言葉でごまかす
これまで何度ごまかしてきたことか…
正直なところ懺悔しなきゃいけないことはたくさんあるのだ。
なまじっか弁が立つ、言い過ぎだな…屁理屈が上手いのである。そう、言い訳がスッと出てきてしまうのである。本当にタチが悪い。
だから言葉でごまかしてきたことが本当にたくさんあるのだ。
その代わり逆ぎれしたり無視したり(黙りこんだり)ということは一切しない。
これは男女間だけでなく、仕事でもそうなのである。
どちらがいいのか?と言われると非常に微妙であると思う。どちらも良くないと言われればそれまでなのであるが、人間逃げたい時もあるのではなかろうか…?
自分がそういう人間であるがためにお相手にも完璧は求めないし、言い訳も許している。許容こそが人間性の柱であると思っているし、それができないのであれば自らも律していかないといけないと思うのだね。
しかし、世の中見ていて如何にも「自分はさておき」という人が多いことに気づく。
本当はそういう人を攻撃すれば、瞬間的に悦に入ることも可能なのであろうが、そんなことをしてもなんの得にもならないことも事実なのである。
だからそういう人間も許容する。
そして「やる(努力する)」ことをしてくれれば、たとえできなくても評価したいと思っている。
そう…私の中ではやらずして開き直ることが一番いけないことと思う。
だからこそやるように仕向けるということも必要、そうしたテクニカルなところも自ら持たないといけないと思う。
私はもともとわがままで、それこそ「やらない言い訳をする」人間であった。
しかし、それを変えてくれたのは前のステディだったよね。本当に感謝している。
私に妥協…許容してくれる場面はあまりなかったかな?本人にそれを言ったら「たいがいがまんしたけど…」と言われそうだけどね。
今思えば…というところだけど、そうしたパートナーと長い期間お付き合いをしたというのが自らのちょっとした成長に繋がったのかな?とも思うよね。
「恋は盲目」というけど、そういうネガティブな意味を含むものではなくてね。
そして今、縁あって本当に我慢強い女性とお付き合いをしている。
もちろん、それに甘んじることはしないのであるが、ここで「口先男」を治さないといけないと思っているのだね。
たぶんそれは治癒されると思っている。彼女の手によって。
本物のホスピタリティーと許容をもって、人に接した時、人は変わる、少なくとも変わろうするということを自らをもって教えられている。
その教えを他人にも施せるようになって初めて自分のものになったと言えるようになるのだろうね。
過去を懺悔する前に自戒することで前に進まないといけない。