ゲスな男、ゲスな女(9年間の不倫と今の戯言)

40過ぎに女の味を知ったショーもない男のブログです。言いたいこと言うばかりで参考にもなりゃしないと思います。コメントは承認制にしているので、非公開の場合はその旨書いてください。

リクエストには応えたい

今のステディと交際を始めてすぐにあることを「やめて欲しい(こうして欲しい)」と言われたことがある。

私の文化にはなかったことであるし、世間でもそれを「する、しない」について言うと実は賛否両論あるところなのであるが、私はステディの意見に合わせた。そして今や日々の生活においてもそれが身についている。

自分自身を持っているということや拘りがあるということと頑固ということはまるで違うと思っている。

私は自分で言うのもなんだが、客観的に見れば経歴的には悪くはないと思うのであるが、では胸を張れるほどか?というとそうでもないと思っている。

決して崇高ではない自分を変えることができないということこそ、人としてのレベルを疑われるというものである。

そして、パートナーが望むことに対して、その望み通りにならなかったとしても「やってみる努力」をすることは必要だと思っている。

日常生活においてもそうなのであるが、やりもしないで「できない」と言い、下手をするとそのリクエストに対して逆ギレとも取れる行動を取る人間までいる。

もちろん、そのリクエストが不当なものや取るに足らないものである場合は別であるが、やらずしてあきらめ、また立場を利用して却下する姿を見聞きすると真の意味で能力がない人間だと判断してしまうのである。

一方でリクエストした側はされた側の努力に対しては認めるべきであるし、「できる、できない」についての結果については寛容に接するべきと考えている。

「できて当たり前」などという言葉はないと思っている。私の周りにいる天才たちもほんの些細なことができなかったりするシーンを往々にして見るからだ。
そして、それを見た時に彼らが人間らしく思えるのである。

三者に対してもそうなのであるからパートナーに対してはより寛容にならないといけないと思うし、ステディができないことについては私がやればいいのではないかな?と思うのだね。

隙間は埋め合えばいいわけである。
今はお互いにそれができているような気がする。

以前お付き合いした女性は非常にリクエストが高かった。
私自身の考え方は従前より変わりないので、やる努力はした。できるようになったものもあれば、むろん、できるようにならなかったこともあった。

この女性の場合は結果にコミットしなければ認めてはくれなかった部分がある。寛容ではなかった。

結果的にフラれた形にはなったのであるが、そのずいぶん前から私が疲弊していたと思う。

ただそういう環境にあったことでチャレンジすることは多かったとも言えるし、それが今に生きていることもあるのは事実。
感謝しないといけない。