恩着せがましくなってはいないだろうか?
好きだからといって何かをする。
例えばプレゼントをする。
今はクリスマスだし、ちょっとそんな気分となる。
しかし、それが本当に彼女が望むところのものか?というとわからない。
むしろ大きなお世話なものだったりするかもしれない。
ある時に渡したアクセサリーを彼女がしてきた。
嬉しかったのであるが、彼女が「していかないと」という気分になっていたのであれば、それはちょっと違うのかもしれない。
プレゼントを例にとったが、何か施しをしたと思う時にそのリターンを求めてはいけないのであろうね。
もう1つ言えば、自らがしていることに対してお相手がどれだけしてくれているか?の比較などしてはならないと思うのだ。
これを始めると負のスパイラルに陥る。
「やってあげている」という気分になるのだね。
「私はこれだけしてあげているのにあなたは・・・」と、こうなってしまうのだ。
今まで何人かセフレという存在がいて、その別れを感じる時は私がそれを感じ取った時でもある。
定期か不定期かを別として、何度かベッドを共にする。
当たり前の話として、そこに特別な感情が起きないわけがないのである。
男というものはそうしたものなしにセックスができてしまう生き物ではあるのだが、複数回会おうと思うのは、そこにプレイをするということとは別の感情が起きているからなのである。
しかし、それを出してしまい過ぎてもいけないと思っている。なぜなら、それでお相手が勘違いをしてしまうことがあるからなのである。
そして、始まるのである「◯◯してくれない」と。
それが始まった瞬間に恋人気分なわけである。
もう終わりかな?と思うのだ。
私がセフレにする女性は配偶者がいて、基本的には彼氏がいる方、としている。彼氏がいない場合もあったが私には彼女がいることを告げている。
彼氏がいない場合は致し方ない面もあるとは思うが、彼氏がいる場合は私の存在は間男に過ぎない。
しかし、そこにまで愛を求められ、気持ちのリターンを求められると「終わりにしないといけない」と思うのだ。
それを「欲しがり」とは言わない。なぜなら男でも特別な感情が起きるのだから女性にはそれがないとそうにはならないことなど承知しているつもりだからなのである。
ただ、それを前面に出してくるようになったならば、隠しきれなくなったならば、終了なのだと思うのだ。
プレゼントを用意しているという。
「プレゼントまで用意しているのに…」
しかし、クリスマスはその人と過ごすためにあるわけではない。
人のふり見て…なのである。
対彼女さんとて、所詮世間から見れば不倫でしかない。毎日、お互いに愛してるとメールしていても不倫でしかない。
現実論として、彼女には彼女の生活がある。
踏み込んではならない部分があるのだ。
そこを勘違いしてはならない。
踏み込んで、恩着せがましくするのはもってのほかなのである。