男としての自信の根拠として
明けましておめでとうございます。
人は何を根拠として生きているのか?というと意外にも目の前のことに忙殺されているのかな?と思うのだ。
私などはその典型できたのではないのかな、と思う。
一番わかりやすく言えば、世間体を重んじるということであろうか?
昔言われた1億総中流意識の中でちょっとだけ抜きん出るものを持つという「教育」を受けてきたと言わざるを得ない。
いい学校を出て、いい会社に就職をする。
世間さまから見れば良い暮らし向きができる環境になっているのは間違いなかった。
「欲」がない人生ほどつまらないものはない。
欲とはいろいろな方向に向いていいものであると思う。
ただ、ふと思ってみたのは「中流よりもちょっと上」を目指してジタバタするのが果たして正しい生き方なのか?ということなのであった。
40を過ぎたあたりで、それにすごく疑問を思ったのだよね。
何のために一生懸命やってきたのか?ということ。
結局は「自らに資すること」なくして40年を過ごしてきたということになる。
周りに喜んでもらうことが自らの喜びになっていたということになるんだと思った。
その結果、つまらない欠陥だらけの人間になっていたということなんだね。
それに気づいた時に何故女に走ったか?と言えば、そこに一番自信がなかったからであり、そこに自信が持てない限りなぜ「男」として生を受けたのかがわからないと思ったのだ。
だから40になってからサイトを始めた。
女漁りを始めたのさ。
無論、入れ食い?とはいかない。
口説いて、口説いての末に9年で30人くらいとベッドを共にした。
入口は経歴などあまり関係ないのだ。
この数が多いのかどうか?はわからない。
しかし、自分なりには満足しているからそれでいいと思っている。
しかし、口説くにあたり自らの経歴を利用したこともある。
それで自らが生きてきた道を「間違いではなかった」とやっと確認できたところもある。
その結果、いつの間にか醸成された自信というのもある。
「女を口説いた」というね。
それが可逆的に普段の行動に資するということがあるということなんだよね。
心情の基本は至極単純で、そのシンプルな中に男女関係というものも含まれると思っている。
だからもういい、とは言わない。
まだまだ人生を楽しみたいと思う。
リスクは伴うけどね。
リアルを楽しみ、確認するためには致し方ないのであろうね。