自らの唇で彼女の口に軽くタッチした。
その微妙な接触を保ちつつ唇をスライドさせて彼女の口角のところでチュッと吸うとその行為をしばらく唇全体に行った。

次にはまた微妙な感じで唇を舌で舐めた。触れるか触れないかのタッチである。

「んんっ…」
彼女の口からは何とも言えない声が漏れた。

ここでやっと私は唇を塞ぐようなキスをした。そして彼女も私の唇を吸うような反応があったので、舌を入れて、前歯を舐め、そして徐々に舌と舌を絡めるようにしていった。

「私、エッチよりもキスが好き」
このように言った女性は何人もいた。
そして、この言葉は男として真に受けないといけない言葉であると思っている。

セックスにしてもそうであるが、なにも激しくすればいいってものでもない。
女性にとって唇を奪われることが大切であるとすれば、それは常に優しく切り開いていかなければならない。

そして、キスはフィーリングの問題はあるものの努力すればできるというレベルのものが多い。

「キス」という一言で済ませてしまうが、唇、舌、口内…それらのどこに女性が感じるポイントを探しながらしていくものだと思う。

女性は脳幹で逝くことがある。それを幇助する手段としてキスは最適であるし、現にキスで逝った女性もいた。

この時も彼女は私の唇や舌が敏感な部分に触れていくとビクッと身体さえも反応させて感じるのであった。

そしてこの長いキスに堪えられなくなったのであろう。

「抱いて…」
と懇願してきたのであった。

「はい」
私はにっこり笑い、彼女をベッドに導いた。

つづく

グラインド

男性であればたいていはセックスが好きだと思うのだが、出会い系サイトを通じて身体を重ねた女性の反応を見ているとあまり研究して事に及ぶ男性は多くはないのかな?なんて思ってしまう。

「好きこそものの上手なれ」ではないが、するからには一定の鍛練のようなものは必要と思うのだよね。

私は臆病である部分もあって、恥をかきたくないという気持ちが先立つ部分があった。だから、このようなことを始める前から見聞だけは広めておいた。

「下手の横好き」ではいけないと思ったんだよね。

最初のうちはセフレを作ろうという気持ちはあまりなくて、婚外恋愛の対象を作ろうとだけ思っていたのであったが、それでも大人の男女がお付き合いするからには一番多くする「遊び」はセックスなのだろうな…と思ったわけである。

何人か女性を経験してみて思ったのは「これまで豊かなセックスライフを過ごしてきた女性というのは意外にも少ないのかな?」ということなのであった。

決して経験豊かなわけではなく、ましてや巧いとなんて言えない。

しかし、通用はしてしまったのだね。

無論、人を目の前にして「下手くそ❗」とは言わないと思うが、リピートされてしまったりしたのだね。
それが「きちんと前戯してくれるから」とか言うレベル。
そんなセックスしか経験していないということなんだよね。

インサート後も男性本位のセックス~ただただ腰を振られておしまい、みたいなのが多いのかな?なんて勘ぐることが多かった。

例えば私からすると昔から当たり前のようにしていた腰を回転させるグラインドという行為でさえ「こんなことされたの初めて…」と言う女性が意外にも多かった。

ただ単にピストンで突くだけでなく、ヴァギナの中をなぞったりかき混ぜたりする行為は女性の感度を高めるためにはごく当たり前と思っていたのである。

若い時に女性上位になってもらった際に女性がゆっくりと腰を回転させて感じていく姿を見て「こういうのもありなんだな」と思ったのだね。

でも、これとて全ての女性に通用するものでもない。ヴァギナが小さめな女性にとっては痛いだけの迷惑な行為となるようだ。

女性も男性の行為自体には大きな期待は抱いていないようにも思える。

だから、先ずは「嫌なこと」「して欲しいこと」を話してもらえる雰囲気、環境を作るのが必要なんだろう。プレイのバリエーションよりもね。

何ごとも一方的なのはダメだということだね。

月1、2回の出会いでは

不倫関係にある二人の出会えるタームというのは月に1~2回といったところなのかもしれない。

私は彼女さんとは週に1回ペースでデートをしている。しかし、これは彼女さんにかなり無理をしてもらっていると思っている。

40代という年代は「子育て期間」でもあるためにしょっちゅう男とデートしている場合じゃないというところなのであろう。その点、私の彼女さんの場合はうまくやってくれていると言える。感謝だね。

会えるか会えないかについてはこうした女性の事情がほとんどであろう。

男が多忙であることを理由に会えないというのは、ちょっと疑った方がいいかもしれないね。

私もその理由でセフレさんに会わないことがある(それは私に傾倒されても困る、という理由)が、無理をしなくても全然会えるんだよね。

勿論、配偶者の監視が厳しいなんていうケースもあろうかとは思うが、基本的にそんなことをウダウダ言う男など不倫する「権利」すらないと思うのである。

間違いなく男の方が時間があると思うんだよね。
あまりありすぎるのも問題かとは思うけどね。
多忙とは言いながらも本当は時間は作れると思うんだ。

どちらが理由でもいいのであるが、とにかく月に1~2回という出会いになってしまうと健常な男女なら「セックスをする」ということに収束してしまうと思うのだ。

これは致し方ないことだし、世間でも不倫というイメージはそっちだからね。

でも、そうなると私の考えるお付き合いからすると単なるセフレでしかないのかな?と思うんだよね。

そして自分がそうだから言うわけではないが男性サイドが月に1~2回というお付き合いに「止めている」場合は「他にもいる」と思っておいていいんじゃないかな?と。

私も仕事はそこそこ多忙であるが、週1で彼女さんに会っていても月1セフレなら2~3人はいけるかな?と思うもんね。

あとは体力と経済力かな…体力はまだしも、さすがに女性とのデートに月15万円はキツい。なんちゃらのドンファンではないからね(笑)
普通のサラリーマンだし。


私の出会った不倫経験者の女性はほとんどが月1の出会いなんだよね。

繰り返しになるが、それは男性に他にも女がいて…そうした疑念を持った女性が過去(現在)セフレになってくれたりしている。

恩恵を被っているのは私だから、あまり言うべきではないのかもしれないけど、不倫するにあたり女性は「自分の時間」を作ってから始めた方がいいかもしれないね。

私のような男に「食い物」にされてしまうかもしれないからね。

ラブホデートだけじゃ間が持てないくらいに会える環境を作っておくことが望むような婚外恋愛に繋がるし、つまらない男で妥協しないことに繋がると思うね。

始めるための生活のインフラ~自由な時間~は準備すべきかな?と思う。

大きなお世話かもしれないけどね。

夫がEDで~その16

一度逝った女の身体を再び上気させることはあまり難しいことではない。

昔、小学校で空気と水の温まり方について学んだことがあった。

熱しやすく冷めやすいのは空気。
熱しにくく冷めにくいのは水。

前者は男であり、後者は女だ。

だから温めた後に「もっともっと…」となれば、そのリクエストには応え易くなる。

私は再び腰を打ち付けて深淵な部分に快楽を求めるようにした。

彼女の濡れやすさは実証済みであったが、そのラブジュースは更に湧き出て、私の動作を幇助してくれていた。
私が腰を打ち付ける度にクチャクチャと音を放っていたのであった。

無論、口からはカン高い喘ぎ声が漏れていた。

これらの音は私を興奮させるには十分であった。
そして彼女ものけ反るように快感の頂点を示す態度を見せていた。

私はもう限界に近いぺニスを引き抜いた。
そして、彼女の身体を反転させるとバックからまた貫いたのであった。

細くくびれた彼女の腰を固定すると私は後ろから腰を打ち付けた。
このプレイが女性にとってあまりいいとは思っていないことなどわかっていた。

ステディからもあまり評判は宜しくなかったのだ。

しかし、あえてそれをするのは「征服されている」とか「犯されている」という感覚を女性に持たすに過ぎない。

パンパンと腰を打ち付ける音が鳴り響く。

「もっと優しくして…」
この言葉は必ずと言っていいくらいに出るんだよね。

でもこれからが本当に深淵な部分に触れることになる。

彼女をうつ伏せに寝かせ、私は奥に腰を入れた。

「あぁぁぁ…」
私の物理的な能力として、一番深みに嵌まったのであろう。

つづく

たまにするのであるが

私もアラフィフという年代になって、いろいろなことに限界を感じるようになってきたのは事実だ。

仕事でいうと以前なら1週間に2晩くらいなら徹夜をしてもへっちゃらであったのに、今では1晩が限界…情けないものである。

そのかつての体力はまさしく親から頂いたものであり、本当に親には感謝しないといけないと思う。

勿論、自らの限界を「ここ」と置かずに「キャパは広がるもの」と考えてやってきた部分はある。それは自己の努力の部分があろうかとは思うが、それとてベースがあってこそなのだ。

それはプライベートでも一緒であり、遊びとて自らの体力を考えずにやってきたところがあった。

子供の頃に親に言われた「よく学び、よく遊べ」は「よく働き、よく遊べ」になるには相当の時間はかかったけれどもやっと実践できているのかなぁ、と思う。

そうしたベースに感謝しつつも、自らの体力の低下を理解するのは必要不可欠だと思うのである。

常々思うし、ここにも書いているのだが、セックスは大人のお付き合いには大切なコミュニケーションである。

だから彼女さん、セフレさんを満足させないといけない。

かつてなら「まだするの?」というくらいに強かった私も今や「自らの限界を知る」ことになったわけである。

パートナーたちも私の限界を知っている。
レストであれば2回~3回ということを。

しかし、本当は少し余力を残しているわけなのである。

たまにするのは、もう出ようか?という時にもう1回求めるということ。もうシャワーを浴びて身支度を始めている時などに。


時間が迫る中で無理矢理身体を求めてみるんだね。

そして、身勝手なセックスをする。
出すだけのセックス。

しかし、女性は満足げなんだよね。

勿論、こんなことを初めて交わる女性にしたら嫌がられるに決まっている。

お互いを知る時に限界を越えて「女性を求める(求められる)」時、それを満足と感じてくれるのだと思う。

しかし、こうしたことができるのも「元気」だからこそ。

心身のケアは必要だよね。

あまり慌てないようになるまでには

いくつになっても新しい出会いがあるのは嬉しいものだし、その女性に好意を持てばベッドを共にしてみたいなと思うのは男として自然なことであると思う。

妄想の世界でそういうことを思っていたこともあったが、実際に不倫というお付き合いをしてみると思っていた以上に難しい関係であることに気づいた。

お互いに時間的な拘束があるわけで、考えていたデートがなくなることもあり得る。そんなことはわかっているのであるが、実際にそうなると「なんなんだよ」と考えてしまっていた自分がいたことも事実なわけである。

それはそうだ。堂々と不倫関係を貫いていることなどほとんどなく、相手が都合が変わることもあるのだ。しかし「ドタキャン」された時、これまた多少なりとも無理して作った時間はどう過ごしたらいいんだ?ということになる。

ただリアルとして「んなことは当たり前だよね」と思って、どこかで一人で過ごす時間があることを自ら容認できるためにはかなり時間(回数)を要したことも事実ではあるのだ。

冒頭「ベッドを共にしてみたい」と書いたが、それこそ何もしていない妄想の世界では「想像だにしえなかった」ことが起こるのである。

普通に恋人、配偶者と言った「普通のお付き合い」をしてきた女性とセックスをするのにも最初はかなり焦るのである。

それは自らの経験不足に他ならない。

ちょっと別の反応が見えただけで「焦る」わけである。それとて人は千差万別だから当たり前。しかし、実際に出会うと「焦る」のだ。

例えば、である。
これは以前も書いたのであるが、コンドームを口に咥えて装着する女性に会ったとしよう。

確かに「興奮」になる部分はあるが、これをやられた時には「焦る」ことの方が大きかった。

ましてや、である。
男ならば「淫乱な女としたい」「淫乱にしてやりたい」などの妄想を抱いていても実際そのような女性が目の前にいると「無力」なわけである。

淫語を言われながらしたりするのはドン引きしてしまうこともあったりしたことを思い出す。

いやいや、そもそもが裸の女性を前にすることが少なかったわけであるから、見聞きしたものをそのまま実現できるだけの余裕なんてものすらなかったのであった。

こうした「焦り」があまりなくなったのはここ3、4年なのかな?と思う。
こうした出会いで15人くらいの女性を経験してからだね。

やっぱり焦りみたいなものがあるとプレイそのものを楽しむということもあまりできていなかったかな。肉体の快楽だけだったかな?求めていたのは。

勿論セックスに限らないのであるが、見聞は大切だけどそれだけじゃダメということだね。実地と言ってもたぶん風俗のような一方的なことだけじゃ、これまたダメなんだろうね。

こう書いてきたが、まだ「焦る」ような出会いがあるのかな?それも楽しみであるかな。

脱がせてみたら「付いてた」みたいなのはご勘弁だけどね(笑)

先生を生業とする女10

4月、年度始めというのは何かと忙しい。
週末こそステディとデートをする時間はあったが、会議や会食などで夜も結構多忙であった。
それが彼女との約束を1週間先にしてしまった理由の1つであった。

当時のステディはセックスに貪欲ではなかった。
付き合い始めの頃こそよく身体を重ねたが、この頃には月に2、3回ホテルに行く程度であった。
私のセックスには満足してくれている身体の反応を見せてくれてはいたが、もともと恥ずかしがり屋なのか誘われることなど年に何回かしかなかった。

それだけにこの淫乱そうな彼女には期待するところがあった。
出会った後のメールでは毎日エロ話が送られてきた。
「舐められるの大好きなの。たくさんクンニして欲しいわ」
「フェラするの好きよ。ちょっと自信あるわ。みんなイッちゃうよ」
「体位は騎乗位が一番いいわ。自分で感じるところに当てて何回も逝くの。潮吹きしちゃうこともあるわ」
「バックも好き。たくさん打ち付けて欲しいわ。髪の毛をわしづかみにされたりしたら最高」
「車の中も好きよ。私の車ワンボックスだし、いつかしましょう。見られてないかドキドキする」
「縛ったり、蝋燭とか使ってしたことある?私はまだないんだけどやってみたいな」

これらのメールは夜遅く来ていた。
おそらくは酒の勢いに任せて書いている部分もあると思う。
一部ご期待に添えない部分があるな、と思いつつも端から話の腰を折っては…と思い、苦笑しながら同意する返信を続けていた。

普段は学童に教鞭を取る聖職者である。
それも一皮剥けば、ということか?日頃のストレスがかえってそうさせるのか?

淫乱なのには間違いなさそうだ。
おのずと期待は高まった。

しかし、なのである。

つづく

いい男に出会った女~3

前回このタイトルで書いた時に「四人の女性」と書いたが、物理的に困難ということで二人の方に絞りこませてもらった。

話題は逸れるが、どうもうまくいかないなぁ、と思うのである。というのもこの間にも「女日照り」であったことは何回かあり、そういう時は一人もうまくいかないのになぜ四人も同時に?ということになるのだ。

別に間口が狭かったわけでもなく、妙にガツガツしていた覚えもない。更にいうと年齢的には段々と条件が悪くなっているのにだ。

やはりタイミングというのがあるとしか思えない。

で、泣く泣く?生意気にもお二人にさせてもらった基準は「ハードルが高そうな」今彼、元彼がいる方にしてみたのである。

因みに女性は二人とも同年代、セフレという間柄でお付き合いしましょうとしている。

一人は今カレがかなり年上でちやほやしてくれるのだそうだ。

特に金銭面についてはかなりの「面倒」まで見てくれているようで高価なプレゼントや今まで行ったことのないディナーは勿論のこと、たまにお小遣いももらえるらしい。

聞いているとパパ活、いや、ワリキリとどう違うのかがわからないのであるが、とにかく「不満」な部分があるらしいのである。

それはもう一度「女」として認められたいと思ってサイト登録したのに、その部分が満たされないというのだ。

もっと具体的に言えばセックスに不満があるという。元気ではないらしい。

だったら私のような同年代ではなく、若い男性を求めれば良さそうなものだが「年下でギラギラした男は無理!」とのことであった。

まだこの女性は振る舞い方のプロセスがわからないではない気がする。

パフォーマンスを高めれば良いのだね。

もうお一方の方がちょっと考えさせられるわけである。

つづく

不倫相談をする同性の「友人」

男というのはだいたいこの手のことを始めると黙ってられない。

これはまだまだ差別的な部分があるような気がするんだよね。

女性は不倫というと「後ろ指をさされる」というものになるが、男の方は「甲斐性」くらいのことを言うようになる。

私は周りには言わない(なんとなくいるんだろうな?と勘ぐられてはいる)のでこんなところに書いている部分もあるのだが、いる場合は飲み会の席なんかで言ってくるんだよね(笑)

そうじゃない場合も当然あるのだろうが、男の方が不倫に対して不真面目であることは多いと思う。

一方で女性の場合は全く話さないか親友と呼べるレベルの人に話しているかという感じが多いような気がする。その場合でも男のように自慢話的なものではなく、本当に悩み相談と言ったところか?

この相談相手もまた不倫をしているケースであればお互いの彼氏をくさすくらいでいいのであろうが、相談相手に不倫の経験がない場合はどうか?ということなのだ。

不倫に限らないことではあるが、経験なきことを聞いたところで「わからない」ということになる。勿論、女性なので「解決」を欲しているわけではなく話を聞いてもらいたいのであろうが、それでも意見くらいは出るであろう。

それは友人という以上に同性であるという「同情」(のふり)が返ってくるのであろうが、心底はいったいどう思っているか?ということなのだ。

相談相手が「不倫する機会さえない」場合であったとしても経験がなければ単に「不貞を働いている」としか思えないであろう。だから相談の最終的な答えは「別れなよ」なわけである。

しかし、その相談も2度、3度(二人、三人)となれば、如何に友人とはいえ「その部分は到底理解できない」ということになり「人間性をも疑われている」ということになりはしないかな?と思うのだ。

友人に相談したくなる気持ちもわからないではない。

そもそも男女のことなんて本人たちにしか理解しえないもの、更に不倫となれば世間から認められていないことだからね。

「親しきうちにも礼儀あり」以前の話かな?と思うのだ。

相談された側も困るよね、きっと…