ゲスな男、ゲスな女(9年間の不倫と今の戯言)

40過ぎに女の味を知ったショーもない男のブログです。言いたいこと言うばかりで参考にもなりゃしないと思います。コメントは承認制にしているので、非公開の場合はその旨書いてください。

なんでその線で行こうとするのか?

一般人ですごくいい男がいたとしよう。
私のような人並みかそれ以下の男からするととてもうらやましいのである。

昨日か?書いたが、男が上を目指すトリガーとして女はつきものだと思っているのだが、こうした人は自然と女が寄ってくるので、その部分においては活力が生まれないのではないだろうか?と思ってしまう…というくらいに仕事ができない、いや、人の心が掴めないというのも何例も見てきている。努力をするファクターが一つ欠けているのではないのだろうか?と思わざるを得ないのである。

むろん、見た目良くてもそのあたりのことも完璧にこなしている男もいる。
その対象には羨ましさを抱いてはならない。
おそらくは見た目に中身を伴わせようと相応の努力をしているからなのである。そこは羨望よりも尊敬に値するというものなのである。

私のような月並みかそれ以下な奴が恋愛なんぞをした日には、とにかく一生懸命お相手に対してするしかない。

それが女をつけ上がらせる原因となることもある、という経験もしているのであるが、そうじゃない場合…つまり自らが慣れないくらい愛され、ついには見た目までも褒められたりするような状態になったとしよう。

勘違いするのである。
一番近しいと思う存在に褒められたりすると本当に勘違いする。
私が単純、いや、あえて純粋と表現したいのであるがそんな人間だから、なのかもしれない。

ステディから日々見た目を褒められた、としよう。
豚もおだてりゃ木に登るがごとくに私も高いところに昇る。

そうするとだ、過去の暗い女性経験なんて忘れてしまったかのように「俺はいい男」気分になるのさ。

もともと、そんな存在ではないから、そしてステディをハントできたのもその線ではなくて「笑い」、つまりは「楽しい人」であったにも拘わらず、急にニヒルになってみたりするのである。

とたんに努力しなくなる。
アホだね。

自らの良さって何か?と言えば道化を演じてでも笑いを取る、つまりは人を楽しませることが本分ではなかったのであろうか?そのために努力した結果?経過?が今の自分でありたい。

なのに…ステディにはカッコつけてしまうのだね。
ちょっとニヒルに。気持ち悪いだろ?

ちゃんと意識しないといけないと思うのさ。
何故ステディが私のことを好きになり、好きでいてくれることを。

だから自らの理想は横に置きつつ、ステディをいつも笑顔にさせないといけない。

それが私ができることだからね。

甘えてはならない、ということだね。