プレイとして楽しめるか否かが。
「セックスに上手い下手はない」と言った女性がいた。
それを聞いた頃は経験回数も経験人数も少なかったのだが「本当にそうなのかな?」と思ったのであった。
実はその疑問の答えには未だに完全にたどり着いてはいないのであるが、あくまでも自らへの評価としては「前よりは上手くなったんじゃないかな? 」と思えるからやはり巧拙はあるのであろう。
そもそも「上手い下手はない」と言った女性がどれだけ上手いとされるような男性といたした経験があるのだろうか?というところなのである。
こんなことを言える立場でもないのであるが、まずいろんなところから入ってくる男性のセックスに求めることは自らの物理的快楽なのである。そんな連中が大多数で、それを良かれとしてしまうと巧拙も何もない。抜くだけの行為となってしまうと思うのだね。
これらを排除したいところなのだが、過去のセフレから聞こえてきたのも「そんな男が多い」ということであるから事実なのであろう。
もし、そういうことに思い当たる男性がこのブログを読んでいたら意識を変えて頂かないといけないかな?と思うのである。
セックスは男女が共に気持ちよくなるものであるのだから。自分だけ、良ければいいというものでもない。
そのあたりの意識は経験回数も経験人数も少なかった若い頃から私の中にはあったのである。しかし、それでも当時を思い起こして「下手くそだったな」と思うのはやはり経験が少なかったからであろう。
そして、その経験とは…女性にはがっかりされるのかもしれないのであるが、経験回数よりも経験人数なのだと思っている。
先日もまた自らを美化するようなブログを書いてしまったのである。「彼女を楽しませるためにはセフレという経験が必要だった…」みたいな。
ただそれは自らに於いては事実で、セフレを抱くという「経験」が自らに自信を持たせてくれたのである。
その結果、余裕が持てたのである。
これは当時の彼女さんとのセックスに大いに役立った。
そして最愛の彼女さんがいたからこそセフレとのセックスにも余裕が持てたのである。
自分本位ではあるが、相乗効果だと思うのである。
「セックスに上手い下手はない」と言った女性がある時に私とセックスしていて「楽しい」と言ったことがある。
これなんだろうね。
セックスを物理的な快楽だけに留めるわけでなく、楽しいと思える状態になった時が昇華した証拠だと思うね。
だから、プレイそのものを楽しめることというのが目指すべきセックスなのかな?と思うね。
そこに行きつくまでには当然、心がつながってないとダメだろうけどなぁ。