ゲスな男、ゲスな女(9年間の不倫と今の戯言)

40過ぎに女の味を知ったショーもない男のブログです。言いたいこと言うばかりで参考にもなりゃしないと思います。コメントは承認制にしているので、非公開の場合はその旨書いてください。

余裕ない時には…

当たり前の話なのではあるが、何ごとも余裕がある時ほどうまく回転をするものなのである。

時間、経済的に。健康なんていうのもそうだね。
そして何よりも心。

それらが充実している時にはいろいろなことがうまくいくことが多い。

仕事でも次の一手が打てるのはそういう時で、だからこそ先も読めるということだね。

逆に余裕がない時には何をしてもダメということが多くて、これを打開するには大きな幸運が舞い込んでくるか、地道に余裕を持てるところを作っていくしかないのである。

ラッキーというのは意外にも多いのであるが、これだけを待っていては何も起こり得ない場合もあるからやはり地道に穴埋めし、そして余剰を作る努力をした方がいい。そうした行動をすることで、よりラッキーが舞い込む確率も上がろうというものである。

男女の関係においても余裕がある時ほどうまくいくというところがある。お相手を幸福な気持ちにさせるには、自らが幸福で余裕があることが最大の条件である。

私の場合、なんだかんだ自らに言い訳をしてステディの他にセフレを作ってきた。

過去を振り返るとステディがいない時にもセフレを作ろうとした時もあったが、いる時といない時を比較するといる時の方が圧倒的にセフレができる確率が高かったのである。

普通、セフレ募集なんて…相手にされないと思うのだ。しかし、私はそれを隠さずにやりたかったんだよね。

もちろん、サイトのプロフィールのコメント欄は工夫はしたつもりである。ステディがいる時には「彼女います」と書いていた。

アクセスしてくるメールの数はあまり多くはない。当たり前の話だけどね。ただそれを比較すると「彼女あり」と書いた方が明らかに数は多かった。

そして、そこから出会える、というか寝られる確率も高かった。

たぶんそれはサイトでのメールや会ってからの余裕があったからなのだろうね。

逆にいない時には どうしてもがつがつ感が出てしまっていたのかもしれないね。

自分ではそんなつもりはないのだけどね。
今思えばそんな気がする。

所詮不倫だからね。
女性も清さを求めてはいないということかな?

それよりも余裕をもって接する異性を求めているのかもしれないな。