ゲスな男、ゲスな女(9年間の不倫と今の戯言)

40過ぎに女の味を知ったショーもない男のブログです。言いたいこと言うばかりで参考にもなりゃしないと思います。コメントは承認制にしているので、非公開の場合はその旨書いてください。

ホスピタリティーということ

ホスピタリティーとは「思いやり」とか「おもてなし」とかいう意味らしい。

ホスピタリティーのある女性というのは意外と多いと思うし、それを自認している女性もいる。

しかし、その献身的な姿というのはそれまでの日常によるのであり、受ける相手によって違うと思うのである。

ここで安易だなぁと思うのはホスピタリティーがある=Mで、ないのが=Sという分類である。
なぜなら、そこへの表現をセックスに準えてしまった瞬間にプレイ内容に転嫁されてしまうからだね。思慮が浅いと言わざるを得ない。

ホスピタリティーを受けたいのであれば真逆の俺様キャラであればいいのか?真逆の男が受けるべきものであるのだろうか?

違うと思うんだよね。
ホスピタリティーを受けたいのであれば、自らそれ以上のホスピタリティーを与えないといけないと思うんだよね。

私はあえてホスピタリティーを「自己犠牲」という日本語変換をしたいと思う。おもてなしや思いやりの究極はそこにあるのではなかろうか?

「自己犠牲」、「無私」の気持ちを払ってでもすべきものがホスピタリティーだと思う。

お相手がそういう人だったとする。
それを貫いてきたから、そういうことに慣れてはいる。
しかし、それに甘えるのが、その人とストレスのない関係を築けるのか?というとそうではないと思うのだね。

むしろ我慢してきたということに対する解放をもたらすことがその人に対してホスピタリティーを与えるということなのではないのかな?

私はそうしたい、と常に思っている。
真の姿をさらけ出してあげることがその人へのホスピタリティーと思う。

仕事においても「お言葉に甘える」人間が如何に多いことか?
やった者負け、くらいに思うことが多いのであるが、それがステディとのお付き合いの基本になっていることも事実なのである。

「負けたが勝ち」というのは昔からよく言われる台詞だが、真理をついてると思うね。

一般的な人と人とのお付き合いに於いて「負けたが勝ち」が基本なのだろうな…と思うのである。

それが好きな相手なら尚更。
恋愛感情を伴っているならばもっとそうだよね。

もっともっとホスピタリティーを持てたら、尽くせたら、と思うよね。