ゲスな男、ゲスな女(9年間の不倫と今の戯言)

40過ぎに女の味を知ったショーもない男のブログです。言いたいこと言うばかりで参考にもなりゃしないと思います。コメントは承認制にしているので、非公開の場合はその旨書いてください。

お互いの生活に支障のない範囲で

確かに不倫のし始めというのはこの思いがあったよね。

女性なら尚更であると思う。

だからこの台詞をプロフィールに書いている女性は意外といるのである。

男の私もそう思っていたし、ある意味今でもそう思っている。

普通人間は過去の自らのジャッジも否定しにくいし、もっと言えば、その誤認によって責任を背負うということをするのだ。

不倫というものが自らの中で浮気とイコールであった頃には、この台詞をもってして言い訳としてきたところがあった。

いろいろな方向にね。

しかし、それで始めた不倫に於てより良いものを見てしまうということをする。

そこで責任を放棄してまでそれに傾倒するというカタストロフィー信仰に自分の人生を落としこめるかどうか?というとやはりノーで当たり前なのかもしれないね。

守りに入っていた人生を打破したいなんてよこしまな気持ちがありながらやはり元の鞘に戻す術を人間はいつでも持とうとするのだろう。

これは「言い訳がましい」という防衛本能であるから致し方ないことなんだ。

しかし、そんな不倫関係に陥るうちにより良い世界を見て、その冷静な防衛本能さえも失うことになったらどうであろうか?

それは理性をも失わせる純愛と言いたいところであるが、世間からみれば 単なるバカ丸出しに過ぎない。

しかも、そんなことは百も承知で続けていたらもう既に「お互いの生活に支障のない範囲で」なんて前提はどこかに無くなっているに等しい。

私は過去一度それをやらかし、お相手の依存心を自らに向けてしまっている。

再びそれをしないようにするためにいろいろと手段は講じてきたつもりであったが、また同じような罪を犯そうとしている。

自らの寂しさに相手を巻き込んでいるに過ぎない。

どうしたものか?と思うのである。