ゲスな男、ゲスな女(9年間の不倫と今の戯言)

40過ぎに女の味を知ったショーもない男のブログです。言いたいこと言うばかりで参考にもなりゃしないと思います。コメントは承認制にしているので、非公開の場合はその旨書いてください。

ふる、ふられる

別れの時に一般的にはふられる方がふるよりも精神的に楽であると言われる。

確かにその論理はわからないではない。
別れを切り出すのはふる方であり、確かにそれは大きな精神的な負担になるのである。

お付き合いをしていることの方が精神的、肉体的負担が大きい…だから別れを切り出す…とても勇気のいる行為である。

私はどちらかというとこの「ふる」という行為を多くしてきている。私がセフレとしてお付き合いしてもらった女性は100%そうであるからふった経験の方が多い。

しかし、セフレというのは恋人とは違いいつの日かエンドが来るのであろう覚悟を持ってお付き合いをするお相手である。そして、ここには何度か書いている通りにお相手の精神状況があるレベルに達すると別れを切り出す…という自分なりの身勝手なルールをもって接しているからこそふることもできるのである。
また、正直なことを言えば、これ以上何も生まないな…と思った時に別れを切り出したこともある。

こうしたことを考えるとふるという方が辛いというのは本当なのだろうか?と思うのである。がまんの臨界点が低いということに他ならないであろうか?

恋人同士という関係は実はストレスが高いお付き合いをしている場合がある。
そう、お互いにがまんをし合うということをしなければならないことも多々あるのだ。

この関係に於いてのふる、ふられるについて言うとどちらががまんの限界に来たか?というような表現ではなく、どちらが根負けしたか?ということに近いような気がする。

この場合にはふられる立場の方が辛いと思うのだ。
なぜなら、ふられた側もそれ相応のがまんというものをしているからなのである。

それは交際期間が長ければ長いほどそういうことになるのではないだろうか?

もちろん自分に嘘をついてまでお付き合いを継続することはない。

しかし、こうした別れの際は相手もどう考えていたか?どういう思いであったか?を斟酌しないといけないと思う。

勇気を出して別れを切り出せたからと言って、それまでのがまんを吐き出すかのように相手を責めるのは人として如何なものか?と思う。

そうした民度の低い人と長い時間を過ごしてきたことに一番がっかりさせられるのである。