ゲスな男、ゲスな女(9年間の不倫と今の戯言)

40過ぎに女の味を知ったショーもない男のブログです。言いたいこと言うばかりで参考にもなりゃしないと思います。コメントは承認制にしているので、非公開の場合はその旨書いてください。

セックスは過剰なのか?

まさに今セックスが嫌いな女性の話を書いているので、すべての女性がセックスが好きとは言わないのであるが、それはパートナーもまたあまり好きではない、パートナーそのものがいない、または嫌な過去の経験があるということがほとんどであり、それ以外の女性は「好き」というのが私の経験のうちにある。

それは本能ということを利用してセックスという遊びをしているならば当たり前の話で、そもそもが本能という点からすると女性が「さかる」ことをしないと交尾は始まらない。

自然界においては交尾は子孫を作るという点においてはかなり崇高なものである。
それが遊戯になったのは人間が高い知力を持つということもあるが、かなり繁殖力が高いというのは一年中繁殖期ということであろう。もちろんそうなるには高い文明があってこそ、つまりは無防備な繁殖という行為を安全に過ごすルールを自ら作っていったからであろう。

自然と本能を中心に考えれば、それは本能から逸脱した「過剰」という言葉で整理できないでもない。
平成の始めにそれを言っていた学者(大学教授)はいたし、私もそう思っていた。

それで整理がつく、そして整理をつけないという流れ、特にリーバイス創始者であるレビィストロースが周辺部=欧米文化を見直すが如くの本能から発するアフリカなどの文明と文化が昇華されつつあったためにそれも致し方ないことなんだろうなと思っている。

亜種の間で子孫を作るということが当たり前になってきた時代でもあった。
しかし、ナショナリズムというのはどこにでもあって亜種(ハーフ)はかわいいとわかっていてもそれが進まないのはアンチテーゼではないかと思っている。

何せその時の私はその考えを信奉していたのであるからこんな考えすら持たないし、それをつい最近までそう思ってきたのである。

それに反する、つまりはほとんどの自然に勝ってしまうというガリバーな人間という産物が隆盛を誇る中では、そんな論理は通用しないと思っている。

その話はまた書くとして、私がこんな考えになったのはごく最近、何人かの女性と逢瀬を経験してからである。

だから経験なのだね。

当時そんなことは思わなかったけど、教授さん、どうでもいいような女流作家のチチを揉んだりキスしたりしたのをFRIDAYされたんだよね。

当時は情けない話と思っていた。信奉していたのでね。

しかし、今はわからないでもないかな?と思う。

ただね、そうした時に彼の論理は変わらなかったのかな?と思う。

私なら変えるかな?

手のひらは返すためにあるからね(笑)