ゲスな男、ゲスな女(9年間の不倫と今の戯言)

40過ぎに女の味を知ったショーもない男のブログです。言いたいこと言うばかりで参考にもなりゃしないと思います。コメントは承認制にしているので、非公開の場合はその旨書いてください。

たまにするのであるが

私もアラフィフという年代になって、いろいろなことに限界を感じるようになってきたのは事実だ。

仕事でいうと以前なら1週間に2晩くらいなら徹夜をしてもへっちゃらであったのに、今では1晩が限界…情けないものである。

そのかつての体力はまさしく親から頂いたものであり、本当に親には感謝しないといけないと思う。

勿論、自らの限界を「ここ」と置かずに「キャパは広がるもの」と考えてやってきた部分はある。それは自己の努力の部分があろうかとは思うが、それとてベースがあってこそなのだ。

それはプライベートでも一緒であり、遊びとて自らの体力を考えずにやってきたところがあった。

子供の頃に親に言われた「よく学び、よく遊べ」は「よく働き、よく遊べ」になるには相当の時間はかかったけれどもやっと実践できているのかなぁ、と思う。

そうしたベースに感謝しつつも、自らの体力の低下を理解するのは必要不可欠だと思うのである。

常々思うし、ここにも書いているのだが、セックスは大人のお付き合いには大切なコミュニケーションである。

だから彼女さん、セフレさんを満足させないといけない。

かつてなら「まだするの?」というくらいに強かった私も今や「自らの限界を知る」ことになったわけである。

パートナーたちも私の限界を知っている。
レストであれば2回~3回ということを。

しかし、本当は少し余力を残しているわけなのである。

たまにするのは、もう出ようか?という時にもう1回求めるということ。もうシャワーを浴びて身支度を始めている時などに。


時間が迫る中で無理矢理身体を求めてみるんだね。

そして、身勝手なセックスをする。
出すだけのセックス。

しかし、女性は満足げなんだよね。

勿論、こんなことを初めて交わる女性にしたら嫌がられるに決まっている。

お互いを知る時に限界を越えて「女性を求める(求められる)」時、それを満足と感じてくれるのだと思う。

しかし、こうしたことができるのも「元気」だからこそ。

心身のケアは必要だよね。