ゲスな男、ゲスな女

40過ぎに女の味を知ったショーもない男のブログです。

お相手に対しては性善説で考えたい

不倫という出会いに於いても肉体関係だけではない、ということはブログ内で書いてきた。

既婚者同士であったとしても恋愛感情を持つことについてはあってしかるべきだと思うし、勿論、私もそれを経験している。

そして、たとえセフレという関係であったとしてもお互いに好意を持たなければベッドを共にするということはないと思う。

私のような者が選ぶべき立場にあるとは思っていないが、生意気ながらもお会いしてもベッドに至らないままに終わりを告げたケースもいくつかあって、それは会話の中でどうもその方に親和性が持てずに好意を持つ自信がなかったからである。

一度か二度ベッドを共にしてお別れをしたケースも同様なことがある。

出会い系サイトにいる男を信用できないという考えはよく分かるのである。そのイメージはなかなか払拭できるものではない。

ただ入口はそうであったとしても段々と近づいていくためには相手に期待するだけではなく、自ら近づいて行こうとする気持ちが必要なのかな?と思うのである。

それには、いや、それ以前の問題として性善説で相手に接するということが必要なのだと思う。

これは長く付き合っていても同じことが言えるのかもしれないね。

簡単に言えば相手の発言やしてくれた行為に対してネガティブなところから入るのか、好意的に捉えるのかでまるで自らの気持ちの持ちようが違ってくるということなんだと思う。

大人になってからのお付き合いというのはいろいろな経験をした上でのものとなる。若い時なら生い立ちというものだけに限られるのであろうが、その後の経験がついて回る。

その経験があるからこそ、大人のお付き合いが楽しい一方で配偶者などからの心ない態度にうちひしがれていることが少なくない。

かえって経験が マイナスとなっているケースだ。
これが当初から前面に出てしまうと相手のすることに疑念しか生まれない。

長く付き合っていても、それが出てしまう場合もある。

最初はそれが隠れるほど相手のことを好きでいられる。そして自らの経験との違いに驚き、幸せさえも覚える。

しかし、慣れというものは恐ろしいもので、それが日常になった時に自らの貧困な気持ちが相手に期待することだけをしてしまうのであろうね。

ただ、これというのは訓練できると思うのだ。

日本の文化には「謙譲」というものがある。
「へりくだる」気持ちだね。

男女の仲は対等であってしかるべきと思う。
しかし、それだからこそこの謙譲の気持ちを持ち合わせたいと考える。お互いに。

その前提として、相手のことは性善説で捉えることをしないと、人としての幅ができないと思う。

性善説でいることが実社会に於てバカを見ることは多分にある。

しかし、性悪説を男女の仲にまで入口から出すのはどうか?と思うし、また相手が騙すようなことをしない人とわかるような長い期間付き合っていても、その考えに立つのは自らの気持ちの貧困さを嘆いた方がいいと思う。

なにも何れか一つを常に持たなくてもいいんじゃないかな。

二昔前に言われた「ツンデレ」みたいなのが、正しい姿のような気がする。