ゲスな男、ゲスな女(9年間の不倫と今の戯言)

40過ぎに女の味を知ったショーもない男のブログです。言いたいこと言うばかりで参考にもなりゃしないと思います。コメントは承認制にしているので、非公開の場合はその旨書いてください。

コントロールしないで。

男性はその場面で能動的に振る舞わねばならないから、セックスは経験数なのか?経験人数なのか?と言うと両方必要なんだろうな…みたいなことを以前も書いたような気がする。

同じ人と回数多くする…これは若い時には絶対に必要はことであると思う。

私はたまたまであるかもしれないけれど、若い時のステディがこれを実現させてくれたことについては過去にも書いている。

今思えば…なんだけど、若い頃って考えてはいるんだけど浅はかだったりするじゃない?

それを受容してくれて私の身体までも受容してくれた年上の彼女には感謝しかない。
ベッドマナーも教えてもらったしね。

恐らく、いや、決定的なのであるが、この女性とほどセックスをすることはないと思う。もう毎週末が毎日に近くなって…そこでベッドマナーを覚えた気がする。

しかし…40代になって、こんなことを始めて思ったのは「経験人数も必要」ということ。

最大公約数みたいなことは経験人数がないとわからないものだよね。もちろん、そうした経験をしてからの実感でしかないのだけれど。

そうしているうちに何人かの女性と致して、なんとなく、その感じた部分をステディにも出そうとする。セックスについてもしかりなのである。

しかし…最近言われるのは「コントロールしないで!」なのである。

セックスという遊びを知ってから、交わることで一応経験は積んだと思う。
その結果が射精コントロールできる自分なのである。

それを否定されてしまっている。
これまで積んだ研鑽?はどうするんだよ…という話になるのである。

ステディに発揮するために女性と交際してきたところがある。
感情面はもちろんであるが肉体的にもそうなのである。
それが出せない歯がゆさというものがある。

しかし、それはステディのやさしさから来るものである。だから言われるがままに放出しているというところだ。

それに…実は少しはコントロールしているんだよね。

それほどまでにステディのはいい、のである。