ゲスな男、ゲスな女(9年間の不倫と今の戯言)

40過ぎに女の味を知ったショーもない男のブログです。言いたいこと言うばかりで参考にもなりゃしないと思います。コメントは承認制にしているので、非公開の場合はその旨書いてください。

当たり前と思ってはならない

客観的に見て、自分が特別な存在ではないことくらいの分別くらいは普通に社会人をしていればわかるはずだ。

そんな私がこの歳になって、金銭以外で女性に求められることがあるならば、それは感謝しかない。

それを当たり前と思ってはいけないのだね。

だって自己評価をすれば人並以下の容姿と人並以下の人間性なのであるからね。

こうした自己分析ができた上で言うのであるが、ここ10年余り、女性に困ったことはない。

不思議なのである。

しかし、ここで勘違いしてはいけないと思うのである。単にお相手が良かったのではないかな?そう思わないといけないと思うのである。

本当に恵まれていたと思うよね。

そこを自分自身の人間性として「当たり前」なんて思ったらいけない。現にまだ欲望の塊なのであるし、1日のうちで何度も悪い自分が出る人間なのだ。

こんな私を今でも毎日「好き」と言ってくれる女性がいるということを有り難く思わないといけないし、だからこそ現状維持で良いわけがないと思わないといけない。こんな自分では申し訳ないと思っているのである。

むろん、外面的なことに関して言えば落ちていって当たり前であるのだが、それこそ現状維持をする努力をしていくということをしないといけないと思っている。

むしろ内面的なことはまだまだ磨けると思うのであるね。

とりあえず今の自分を好きでいてくれる。しかし、これが「できあがり」の自分と思ってはならないし、そこにあぐらをかくようなことはしてはいけない。

お付き合いが深くなるということは嫌な部分が見えてくるということもあり得る。
そうしたことを直す努力はしなければならないし、七難隠すではないが秀でたる何かを持たないといけないのかもしれない。

愛されるということは非常に心地よいことではあるが、何故愛されているのかを考えないといけない。

しかし、これは恋愛に限らないのであるが人は認められたとたんに努力を怠り、ともすれば劣化の一途をたどる。

それをしないためにもいつも意識は高く持たないと…

繰り返しになるが、当たり前と思ってはいけないのだよね。