ゲスな男、ゲスな女(9年間の不倫と今の戯言)

40過ぎに女の味を知ったショーもない男のブログです。言いたいこと言うばかりで参考にもなりゃしないと思います。コメントは承認制にしているので、非公開の場合はその旨書いてください。

下に見ない、下に見られない。

常々ここに書いているように男女のお付き合いは50:50だと思う。

むろん、一つのモノサシで計れば人の優劣はあると思うが、全体を通してみればあまり大差ないのではないかな?と思うのだね。

一番問題だと思うのはその劣の部分をとやかく言い過ぎるということである。もっと言うとそのとやかくが自らのモノサシだったりすると本当に性質(たち)の悪いことになる。

一般的に言ってもこうした人間は多い。表面的には謙虚にしていても、ふとしたことでこうした心の横暴さは出てしまうのである。人間関係がうまくいくはずもない。

かく言う私もそうした心の横暴さが現れてしまうこともある。「人は感情の動物だから」などという人がいるが、普遍性をもって自らのていたらくさを言い訳にすることこそ横暴極まりないと思う。

こう考えると意識的にしていないと50:50の関係は生まれない。

「そんな関係は疲れる」と思うかもしれないが、私は好きな人に対しての悪感情ではない気持ちの疲れであれば、それは心地よいものなのではないかな?と思うのである。

そこを意識せずにお相手の気持ちに甘えてしまうだけではいい関係は生まれない。

性差別はもってのほかであるが、年齢や生きざまなどで下に見るようなことはあってはならない。守るという気持ちと上から目線にならないということは併存して当たり前だと思うのであるが、それができていない男性が多いことに気づく。力の論理なのか?なんて幼稚な発想なのであろうか。

差別的な考えは社会の中では一定生まれるのは致し方ないことと考えている。しかし、身の回り、特に好きな異性に対してそれをしてどうしたいのであろう。

私の場合は逆の悩みを持ち合わせている。
常に下に見られないだろうか?と思ってお付き合いをしている。
むろん、だからといって去勢を張るようなことはしない。

ステディは私のことを下に見たりしないのであるが、彼女の豊富な知識量、快活さ、そしてホスピタリティーに圧倒されないようにしている。
だから日頃から研鑽するんだね。

少なくともホスピタリティーについては「負けない」ようにしたいと思っている。