ゲスな男、ゲスな女(9年間の不倫と今の戯言)

40過ぎに女の味を知ったショーもない男のブログです。言いたいこと言うばかりで参考にもなりゃしないと思います。コメントは承認制にしているので、非公開の場合はその旨書いてください。

他人の価値観は否定してはならないが自らの価値観を認めて欲しいなど傲慢の一言である。

久しぶりのアップである。
ちょっと忙しい日が続いたのも事実であるが、書く気を失っていたというのが一番の理由だ。

価値観というものに関しては何度かここにも書いているのであるが、これは私くらいの年齢になると曲げられないというところはある。

だからこそなのであるが他人の持つ価値観については一度は肯定的に捉えてあげないといけないと思っている。

それは私が思いもよらなかったことにお相手がこだわりを持っていたとしよう。
それが私の価値観に真っ向反対するようなことであればお相手にとって反作用となるのでお付き合いそのものをしない方がいい、ということになる。

しかし、そうも真っ向から反対となる価値観というのはあるのであろうか?私はあまりない、と思っている。

自らの文化にない…つまりそれはほとんどの場合考えもしなかったことにお相手が言及してきた時にそれを否定するのを止めないか?
そうした自らが考えにも及ばなかったことを一度は受容してみるということが必要で、自らがこれまでそうした考えにさえ及ばなかったことを反省すべきであると思うのであるね。
それは自らは些細なことと思っていてもお相手にとっては重要であること。これを受容するだけでもだいぶ人間関係は良くなるのである。だって、考えにも及ばなかったのであるから、敢えてそれを否定する必要はないのである。

もっといけないのは価値観の押し付けである。
逆の立場でモノゴトを考えれば、私の重要なポイントはお相手にとって些細なことなのかもしれないのである。

認めてもらおう、ならまだいい。
そんなことに付き合わせようなんて人間関係を放棄していると思うのだね。

「価値観が同じ人がいい」など、最初から「自分の価値観に合わせてくれ」と言っているに等しい。
自分が変わらないと宣言しているようなものだからね。甘ちゃんだよ。

そうした相手を付き合わせようとする心が「わがまま」というものだ。
言葉を選ばずに言えば、頭が悪いということに等しいと思うね。

いつも自らがどのレベルにあるか?を考えないといけない。いつも、常にね。

卑屈になる必要はないが、謙虚になる必要はある。
そうすることによってお付き合いは広がると思っているんだよね。

それは間違えてはいないと思う。