ゲスな男、ゲスな女(9年間の不倫と今の戯言)

40過ぎに女の味を知ったショーもない男のブログです。言いたいこと言うばかりで参考にもなりゃしないと思います。コメントは承認制にしているので、非公開の場合はその旨書いてください。

セックスは演じないと。

女は演技するからね…そういう話はよく聞く話である。

自分の相手を傷つけまいとして感じているふりをしたり、逝くふりをしたりと…如何に下手でも満足しているふりをするというものである。

お互いにことを楽しく過ごしたいということなんだろうけど、こうした態度が男性の向上心を削ぐような気がしないでもない。

しかし、それに甘んじてはならないのであろうなと思っていてはならないのは男性の方なのであろうね。

私がセフレという存在を作っていた理由のひとつは自分の実力値を上げたいと思ったこともあるが、ある時期からは実力値を知りたいと思ったところもある。

嫌われてもいいとお互いに思う関係に於いては演技することも少ないのではないだろうか?と考えていたし、それで感じてくれるのであれば時のステディにも通用するのかな?なんて思ったりもした。

だからプレイは一生懸命したよね。試技もしたことはあったが基本的にはステディとしていることをそのままセフレにもしたというところがある。

しかし、この演技というのは否定的にとらえたらいけないのではないかな?と思うのである。

演技させないほどのテクニックを持つのもいいが、お互いに演じる部分があっていい、いや演じないといけないと思うのだね。

お付き合いをしている間柄に於いてセックスをしているのはほんの短い時間である。

それはいつまでも非日常でありたいと思うのだ。
特別な時間でありたい。

だからそんな時くらい素を離れて演じていいのだと思う。
そして、どう演じたらお相手に合うのかを追求していけばいいのではないかな?と思うのである。

思うがままにやってしまってはいけないのではないか…とね。

私は男だが演じることもある。
お相手が果てた時に逝くふりをすることがある。
だいたいの場合は女性が果てた後にまで居残るのは無用の長物だからね。

お相手が感じてくれ、更に悦びを逝くという現象で表してくれたら私のセックスはそれで満足なのである。

だからそれでフィニッシュでいいんだと思うんだよね。