ゲスな男、ゲスな女(9年間の不倫と今の戯言)

40過ぎに女の味を知ったショーもない男のブログです。言いたいこと言うばかりで参考にもなりゃしないと思います。コメントは承認制にしているので、非公開の場合はその旨書いてください。

気を遣わない関係なんてあり得るのであろうか?

出会い系サイトのプロフィール欄に「望む相手」というのが書かれている場合がある。
と言うか書かれていないプロフィールは私はあまり信用しないようにしている。

望む相手もいないのに出会いは求めないのではないかな?と思うのである。だからなんとなく登録している女性のプロフィールだと思ってしまうのだ。

書いてあるケースで目につくのは、以前にも書いたが「価値観が同一」というもの。これは要するに価値観を合わせて欲しい=甘えさせてくれ、というものに過ぎないのではないだろうか。

斯様なちょいと小難しい表現で美しくまとめているが実は抽象的という内容のプロフィールの女性の裏の心理が読めれば、割合楽に出会いに至るということのようだ。

私の場合は「いつまでも気を遣わせてくれる女性」がいいと思っている。

これまた時々あるのだが「ストレスのない関係を築きたい」みたいなのがある。

たぶん配偶者などから抑圧された生活を送らされ、不倫関係では同じようになりたくはないとの思いからくるのであろうが、これまた甚だあやしいなと思っていて自らだけが気を遣わない関係を望んでいるだけなのではないかな?と思うのだ。

そんな関係などあり得ないと思っているし、もしそれをしようとすれば、関係は片務的になり、関係に無理が来るということになる。

そういう甘ったれた関係を望んでいない。
だからこそかえって「気を遣わせてくれる女性」の方がいいと思っている。

男である私がそういう「広めの待ち」をしておくことによって、女性の選択の幅も広がる。

こう言ったらなんだが、この状態にあればお付き合い開始後の選択肢は私にあると言っていいと思う。

それにしても気を遣わない関係なんてあるのかね?