セックスは巧い、下手ではない。
ある女性とお付き合いをしていた頃、私が自らの経験値の低さを嘆いたところ
「セックスに巧い、下手はない」
というようなことを言われたことがある。
この時はこの言葉に大変救われたような気がするのである。
確かに振り返ってみても「合う、合わない」という表現の方が正しかったように思うのである。
しかし、やはりセックスには「巧拙」というものがあると思うのだ。
自らのことを言えば、こうしたことを始める前には下手くそ過ぎたと恥ずかしく思うのである。
「やりたい」という気持ちは今も変わりないのであるが、そのはやる気持ちが前面に出すぎて余裕のないセックスになっていた。
幸か不幸か?若い頃に年上の女性に囲われているも同然のような時期があったために、そこで手ほどきを受けて、その女性に合ったセックスはできるようにはなった。
その結果、セックス=お互いが楽しんで初めて成り立つということだけは概念としてはわかるようになったわけである。
そこは良かったのであるが、女性経験が少なかったことによる余裕のなさと実技?が伴わなかったのであった。
巧い、というのはAV男優のような実技を持っていることだけではないことくらいはわかる。
女性を悦ばせるとは何も何度も逝かせることだけでなく、興奮してあっという間に暴発することがある方が女性を悦ばせることもあるのだ。
しかし、一方でそればかりでは女性は満足はしない。
やはりじっくりと時間をかけて愛すこともできないと悦んではくれないのである。
このあたりのバランスがあって初めてセックスが下手ではないというレベルになるのであると思っている。
一応その程度の域には来たかな?と思っているのである。自己評価に過ぎないけどね。
「セックスは巧い、下手ではない」と言ってくれた女性についても、その間に私にお付き合い頂いたセフレさんたちで試した実技の結果、私とのセックスが気持ちよいレベルになり、ついには楽しいと言えるレベルになったんだよね。
結果としては「浮気」していたということになるんだけど、当時の彼女に悦んでもらいたかったし、下手くそなセックスで離れていって欲しくはなかった。
浮気相手であるセフレさんたちには大変感謝しないといけないと思うのである。
当時の彼女とセックスという遊戯をする上での「余裕」と「実技」を私にもたらせてくれたのであるから。
だから、敢えて言えばセックスの巧拙というのはあるのだ。
それが下手くそで無くなったからこそ、当時の彼女とのお付き合いは6年にも及んだし、恋人同士で無くなった後もセックスをしたこともあったのである。
今も彼女と呼べる存在はいる。
彼女という存在がいると何故かモテることは以前にも書いた。
二人セフレができそうなことも書いた。
そのうち一人はセックスすることがほぼ決定した。
この経験は彼女に使おうと思う。
つくづく自らを最低な男であると思う。