ゲスな男、ゲスな女(9年間の不倫と今の戯言)

40過ぎに女の味を知ったショーもない男のブログです。言いたいこと言うばかりで参考にもなりゃしないと思います。コメントは承認制にしているので、非公開の場合はその旨書いてください。

まだあきらめきれない貴兄に。

別に何かを悟ったわけでは全然ないし、むしろ煩悩の塊であるのだが、私自身は社会的な枠組みの中で粛々と生きることについて一定あきらめをもって過ごしている。

何か「こうすることが正義」というような自分なりの常識は不倫ということを始めてしまった時に欲望に負けてしまったわけであるが、それでも尚、ちょっと社会にすがりつきたいと思ったのも事実なのである。

しかし、それはまさに独りよがりなことでしかなく、そしてそうした考えを持った時には既に自ら外れていることを自覚していたのである。

しかし、まだそれにすがるのは、もしかしたらステディに社会の一員、しかも日本カーストの上の1割くらいに「見せたい」ということのような気がするのである。

しかし、ステディはそんなことを望んでいない。
別に社会の1割層にいなくとも元気でいてくれたらそれでいいと思っているらしい。
肩書きなんてどうでもいい、とね。そう言ってくれる。

ありがたい話さ。私にプレッシャーを与えない。
だからステディの思ってくれているように自分の狭い価値観を変えないといけないと思っている。

しかし、一方でこの不器用な私が「山に籠って陶器を作る」とか「マタギとして生きていく」とか言って行動したところでステディは喜んでくれるのかな?とも思うのだ。

応援はしてくれるであろうけど、いつか幻滅されることは確実だよね。

そんなバカはしないけど、今のところに留まるつもりもないというのが私の考え。

それもこれも先は見えているからね。
つまらないじゃん。
私も彼女もね(笑)

だけど、自分の立場を保持しつつも、いや、それを最優先にしつつも、彼女さん作り、お付き合いの中でもそれを出すってなんなのかな?と思う。

全否定できないのは私も同じようなことで悦に入っていた時期があるからね。

しかし、先が見える歳ってあるじゃん?
なのに本当に大切なことをないがしろにしてまでそれに固執する姿は客観的に見て滑稽にしか思えない。

今とは言わない。近い将来に於ては何が大切なのかな?と思うのである。
男が勝手に「英雄色が好む」と悦に入ってはいけない。

確かに女性も社会的立場に弱いところはある。
しかし、それは選ぶ段階に過ぎない。
だって比較の問題だからね。

人間関係をより深く持ちたいなら、ちゃんと自らの進化発展を今の自分の世界ではないところに持つべきなんだろうね。