女として認められないからという誤認
私のセフレとなってもらった方は基本的には既婚者で、かつ彼氏さん持ちである。
しかし、そうではない方も何人かいた。
私に彼女がいることを知りながら、それでも…というような彼氏さん持ちではない方である。
そうしたことを始めた初期の頃に多かった。
そうした女性たちのほとんどは自分たちが周囲から女性として認められてはいないのではないだろうか?という思いをもってのことであったようなのである。
もちろんそれはジェンダーとしてのものもあるのであろうが「○○の奥さん」とか「△△のママ」とかいう呼称となり、アイデンティティを喪失しているかのように思えていることも原因となっていたようだ。愚痴のようにそうしたことを言ってきた人もいた。
こうした方とのお付き合いに於ては、名字ではなく名前(ファーストネーム)で呼ぶことによって、私との関係ではアイデンティティを明確にするということが必要であると考えていた。
次にはやはりジェンダーの部分、なのである。
私の目的としてはセフレであり、それも明確に伝えているのだが、何年もそうしたことと縁遠かったということが容易に想定できるために無理は禁物ということになる。
何回かのデートの中で手を繋ぐことから始め、キスをして…と段階を踏まないといけない。
そういう意味ではステディ作りと何ら変わりはない。その点では彼氏持ちの方が断然話が早いのである。
そうしたことを重ねているうちに変化が表れてくる。なんと表現したらよいかわからないが、女っぽくなっていくのである。
もちろん、当初から服装などはかなり気合いを入れてきているのであるが、段々とナチュラルに女らしくなっていくのである。要は気の持ちようであり、自らのジェンダーを見せようとする対象がいればそうなっていくというもので、女として認められていないなど誤認に過ぎない。
このあたりまで来ると「そろそろご卒業かな?」と思うわけである。恐らく普通に男性とお付き合いができるだろうからね。長引くと気持ちを弄ぶことにもなりかねない。
こうして考えると彼氏持ちのセフレよりもこうした女性たちとのお付き合いの方が学んだことは多かったような気がする。
セフレを作ろうと思ったのは単純にセックスが人並みになりたかっただけなのだが、セックスはお付き合いの中ではほんの一部分。
必要なことは如何に気遣い、配慮ができるか?だから。
そこは親しくなっても絶対必須条件だからね。
その修練としては良かったかな。