若き頃の不倫の追憶13~サービスタイム
私が若い頃、このサービスタイムというものがあるところがなかった。
だから薄給の中でラブホ代というのはかなりの負担であったということを記憶している。
当時、サービスタイムというのを作っていたのは渋谷の某ホテルのみであとは2時間とか3時間という設定であったと記憶している。
若き時の私はとにかくセックスがしたくて、しかも強かったためにこのサービスタイムがあるホテルに憧れた。
しかし、彼女も私も都内ではあったがどちらかというと西側であり、デートをするのは都下や埼玉のあたりであったために「サービスタイム」が伝播するまでに時間がかかった。
当時高額所得者の妻であった彼女は「デート代支払うよ」と言ってくれてはいた。しかし、それは私が嫌で、デート代は全て私が負担していたのは前に書いた通りだ。
だから、当時はホテルに入ってもかなり時間を気にしていた。
一度解放したものだから、暴走した我が性欲はとどまるところを知らなかった。
それの受け手であった彼女もそれを甘んじて許してくれていたのだ。
到底2時間では足りなかったのである。
だから3時間のところを選んで行ったが、それでも足りなかった。
いつの頃からかな?
このサービスタイムというのが、他の地域にも伝播した。
夕方5時とか6時までゆっくりと楽しむことができるようになったのであった。
私が若い頃、年上の彼女と付き合い始めた時というのはバブル弾けた直後くらいであった。
徐々に人々の懐具合が怪しくなっていく中で、ラブホも空室率が高くなって行ったのであろうね。
そこで他のサービスを展開させるよりも効果があったのがサービスタイムだったのかな?と思う。
あまり好きな町ではないが、渋谷がラブホに於いても情報発信源だったのであろうね。
今やこの地に於いてもサービスタイムはどのホテルでもある。二部制を取っているところもあって中途半端な時間に入ると「追徴」されるところもあるが、最長で11時間いられるというのが普通になっている。
去年セフレさんと入ったところは24時間制を取っていて「何時に入っても24時間同一料金」というものであった。さすがに24時間はいないが、やはりいつの時代も長くいられるのが最大のサービスと見えて田舎町の古いホテルであったが、平日でもそこそこ駐車場は埋まっていたね。その分寒かったけどね(笑)
今もサービスタイムというのは助かる。
その理由は若き頃に「何度でもできて時間が足りない」というものでは勿論ない。
十分なインターバルを置かないと私の精力を見せられないという意味でね。
当時の中年世代にも、そういう意味でニーズが高かったのかな?なんて思うんだよね。
つづく