寂しさから始まる恋愛はいつか破綻を迎える。~後編
と言うことでその日の番組は終了をした。
このカトウタイゾウ先生のお言葉を自らに準えるとどういうことになるか?ということになる。
不倫と一口に言ってもその深浅に関してはさまざまである。
しかし、不倫のスタートの時点では何か寂しさを持ったからということになりはしないだろうか。
特に「どこの馬の骨ともわからない」異性を求めての出会い系サイトという場は「寂しさの穴埋め」を求めてのことのように思う。
私も過去に真剣になったことがある。
恋は盲目と言えるような行動、言動を繰り返した経験がある。
しかし、今振り返ると確かに好きではあったが、恋愛と言う習慣が無くなることの方が怖くて追いすがってしまったところがある。
相手もまたそうだったのかもしれない。
実は本当に私のことが好きであったのか?というとそうではなかったのかもしれないと思う。
残念なことではあるが。
相手がその習慣を断ち切った時に、これでもかという仕打ちを受けたが、それさえも受け入れたくなかった。
純なのではない。未練がましいだけだ。
更に言えば、その未練は寂しい自分に戻りたくなかったというだけだと気づかされる。
今また性懲りもなく、不倫という恋愛をしてしまっている。
今回はどうしてそういうことになったか?と振り返ると、男にありがちな身体の寂しさというのは全くなかった。当時、セフレさんが二人いたから。
しかし、やはり気持ちは寂しかったかな?
どこか虚しさがついて回っていたかな、セックスをしていても。
そんな時に出会った彼女さんの気持ちに惹き付けられたというところ。
だから前とはちょっと違うと思いたい。
彼女さんには聞いてないんだが、間違いなく寂しさの穴埋めだと思っている。
あのラジオの中身を聞くと真意を聞くのが少し怖いね。
お互いのことをもっと知って、もっと好きになれるようになるといいな。
おしまい