ゲスな男、ゲスな女

40過ぎに女の味を知ったショーもない男のブログです。

サイトでなければ出会えない相手1

当然の話として人は誰かに育てられる。
「親はなくとも子は育つ。」というが、やはり子を育てるのは親が基本であるし、血は繋がらずとも育ての親のようなものがいて初めてその生が繋がるのが人間という生き物なのである。

そして、その「育ち」というものはとても重要で親と呼べる人から教育を施される。
教育というと聞こえはいいが要するに刷り込みをされるということなのだと思う。

自我というものが生まれていくことは事実だし、それを幇助するのが親という存在であろうが、逆にそれを一定の領域に留めるのも親の存在であると思うのだ。

勿論それでいいし、だからこそ、其々のコモンセンスができあがるのであろう。

しかし、人間は一方で自らのレベルを勝手に決めて上を目指そうとするものでもある。

それはそれで悪くはない。
それすらないと人は大きく成長はしない。

ただ、それで差別意識が芽生え、下を見ようとしなくなるとその成長は一方向になる。

ちょっと論点がズレるがこのあたりの差別意識が歪曲すると各種のハラスメントを持つ性格の要因になるような気がする。

つまりは自らにないものを排除しようとする傾向にあるということだ。

そして問題を起こさない程度の自制心をもってしても、その気持ちはどこかに存在して、自らのカテゴリーを次第に狭くしていくような気がする。

「○○は○○でないといけない。」

こうした決めつけは、無論行き方を狭くしていく。

この主語に異性が入った時に、未知の世界にまで固定観念を押し付けようとするのだと思う。

そして、その出会いさえも自ら狭くしていくのではないかな?というのが、自らの中途経過であるように思う。