不倫と言えども恋愛、と公言する驕り
私が不倫というものを初めて経験したのは学生時代。すぐに別れてしまったのでちょっと忘れていた。
次が24歳の時。まだ私は独身であった。お相手は17歳上でもともと知り合い。そのことについては何度かここに書いている。
私が失恋した直後であったから彼女は「自分で良ければセックスの相手になる…」。
その頃にそんな言葉はなかったと思うが、セフレになることを不憫な若者に申し出たのである。
知り合いである時から憧れを抱いていた若者は彼女にフルにぶつかる。もちろん恋心を抱く。しかし、その一方で今自分がしていることが悪いことということの法的整理も調べ、自らの立場を認知していた。
むしろ最初は冷静に対処しているかに見えた彼女が舞い上がっていくにはそう長い時間はかからなかったのであった。
次第に私に対して過干渉になり、独占欲が強くなっていく。「次の彼女ができるまでの間」などと言っていたものが、接待さえも他の女と会っているのでは?と嫉妬するのである。
私としても憧れの美人さんが我が物になっていくことを悪くは思わず、完全に恋人気分になって行ったのであった。
現によく二人で行ったスナックでは恋人同士で通るほど仲睦まじかったのである。
だから不倫と言えども恋愛でありたいとは思う。それは前カノの時もそうだし、今もまたそうなのである。
たまに他人さまの不倫ブログを読むことがある。
堂々と「これが恋愛」などと書いている。反対する意見にも反論をする。
これはどうなのかな?と思うのである。
中には「法に反していない」などという滑稽な反論までしてしまっている。
確かに刑法に反してはいない。警察に捕まるようなことをするのが、事の善悪の尺度の1つであることは事実であるが、間違いなく法令違反している。民法違反。不法行為を犯しているのだ。
だからこれを恋愛というのは当人同士。広げてもよほど信頼のおける、理解者だけだと思うのだ。
たとえ親友と思える人でもこのことについて理解を示してくれない限り話してはならないと思う。
それで友情が崩れたり、その親友が原因で自分たちが考える「恋愛」が崩れたりすることもあるのだ。
それほどまでに常識に欠けたことをしているということなのだ。
それを心に抱いて、慎ましやかに今からの時間を過ごしたい。