別れる勇気があるのは…
私はつくづく女性は強い生き物であると思っている。
もちろん「生活力があれば」という条件はつくのであるが離婚をする勇気を持っているのは女性の方である。
これはなぜかな?と思うと子供の存在というものが大きいと思う。
最終的に親権は何れが取るかわからないが、ほとんどの場合、子供の気持ちがついて行くのは母親であるし、それを母たる女性も父たる男性も意識しているということになる。
当たり前かのように家長として一家の経済を支えているかのようにしてはいるものの、それはあくまでも経済的に仕切っているというものに過ぎず、それがなくなる、または必要がなくなった時にどれだけ自らが弱い存在になるかは十分に理解をしているのだ。
更に言うと男というのは非常に世間体を重んじるところがある。
表面上は「子供のために別れられない」と嘯きながらも、本当は社会的な立場を重んじるからであって、現役中に別れられることは「奥さんに三下り半つけられたらしい」と後ろ指をさされることの方が重要な理由なのであると思う。
退職をしたとたんに退職金を折半して別れる熟年離婚というのは、イニシアティブとタイミングは女性が握っているのは確かに事実であろうが、男性も応じざるを得ないということになる。
こうしたことを考えると男は金があってナンボということになりはしないだろうか?悲しい生き物ではある。
最初に女性に「生活力があれば」と言ったが、もう1つ言えるのは「生活を下げることができないくらいの習慣づけ」をさせてしまうくらいに金漬けにするということか?
こういうことを言うと「コイツはつまらない人間だ」と揶揄されることもあるかもしれないが、現実を見て欲しい。むしろそんなことが真っ先に思い浮かぶ人ほど現実逃避をしているのではないのではないだろうか?
私の場合は今のステディと将来はセカンドパートナーになることを話している。
だから三下り半をつけられた方が好都合だ…本当にそうなのであろうか?
先ず、前のステディともそんな話をしていた。しかし、フラれた。理由は痛いほどわかっている。
そして、加えて今のステディは生活力がある。その中で私のことを好いてくれているのはありがたい話なのであるが、果たしてそれがいつまで続くのか?というところがある。前例があるからね。そして今の方がハードルが高いことは間違いない。
私の取るべき方向は当たり前のように決まっている。
内面を磨く。
そして、
ステディと一緒になれることを目指して、今よりも稼げるようになる。好きなことをさせてやれるように…
これって、若い時の純真であった自分と何が変わるであろうか?
男とはかくも純粋で真面目で弱くてバカなのである。
私ほど頭がおかしくはないだろうが、男ってそんなところがあると思う。如何に普段強く振る舞っていてもね。慈悲の気持ちを持って、女性はそういう部分の男を見て欲しい…と願うのは如何にも図々し過ぎるか…?
もし、半世紀生きてきて少し賢くなったとすれば、これからの自らのセーフガードとして一人でも生きていく力、家事ができたり、質素に生きたり…人生を豊かにするために趣味の世界に没頭したり…そういう訓練もしないといけないのかもしれないと切に考えるのである。