ゲスな男、ゲスな女(9年間の不倫と今の戯言)

40過ぎに女の味を知ったショーもない男のブログです。言いたいこと言うばかりで参考にもなりゃしないと思います。コメントは承認制にしているので、非公開の場合はその旨書いてください。

紀州のドンファンを嗤えるか?

もう故人となった方をこういう対象にしたらいけないのかもしれない。

お亡くなりになられてそろそろ話題からも遠ざかって久しいからちょっと書いてみたくなった。

はっきりというが私は彼の人生はあこがれである。

バーカ、と言われるのは今に始まったことではないのだが、できることならば彼のような人生を過ごしたい。

最期はちょっと人騒がせであったがきっとそれは彼が選んだ「終末」であったと思う。それに堪えるだけの生前の活躍はあったと思うのであるね。

確かいいとこのぼんずなんだよね。
だけど学がなくて、確かコンドームの訪問販売をやって資金を作ったとか。

しかも秋葉原デパートの前でやっているような実践販売、つまりは旦那が留守宅の家でセックスして効果を示していたってこと。

枕営業というのは水商売や生命保険にありがちだけど、共にモノにすれば単価が高い。

しかし、コンドームだからね(笑)
1000円くらいのものだろ?
彼にして欲しいリピーターが数多くいた、という訳さ。

もう1つ言うと「女性向け風俗」がなかなか成り立たないのは、男がわがままで生殖能力に欠けるということに他ならない。

それを日常用具であるコンドームを惜しみなく使えた彼はその時点で特別な存在なのである。

その後、一財をなした彼のモチベーションは常に「女」であったという。

世間の風潮からすると「色狂い」ということになろうかと思うが私は大いに共感できるのである。そして彼ほど立派ではないにせよ、やはり「色狂い」と世間から思われても仕方ないのであろうなと思うのだ。

彼と私の決定的な違いは彼の場合はコンドームの訪問販売のエピソードでわかる通りに男としてモテたのであろうが、私の場合はモテた機会はない。そしてモテる対象ではないことも自覚している。

だからこそ学歴もつけないといけないと思ったし、世に見せて恥ずかしくない名刺を持ちたいとも思ったのだ。

それは自らにそうした付加価値をつけることによって女性からの見られ方が変わるのではないか?と思っていたに他ならない。

年代が変われば人の見方も変わると信じてきたのである。

今の自分は劣等感が生んだものであるし、彼の自伝は敢えて読んでいないが、彼の活力もまた何かの劣等感に起因するものと思料する。

しかし、世の中の男性の結構多くは女性がトリガーとなって頑張っているのではないかな?と思うのである。

時々、「この人は何がトリガーとなってここまでやるのか?」と思う人がいる。
努力をすることに関してはただ敬服するしかないのであるが、人に恨みを買ってでも地位、名声を上げようとしているのは何の目的があってのことかと思う。

金なのか?あって困るものではないが使い途は決まっているのであろうか?

勿論、人にはいろいろな価値観があっていいのだが、もしそのトリガーが女性であるならば、ほどほどにしておいた方がいいと思うのである。

男の顔は自ら作るとは言うが渋みとは違う悪相がにじみ出るからだ。


そろそろ人生の決着がつく年代になってきたため、私は紀州ドンファンのようにはなれない。

しかし、この歳になって憧れのような存在ができたというのは悪くはない。