私生活を律する
ある読者さんから促されて。
以前、「彼女とセフレの違いは?」と聞かれたことがあった。
これは自分の中ではいろいろと違いはあるのだけど、かんたんに言うと
◯彼女さんに対しては私生活を律する。
が、
◯セフレにはそれをすることはない。
ということなのだと思う。
やはり彼女さんがいるということに関して言うと自らに特別な意味を持たせたいと思うのであるね。
むろん、これは逆の言い方をされることもあって、私もそう言ってしまったこともあるのであるが、「彼女さんがいるから頑張れる」みたいな表現なのである。
いや、これはセフレがいても頑張れることは頑張れるのだね。非日常があれば日常は頑張れるのである。
そこ(非日常)が日常の力となるのである。
彼女の場合には彼女に愛されたくて日常を頑張るという感じなのであるね。
自らを律することで彼女から愛されたいんだよね。
だから日常を頑張るなんて当たり前で、そのクオリティを高めたいと思うんだ。
前カノのことが本当に好きで愛していて…しかし、過去にここに書いた通りフラれて…自己の快楽だけを求めれば前カノともお付き合いしていた時にもちょいちょいいたセフレ(これも過去に書いた通りに快感だけのためではなかったのだが)だけどもいいんじゃないのかな?なんて思った時期があって適当に?無責任に?遊んだ時期もあったんだよね。
しかし、それをしているうちになんというか面白くなくなって、自堕落になる自分に気づいて、彼女を探すに至って…今の彼女に出会ったんだよね。
それからというもの…また自らを律するということをするようになったんだよね。以前よりもね。
前カノの時には表面的にカッコつけるという意味で自らを律するということはあったかな。しかし、今カノはそれを見破るんだよね。
それは重箱の隅をつつくということではなくて…自然と言葉の中に出てくる。決して嫌みじゃなくてね。
だから自らのステージを上げないことには彼女を幸せな気分にはできないかな?と思うのだね。
男としていつまでもスケベでもあるし、浮わついた部分があるから先週末のようなこともある。いつまでも自らを正当化しえないところだね。
しかし、一段上の自分にしてくれているのは間違いなく今カノ。感謝している。
彼女とお付き合いして、少し人間のステージを上げてもらえたかな?と思うんだよね‼️