女の演技、男の演技
「女は演技するから…」
そう言われたことが何度かある。
私との情交でも演技をしているのか?
それとも私との間ではそれがないとでも言いたいのか?
よくわからないが、この表現は否定的な意味で使われることが多いような気がする。
つまり、男のセックスが下手なのだけれど女性は感じたふりをしているということだから、演じている女性を見て悦に入ってはならない…ということなのであろう。
私はこの言葉をあまり否定的にとらえたことはない。何故なら女性は演技してでもその男性を傷つけたくない、喜ばしてあげたい…などと考えているからこその行動ではないだろうか?
演技という施しを受ける側としては確かにそれに甘んじてはならないのであるが、女性が自らに好意を抱いているのは間違いないわけで、どういったレベルにあってもセックスをするということの基本はこの「好意を持つ」という感情であろうから段々と二人が共に満足できるセックスを作っていけばいいのではないだろうか。無論、お相手が演じていることに気づいて初めて、のことだけどね。
愛あるセックスというレベルではなく、大人の遊戯というセックスであっても演技は「必要」なのかな?と思う。
そうそういないが男性遍歴が多く、セックスを大人の遊戯と考えている女性とお手合わせするとこの演技を感じることがある。
それは私に対する好意というよりは私を興奮させ、自らも興奮するためのプロセスのように思える。
声の出し方、台詞、身のこなしなど…演じていないと言ったら嘘になるのである。
かくいう私も演じることがある。
あまり巧くないフェラに声を漏らすことがあるし、射精したふりをすることもある。
セックスは動物の交尾と異なる。基本的には必要に駈られてするものではない。
ならば、先ず楽しくなければならないのではないだろうか?
そこには演技の一つもあっていいと思うのである。