選民思想
昭和の時代に成長期を迎え、家もそれなりに教育熱心であったために当時の画一的な子育ての典型の下、自我が形成されていった。
それに乗っかるというのは日本カーストの上の方に行くことを目指すということを意味し、それに反するようなことは目を背け、排除をする。
こうした生活を送っていると選民思想が生まれる。
上ばかりを見て、下を鼻にもかけなくなる。
むろん、この上下とは当時の社会の風潮には裏打ちされてはいるもののあくまでも自己基準でしかない。
若き頃、そんなであったがために異性に対する考え方も非常に狭くあった。「こんな人とは付き合ってはならない」という抑止力が働いていた。
しかし、それは本当は無理をしていたのである。
何人か私の対象外とする女性から告白を受けてもけっして靡かなかった。
その結果が女性経験を乏しいものとした。その一方で妄想だけは膨らんだ。
そしてそんな女性に対する歪曲した考え方は暴走をした。
一応、童貞を卒業した私が次に選んだ相手は20歳近くも歳の離れた主婦であった。その事はここにも書いたことがある。
今思えば恐らく客観的に見ればその後お付き合いをした女性の中で最も美しい女性だったと思う。スタイルも抜群であった。
しかし、私がその女性とお付き合いしようと思った理由は彼女の生い立ちが「お嬢様」を絵に描いたようなものであったからだ。
完全に間違えた考え方なのである。何せ二十歳そこそこのクソガキが夫権侵害という民法に抵触することをものともせず…しかも彼女の配偶者はかなりの権威職、もしバレれば勝ち目なく、それまで培ってきたことを棒に振りかねないことを当時も理解していながらにして手を出したわけである。
そう考えるとサイトでの不倫歴は10年ちょっとであるが、最初のそれをカウントすると30年近くの不倫歴ということになるのだね(笑)
ま、それは別として。
この10年の話になるのだが、やっと選民思想から逃れられた気がするのである。
それはサイトというところに生息する人間は世間一般では「民度が低い」と思われて然るべきなのである。
もちろん、当初は自らの中でも後ろめたさはあったよね。
それは不倫ということよりもそういうところに身を置くという意味に於いてね。
そこから40人くらいの女性とセックスをすることになるのであるが、それで選民思想などというものはなくなったかな?
間違いなく、若い時なら相手にもしなかった(いや、相手にできなかった?)女性がほぼほぼすべてだからね。
その中でも前カノさんとは6年もお付き合いさせてもらって、それを痛感させられた。
生い立ちがまるで違う人と長くお付き合いできたことはその頃、その後に於いて自らの視野を広げてくれたと思うね。もちろん、対異性ということだけじゃなくてね。ビジネスでも…そこはものすごく感謝しているところなのである。
一方でそんな前カノさんもやはり選民思想はあった。持ちたかったんだろうね。それは致し方ない。
同情するところがあるんだよね。
彼女の上昇志向と選民思想は常に感じていた。
そして今カノさんなのだが、お付き合いを始めた時から選民思想たっぷりなのさ(笑)
もちろん、嫌味はないのだけどね。
嫌味がないと思えるのはたぶん生い立ちが似ているからかもしれないのだけどね。
そういう意味で改めて私も心地よいわけである。
生活観の似通ったところがね。
この前のタイトルで書いたけど、影響力という刺激も与えてくれるしね。
やはり最後はそういうところに落ち着くのかな…
今カノさんもサイト経由なんだけどね。