ゲスな男、ゲスな女(9年間の不倫と今の戯言)

40過ぎに女の味を知ったショーもない男のブログです。言いたいこと言うばかりで参考にもなりゃしないと思います。コメントは承認制にしているので、非公開の場合はその旨書いてください。

生活臭がしない。

このブログのコメントでも頂いたことであるが、私は生活臭がしないらしい。

リアルな世界でも表面上の私しか知らない人はそういう風に思っているようだ。「仕事」と「遊び」しかしていないかのように見えるらしい。

その間に「生活」というものが見えないと言われる。

この私の生活臭というものを一番感じているのは、もしかしたら今のステディなのかもしれない。

前のステディについて言うとこの生活臭がするのを極端に嫌がった。要するにデートをしている時の自分しか欲していなかったということだね。だから彼女の前では演じきる必要があった。

今のステディは私の生活臭の見える瞬間を人間らしさと捉えてくれているようだ。

だからそれを見え隠れさせても何ら文句は言わない。生活=役割として致し方ないじゃない?それを一生懸命することに何ら悪いことはない、生活があるからこそ共通の話題が生まれるでしょう?そういう考え方を持っている。

確かにそれを嫌ってしまうと女性の方が家事をする機会は多いだろうから、彼女の意見は正しいのかもしれないね。

では何をやっているか?というともちろん主体ではないにせよ、家事全般をする。料理に至っては「好き」な方である。たまには掃除や洗濯もする。ゴミも捨ててから出社する。

料理が好きということは買い物にも行く。そして水などの重いものや雑貨で在庫が少なくなったものについては購入をしておく。

子どもとも遊ぶ。遊ばせるのではない。一緒に遊ぶのである。ただし、子どもが一番楽しく思え、満足がいくように仕向けることはする。

平日だろうと休日だろうとあまり睡眠時間を変えない。もしダラダラしているように見えることがあったらそれはこのブログを書いている今の瞬間であると思う。

生活臭というと非常に聞こえが良くないと思うのであるが、それが生活力となるととたんに話が変わると思う。

いい服を着て、高級車を乗り回し、いいレストランをたくさん知っている男性には私はなれない。そういう男性に憧れる女性も多いだろう。

しかし、生活力があるということはそれがホスピタリティーに繋がる部分があると思っている。気を利かせるという点でね。

さらに言えばそれが自然とできるってことが重要かな?とも思うのだ。

でも「普段」はそういうことを見せないでいたいと思っているんだよね。