ゲスな男、ゲスな女(9年間の不倫と今の戯言)

40過ぎに女の味を知ったショーもない男のブログです。言いたいこと言うばかりで参考にもなりゃしないと思います。コメントは承認制にしているので、非公開の場合はその旨書いてください。

デートの現場を見られる

不倫というものは全国どこでもあるのだけれど、田舎町でのそれはなかなか大変なのだろうな、と思うのである。

お互いが同じ町に住んでいたら、まず間違いなく噂になるのであろうと思う。

誰も見ていないと思っても、意外と「監視の目」というのはあるものだ。

出会い系サイト初心者の頃、田舎町の女性とお付き合いをしたことがあった。

私がその町に行って会っていたのだが、彼女の家から10km以上離れた場所で待ち合わせをしても、私はかなりの警戒心を持っていた。

その女性は自衛隊員の妻であったが、その地は自衛隊と観光が産業の中心になっており、自衛隊に関わらない人は観光に関わっているか、第一次産業ということで少しばかり離れていても、彼女の「知り合い」はそこここにいておかしくないわけである。

私は初心者ではあったが、このあたりはすごく気を使ったつもりである。

不倫の経験こそ少なかったが、それは常識の範囲内で、そうしなきゃいけないと思っていたのだ。

出会った場所では車の後部座席に座らせ、だいぶ離れたところで助手席に座ってもらう。

当たり前の話だが、ラブホテルは地元は使えない。
50~60km離れた地で愛し合っていたわけである。

しかし、地元でもラブホテルはあるのである。
私も何回かそれらに入れたらな、と考えた。

何せ、彼女に会いに行くのに三時間、ホテルに行くのに一時間半。

彼女のいる町からホテルまでの往復は楽しく過ごせても移動時間九時間はかなりきつかった。

でも、そうまでしたのはやはり彼女の知り合いに鉢合わせるリスクを回避したかったからなのだ。

それに較べるとそれ以外の不倫のほとんどが100万人都市を中心として行われたので、私のガードはかなり下がった。

やはり都市部であれば、鉢合わせるリスクというものは減るのである。

それでもたまに言われることがある。
「昨日、○○にいましたよね?」
なんて。

それを慌てて否定するのは愚に相当するのであろう。

私は堂々と「いましたよ、貴方もいたんですね?」と否定はしない。

そこで「隣にいたのは不倫相手?」という質問は来ないのである。

人は他人のプライベートにあまり関心がないことは自らの身を持って感じている。

逆に私の方が知り合いがいることに気づくことがある。

もし、知り合いも私がいることに気づいて目が合ったとしても声をかけることなどしない。

笑顔で会釈をするくらいのものだ。

知り合いもまたそういう場であったならと考えれば、それは「大人の対応」をせざるを得ない。

女性は恋愛感情に陥ると急激に物理的な接近を求める。

それは大変喜ばしいことなのだが、今やっていることは不倫なのである。

二人の間では不倫と言えども真面目な恋愛であることが多かったりもする。

今の彼女とも、かなり真面目な恋愛なのである。

しかし、世間はそうは見ない。
不倫は不倫なのである。
お互いの身体を貪り合う仲としか見られない。

そういうことを詮索することが楽しいと思うから文春がフォーカス、フラッシュ、エンマといったようなバブル期のタブロイド誌に成り下がるわけなんだね。

今の彼女さんは私のことを本当に愛してくれている。
それはすごくありがたいことではあると思う。

しかし、それだからこそ、私にしなだれかかる。
公の場であったとしても。

そして、それは無論、注意する。

二人の思いと世間からの見方は180度違うということをいつも思っていないといけない。お互いに社会的に認知されているから尚更なわけである。

注意すると言うことは「男の役割」。
言わないといけないよね。

じゃないと、この関係は長く続かない。
そう思っている。

まだまだ男社会なんだよね。

だからこそ、男が社会的には中心にあることを認知しないといけないよね。

そんなに巧い男がいるわけでもないのかな?という話。その5

結論、私のぺニスの忍耐力というものは若い頃と大して変わっていないと思うのだ。

現に彼女とのセックスでは興奮して「ありゃま」ということも未だにある。

なかなか口に出して言えるものでもないのであるが、そのあたりのことで不満を言われたことは一度もない。

彼女と呼べる女性以外でも決して長くインサートできているわけではないが、ヨコハマたそがれのラストのようなことは言われたことはない。
「イってイってしまった。もう、終わりなの?」

勇気を持って何人かに聞いてみた。
すると「早いと思ったことないよ」と、なんとも優しい言葉が返ってきたのである。

世の中、もっと早い人間がいるのだ、ということを垣間見るのであった。

それどころか、という発言もあった。
「貴方はちゃんと前戯もしてくれるし」

はぁ?という話なのである。

前戯もロクにしない男性もいるというのである。

それってどういう心持ちでセックスをしているのかがわからない。

そういう男性は自信家なのであろうか?

私は自らのセックス、特にインサート後に自信がないだけに前戯は入念にする。
これは若い頃からそうだ。
己を知れば、自ずとそうなるのではないか?

それに女性の身体というのは熱しにくく冷めにくいと聞いたことがある。
前戯により一度頂点に上ってもらえば、しばらくインターバルを置いてのインサートは女性にとっても悪くないと考えている。

女性とお付き合いをするうちに、うーん、と思ってしまったのである。

つづく。

そんなに巧い男がいるわけでもないのかな?という話。その4

若い時にセックスに至るというまでのプロセスというものは、お付き合いを開始し、デートを重ねて、好きで好きでしかたないという状態になって初めてということになる。

しかし、不倫、特に出会い系サイトでのお付き合いはお互いの相性を確かめあう手段としてセックスに至ることが多い。

更に言えば最初からセックスありきで出会うこともあるわけである。

勿論、その結果、長くお付き合いに至る場合もあるのだが。

そう、若い頃は本当はしたくて仕方ないのであるが、なかなか事に及ぶことができずにいて、お互いが愛し合った上でのことになる。

意外とピュアな上でのことであった。

しかし、不倫という出会いはセックスもまたお互いの親和性を確かめるプロセスでしかないということになる。

こうした出会いを始め、何人かの女性と体を重ねた時に「あれ?」と思ったことがある。

明らかに若い頃に較べて「早くない」のである。

いや、どこまでが早いのかはわからない。

しかし、私が射精する前に女性が昇天してしまうということを何人か経験したのだ。

私が思うに男性が「早い」というのは、勿論摩擦に負けるということもあるのだろうが、それよりも気持ちが入り過ぎているということの方が強いのではないか?と思うのである。

気持ちが入ると冷静さを欠く。がむしゃらになってしまうということになってしまう。

それは「摩擦」ということにも連動してしまうということになる。そして残念な結果を生むことになってしまうのである。

それに加えて前出の若い頃に私にベッドマナーを教えてくれた女性から言われた言葉を思い出したのだ。

繰り返しになり、本当に恥ずかしいのであるが、その頃はすごく早かった。

彼女は言っていたのである。
「若い時は激しいのもいいと思っていたけど、今は感じる部分に軽く当てられるのがいいわ」

この言葉は当時、そっくりそのまま受け取ることなどできなかったのである。

早い私が彼女の中になるべく長くいられるように、そう言ってくれたのだと。だから相変わらず激しく腰をふり、あっという間に果てていたのであった。

当時の彼女の年齢は私の不倫相手のだろう年齢に近い。

「もしかして?」

結論、そうだったのである。

何もがつがつ行かないでもいいのである。
いや、勿論、例外はあるとは言え、あまり激しいのは望まれていないのだと思う。

つづく。

さかりのついた犬

さかりのついた犬、という言葉は今や死語なのかもしれない。

何か遠い昔、エロまんがか何かで何度か見たことがあるセリフだ。

「このさかりのついた犬が!」
こう罵られているのはいつも女性なのであった。

何度となく浮気を繰り返している女性や淫乱な女性に対して男性が浴びせる言葉なのであった。

なんで女性ばかりにこんな言葉が浴びせられるのか?と思っていたのであるが、動物の交尾はメスがさかって初めてオスが呼応する場合がほとんどのようだ。

因みに犬の場合、年に2回、メスに生理がきて、その後に繁殖期がくるという。

そしてメスがオスにモーションをかけるらしい。

先日もセックスと交尾について書いたが、この辺りもその違いのうちの一つであろう。

「さかりのついた犬」というのがエロまんがのセリフに出てくるということは、裏を返せば、そうした淫乱な女性が少ないということなのであろう。
フィクションにするならば非日常的なそれの方が面白い。

私の経験人数が大したことないからかもしれないが、そこまで淫乱であった女性はいなかった。

セックスが好きな女性は少なくはなかった。
しかし、淫乱か?と言えばそうではなかった。

セックスを目的としてお会いした女性もいた。
だから、もし淫乱なら「このさかりのついた犬が!」と言葉責めをしてみたいとも思ったのであった(笑)

もし、いても、できたかどうかは甚だ疑問だけどね。

出会い系サイトの女性も基本的には「奥ゆかしかった」のである。

だからこそ、自らも没頭してしまったのだね。

稀有に等しい誰にでも淫乱な女なんて、抱いても楽しくないのである。

さかりのついた犬のような女性のことを男性は望んでいないと思う。

自らの前でだけ、そうなって欲しいと思うのだね。

わがままなものさ。

そんなに巧い男がいるわけでもないのかな?という話。その3

その女性が言うには確かに巨根の男性はいたという。

しかし、そのレベルたるや、ヴァギナに納まり切らず中で動けば痛いというものでセックスが成り立たないというものであったらしい。

ただその一方で小さいと思う男性はことのほか多く、私のサイズは「程よく大きい」ということを言ってくれた。

私は「いろいろな体位を楽しめそう」という言葉とサイズの連関性について疑問を持ったところ、その直後の一戦でぺニスが外れてしまうことの多いらしい立ちバックという体位をしてみたが、その女性が言う通りきちんと?遂行されたのであった。

いずれにしても経験豊かな女性からサイズについてダメ出しをされなかったことに自信を持ったのであった。

いきなり現在のことに戻るが、「大は小を兼ねない」ということを思い知らされている。

巨根に憧れたりしていたが、適度が一番いいのであると思う。

この経験豊かな女性とのセックスでさえ、一番多かった体位は正常位であり、立ちバックや松葉崩しといった結節部分が浅い体位など滅多なことではしなかったわけだから、普通の?女性に対してはサイズはあまり気にしなくていいものと思料するのである。

インサート後のパフォーマンスということについてはサイズよりももっと切実な悩みがあった。

それは「早漏」であるということであった。

若い頃は本当に早かった。三こすり半とは言わないが本当に刺激に弱いとの認識をしていた。

ただ、その頃にお付き合いしていた女性が私に対してとても優しく、二人だけの時間を楽しむために話し合っていろいろと工夫をしてくれたのであった。
無論、私もそれに応えるべく努力をした。

そして二人の間ではお互いに満足のいくセックスができるようになったのであるが、それが普遍性のあるものかと言われるとyesとはとても言いがたいのであった。

このように一定の期間のお付き合いがあれば早漏であっても満足のゆくセックスができることはわかっていた。

しかし、今から始めようとすることについてはワンナイトのようなものも想定される。

「ワンナイトだからその場で自らの快楽を追求すればいい」
という考えには及ばない。

そして、「長くお付き合いをしたい」という女性が現れた時に「こんなに早いんじゃ、豊かなセックスライフは過ごせないと判断されたら、その先はないのだろう。

非常に不安であった。

しかし、なのである、

つづく。

ネグレクト、その3

お付き合いをした女性とは関係が深まるにつれてプライベートなことも深く話すようになる。

そうした女性の不満は配偶者に向けられる。
当たり前の話なのである。

女性は、男性のように一時の浮気心で不倫に走るようなことはないと思っている。

無論、中には民度が低い人間は男女共にいるので、全てではないものの、女性の方がはるかに我慢の末にそうした状態にならざるを得なかったということが多いようだ。

「かまってもらえない」とは「女として」を目的としているのではなく「婚姻という共同生活を営む上で」ということの方がはるかに多いというのが私の実感なのである。

その中でも「子育て」というものに関しての比重は非常に高いものと思っている。

言葉を選ばずに言えば、それが女性にとっての砦ともいえ、そうした意味に於ては社会のシステムや慣習はうまくできていることを思わざるを得ない。

自らが持ってしまった責任についてはそのあたりのことを十分に意識して生活を遂行しなければならない。特に罪のない子供に対しては当たり前のようにそれをして、自己犠牲を厭わない気持ちで事を進めなければならない。

しかし、そうする一方で、その考え方は不倫相手の女性には反作用となることも強く意識しないといけないということなのである。

不倫相手の女性の配偶者はネグレクト。

もし、そうであるとするならば、いや、その可能性が高いのだから、そうした女性の前で子煩悩かのような自分を見せるのはご法度、羨望になるなんてことはなく嫉妬にしか繋がらないということになる。

正常な親であれば血を分けた子供は可愛い。そして繰り返しになるが、その気持ちは女性の方が強いのである。

そこには極論であり、残酷な言い方をすれば他人の子供など関係ないと思うのが女性の基本的な思想なのだ。

「俺のことを愛しているなら、俺の子供のことも愛してくれ」

そんな思想などドラマに出てくるような話で現実的ではない。まぁ男寡のお情け頂戴としてはない訳ではないのかもしれないのであるが、それとて甘えにしか過ぎないと思う。

ましてやW不倫である。
女性からしたら「知ったこっちゃない」という話だろう。

だから、不倫をする以上、配偶者はおろか子供の話も男として、してはならないと思うのだ。

そんなに巧い男がいるわけでもないのかな?という話 その2

インサート後のパフォーマンスに拘るとそのポイントは二点に集約されるのではないだろうか。

一つ目はぺニスの状態である。
角度については年齢と共に落ちてきていた。
しかし、角度があるからいいという訳でもなく、体位を工夫すればきっと何とかなると思っていた。
固さについてはまだまだイケるとの自信があった。

問題は大きさなのであった。
セックスをするのには勃起時が重要であるのは言うまでもないが、お恥ずかしい話、私は平常時がかなりコンパクトな感じになっているため、ぺニスの大きさについては避けて通ってきたのである。

実は若い時に男性経験が高い女性から「太い」と言われたことがある。
しかし、長さについては言及してもらえなかった。

こちらからは避けたい話題であったから聞くことはなかった。
蛇に準えれば大蛇ではなく「ツチノコ」なんだろう、と勝手に解釈したのである。

そして何本か見たAVでうちひしがれたのである。
タイトルの選択を熟女と巨根としてしまったのだ。

男優さんたちはそれはそれは立派なモノをお持ちであった。
そして私はまた現実逃避をするのだったのであった。

しかし、実際にベッドを共にした女性からの感想は私を喜ばせるものであった。

5人目に経験豊かな女性とセックスをすることになった。
それまでの4人はごく普通の経験数のような気がした。
しかし、この方は三桁を重ねるという強者であった。

それまでの4人とはサイズの話をしたことはなかった。
でもこの女性はメールのやり取りからかなりきわどい話をしてきており「お互いにめんどうなことは抜きにしてセックスを楽しみましょう」ということであったので、事後の感想くらいは言って来るものと思っていた。

で、一戦を交えた後にこの女性が言ったのは
「貴方のおちんちん、長くて太いからいろいろな体位を楽しめそうね」

ん?長い?

そのあたりのことを聞いてみた。

つづく。

そんなに巧い男がいるわけでもないのかな?という話 その1

私が不倫というものを始めようとした時に心配に思ったことがある。

バレて離婚、などということの心配はまったくしなかった。このことについてはまた書くことにするが、そういうことにはならないと思っていたし、そうした争いになれば覚悟は決まっていたのであった。

もっと単純な話として、お付き合いを開始してゆくゆく肉体関係に陥った時に私のセックスは世の女性に通用するのであろうか?ということが心配なのであった。

無論、その経験を高めるがための不倫経験、という意味合いもあったのであるが、身体を重ねた時に「え?いい歳してこの程度なわけ?」と思われるのも何とも恥ずかしいなと思ったのである。

何せ女性経験はそれまで数えるほど。不満は言われたことはないが、お付き合いをしている男性に対して「下手くそね」とはなかなか面と向かっては言わないと思うし、特定の女性と数多くすれば工夫というのも生まれるわけである。

不倫相手を探すソースとして出会い系サイトを利用しようとし、実際に利用したのであるが、入口のところではもっとインスタンスにセックスだけを求める男女が集う場所であると思ってしまっていたのだ。

単純に「セックスが下手」と揶揄されるのも嫌であったが、長くお付き合いしようと考えた女性とその時を迎え、セックスが原因でそれ以上いかないというのも何とも悲しいな、と思ったのである。

それまで見たことがなかったAVというものを見たのはこの頃であった。
「あれは参考にはならない」と言う評判ではあったが、取りあえず熟女ものをいくつか見てみた。
しかし、すぐに見るのを止めた。
見れば見るほど自信を喪失していく自分に気づいたのであった。

そうこうしているうちにベッドを共にする女性ができたのである。

何人かの女性と致したが不満は言われない。
どころか「すごく気持ち良かった」なんて言ってくれた女性までいたのだ。

これには「おや?」と思ったのであったが、それで安心するわけにはいかなかった。
人はお世辞というものを言うし、傷つけまいとしてそう言っているのかもしれない。
そのあたりは悦に入るほど、経験というものがない。

これは世の男性がどう思っているかは知らないのだが、少なくとも私はセックスとはインサート後のパフォーマンスであると思っていたのであった。

ドン引きした女性からのご提案9

彼女は再び口を開いた。
「貴方のことは前から話していたわ。そうしたら直接貴方と会ってみたいって話になったの。でも、貴方とのデートはホテルでしょう?だから今回いい機会と思って連れて行ったの」

如何に開放的とは言いながらも普通は不倫相手を実の娘と会わせるなどあり得ない。

「何か他にも理由があるんじゃないの?」
私は質問した。

「さすがに鋭いわね」
彼女は妙なことを誉めた。

「いや、親子の関係もいろいろとあっていいとは思うけど、あまりに特殊だよね。興味本位というのはあってもさすがに会おうと思うのは何らか理由があるんじゃないかな?と思うのは考えて当たり前じゃないかな?」

その後、私は少し言うのをためらいながらも続けた。
「もしかして金のことかな?借りたいとか?」

彼女は頭を振った。
「そうじゃないの。でもね、その経済的な余裕も娘が会いたがった理由の一つでもあるわ。あとは貴方の育ち、性格、学歴、今の立場」

何を言っているのかわからなかった。

彼女は続けた。
「娘にはこれまで、本当に悪いことをしたと思ったわ。だから極力、これから娘のリクエストには答えたいと思うの。あの子ね、今、すぐ近くでお店をやっていて、そこそこ稼いでいるの。だからお金は求めないわ。もっと切実なこと。あの子の親としてのお願いがあるの」

私は「ごめん、ちょっとトイレ」と言って席を立った。

金以外で何を求めているのかな?と思った。

経済的な余裕、育ち、性格、学歴、立場。

まさかな、と苦笑した。
そんな訳はないと。

しかし、そのアホな予想は的中したのであった。

なんであんなに辛そうな表情になるのだろう?

私は極端なことを言えばセックスに射精が伴わなくても良いと思っている。

特にステディの関係となった女性に関しては如何に感じてくれるかの方に力点を置いている。

お付き合いを開始した初期には試行錯誤を繰り返す。感じるポイントを探すのである。
それはどの女性にもほぼ共通のものもあれば、その女性に固有なものもある。

その女性の「鉄板目」というものを見つけられれば一度はその方法でイッてもらう。
これが私の快感と満足に繋がる。

女性の経験人数も一定は必要だと思うのは、この「鉄板目」を見つけるのが随分早くなったと思うからだ。

この「鉄板目」についてはこれまでの女性の経験から聞いてしまうのが早いのであろうが、他人さまが開発したことでイッてもらうのはあまり気分の良いものではない。

やはりオリジナリティを持ちたいわけで
「こんなこと初めて」
と言われて昇天してくれたり、
「私は○○ではイケない」
などという思い込みを解消できると非常に嬉しいのである。

それにしてもあのイク時の表情というのは何とも辛そうなものなのである。

男性では味わえない女性独特なものがあるのだろう。

そういう意味で「イク」=「逝く」なんだろうね。

英語がcomeだから「行く」ではないか?という向きもあるが、あまり深淵に快楽を追求しすぎると「死んじゃう」と言う女性もいることから、やはり「逝く」なんだろうね。
それだけに快楽を追求し過ぎては苦痛に繋がってしまうからほどほどにしないといけない。

あのイキ顔というのは美人さんでも歪むのである。
でも、自らにしか見せない表情として、それを見たい自分がいるのも事実なのである。

セックスという行為も好き。正直なところ。セフレという存在7。

ということで非常に迷っていたのである。
何を迷っていたかというと改めてセフレを作るかどうか?ということを、である。

セックスそのものを過剰と表現した人がいた。
つまりは何年もの間、24時間365日発情している動物などいなく、それは人間くらいで、その結果セックスという遊戯ができたとするものであった。

生理学的にセックスを説明しようとすると確かにその通りであるとは思う。

しかし、セックスを動物の交尾の延長と見るのは動物に対して甚だ失礼なことなのではないかな?と思うのだ。

確かに最初はそのようなことで始まったかもしれないが、今やまったくの別次元で進んでいるもので、それもまた人間の本能に収束されてしまっているような気がしてならないのだ。

スズメバチが黒いものを敵視するのは自らを襲うものが人間と熊であることが代々受け継がれたDNAによるとされている。

さすがに虫であるので、これを文化と呼ぶのは無理があるが、人間に於けるセックスも同じようなものではないか?と思う。

セックスとは交尾とは別次元の本能ではないかな?と。

そして、その本能を抑制できるのが人間とも言えるのだが、私はどうもそれができるような気がしない。

ではそれを風俗であるとかサイトの条件付きの出会いで安易に済ませるか?というと「抜く」ためのセックスをしたい訳ではので、それは最初から満足感が得られないのは明らかなのである。

わがままなものだね。

自らの持つ能力の半分くらいで感じてくれる彼女がいるというだけで十分に幸せなことなのにね。

放置しているサイトを覗きに行くかどうかはまだ迷っているのだ。

ま、覗いたからと言ってすぐにできるものでもないのだけれどね(笑)

おしまい。

ネグレクト、その2

私は自らを子煩悩であると思ったことはない。
この世に生を設けさせてしまった以上、その責任は取らないといけないと思っている。

「産まれた」
という。これは英語でも同じなのだが、受動態なわけである。だからこそ、親としての責務を果たさないといけないと思っている。

かつて「家族の最小単位は夫婦」と言っていた女性がいた。その時は私も若かったこともあり、その通り、と思ったものだ。

しかし、今ではその思いはない。
その女性とて、その後配偶者に裏切られ、自らも不倫をして、最後には離婚するに至った時にまだ同じ思いを持てたのであろうか?

そう、子供たちに関しては責任があるのだ。
如何に現在に享楽的にあろうともそれは譲ってはならない気持ちであることには間違いない。

義務感であろうとも子供は最優先しないといけない。
だからこそ、稼ぎを入れるのは当たり前。一緒に遊びに行くし、勉強もするし、ご飯も作る。
最悪の夫であろうとも、良き父親でなければならない。そう思っている。

しかし、私は当たり前の話だが、男なのである。
この思いは本来お腹を痛めた女性の方が強いのである。

これは社会的にも認められており、よほどのことがない限り、女性が親権を取るということになる。
実は男親とはそうした弱い存在でもあるのだ。

そうしたことがわかっているか否かは別として、育児拒否をする男性は多いと聞く。

これらはお付き合いをした女性たちの生の声であり、一般的なそれとは異なるのかもしれない。

しかし、配偶者がネグレクトであることが不倫へと誘う大きな要因になっているのは間違いないと思うのである。

そして、それだからこそ、そうした女性とお付き合いするのに気をつけないといけないことがあるのだ。

10年ぶりにセックスをした女19

私は2度果てた彼女を更に責めることにした。

まだ彼女は未開発な部分があると思っていたのである。

派手な顔立ちはまさに「男好きする顔」であった。
たぶん若い時には男に誘われ、そしてセックスもしていたのであろう。

ただ若くして結婚をし、その後は貞淑な人妻を演じてきたがためにセックスについては開発途上のまま10年を経過してしまったと理解した。

私は彼女をバックの体勢のまま寝かせると中でぺニスを動かした。

やや下つきの彼女のヴァギナは私のぺニスを一番素直に奥にまで受け入れるラーゲがこれであることは明らかであった。

既に温まりきった女性の身体を更に上気させるなど、経験上容易いものであった。

私は突き立てたぺニスを律動すると同時に自由になっている右手をクリトリスに這わせ、同じように遊んでいる左手を乳首に配備して三点責めを行ったのであった。

これは彼女には効いた。
直ぐにまた快感を示す痙攣を起こしたのであった。絶叫を伴って。

「こんな感じ初めて」

彼女の感想をきけば、もう少しで頂点がもっと先にあることを知らせられると思った。

私は伸ばしていた足の膝を彼女のお尻の左右に配備して自らの上体を起こした。

彼女の形状からしてこれが一番奥にまで達していることは経験上知っていた。

「まだなの?」
という彼女のことなど構うことなく、私は猛然と腰を振り続けたのであった。

当然彼女は何度も達した。
そしてそれはまだまだ深い悦びを知ることとなったのであった。

10年ぶりにセックスをした女21

家に帰るまでの間、スマートフォンには彼女からのラインがたくさん入ってきた。

私は日頃の仕事の疲れとその日のデートで使った体力に寝落ちしそうになっていたが、そのラインには丁寧に答えていた。

私はまだこの女性と今後も交際を続けていけるかについては、まだ疑問を持っていたのであった。

ただ新しい生活の中での楽しみを見つけようとしていた中では、彼女がそれに該当しそうな気がしてきた。

翌日から格段にラインのやり取りがより多くなった。
これはお互いの親和性が高まった証拠であると思った。

彼女は次のデートの日程を聞いてきた。
しかし、私は週末は2週間連続で自宅のある地に帰らないといけなかった。

3週間後に、とメールをしたが、彼女は不満足を表明した。
「そんなに会えないんだ」

新しい生活での楽しみを見つけたか?と思い始めただけに私は焦ったのであった。

それまでにも経験していたのであるが、大人の恋愛とは言いながら、実際にお付き合いを始めるとそれは若い時のそれと大差ないと思うのである。

もう関係が破綻した配偶者になら、あきらめをもって「許せる」行為も恋人に対しては「許せない」こともある。
無論、その逆の方が遥かに多いのであるが。

その「許せない」ことの一番の理由は「プライオリティを自らに置いていない」ということのようだ。

お互いに家庭があることなど最初からわかっていることだ。

しかし、関係が深まるに連れて、相手に対する独占欲がどうやら働くらしい。それは経験則でわかっていた。

お付き合いをする前提だったことが最早理由にはならない状態になることがある。
他に女を作るわけではない、家族に会いに行くということが寧ろ独占欲を掻き立てるようなのだ。
それは女性だからこそのものなのかもしれない。

「プライオリティを置いてない」→「ないがしろにされている」という考えに変化するのは長い時間かかりはしないこともわかっていた。
マイナス感情を自らの中で助長させるのは極めて早い。

私は予定を変えた。
三連休を利用して帰ろうとしていたが、最終日の便を夕方から朝に変えたのだ。

「祝日の午後に会わない?」

それは数日後のこと。彼女は単純に喜んだ。

私はホッとした。
一方で自らに無理をしていることもわかっていた。

これさえなければもう少しサイトでモテたかな?ということ。

出会い系サイトでは25人くらいの女性と肉体関係を結んできた。

これが多いのか少ないのかはわからないのではあるが、始めてから現在に至るまで「日照り」だったことはほとんどないため、満足しないといけないのだと思う。

会ってもセックスに至らなかったケースもあるが、私からお断りをしたケースは皆無であることもあり、お会いすればだいたいがセックスをしている。

あくまで出会い系サイトに登録をしているというレベルの中ではどうやらそこそこであるらしい。

出会い系サイトを利用して私と最初に出会ったと言っていた女性が多かったが、その割には出会いの時に落ち着いていたし、ベッドでも堂々としたものであったりした。

本人が初めてだというのであるから、それ以上詮索する必要もないということになるが、「初めて」という心理は所謂「ヤリマン」ではないとことを言いたいのであろう。

私が何人目か、と正直に話してくれる女性も何人かいたが、「サイトで出会える人とは思えない」などというお褒めの言葉を頂いたこともある。

ただ、私が入口からシャットアウトされることがあるのだった。

「この人いいかなぁ」と思って、プロフィールを見ていくと書いてあるのである。

「喫煙者はお断りします」

まぁ、確かに時代じゃないんだよね。
実社会に於ても「喫煙者=自己管理能力がない」と考える人もいるくらいだからね。

私の仕事は他人さまの話を聞く限りかなりストレスの高いものらしい。

そのストレスの解消方法がタバコとしてしまっている以上やめられないのだ。

さすがに不倫相手の間口を広げるために仕事に支障を来すかもしれない禁煙をするということはできないのだ。

もし、非喫煙者ならもう少しモテたのかもしれないけどね。

何人か、きちんと喫煙者であることを伝えた上で「喫煙者お断り」の女性にアプローチしたこともある。

そして「貴女の前では吸わないから」と約束してお付き合いに至ったこともある。

でも、もうそれは止めにした。
やはり無理があるのである。

中には「吸ってもいいよ」と言ってくれた女性もいた。
でも、それはお相手が無理をしていることになる。

キスをする前、セックスをする前には喫煙OKな女性であってもマウスウォッシュする。

しかし、普段から喫煙していると身体にニコチンが染み込んでいると思うんだよね。

今の彼女は「気にしないで」と言ってくれる。
かつて一時期本人も吸っていたみたいだ。

セックスのインターバルでも「吸って来たら?美味しいよ」と言って送り出してくれる。

そして、タバコを吸った後の口にもキスをしてくれる。

本当にデキた彼女なのである。