ゲスな男、ゲスな女(9年間の不倫と今の戯言)

40過ぎに女の味を知ったショーもない男のブログです。言いたいこと言うばかりで参考にもなりゃしないと思います。コメントは承認制にしているので、非公開の場合はその旨書いてください。

ラブホテルの混んでいる日

先日のブログで私がラブホテルという空間が好きであることを書いた。

仕事中でもどうしても目に入ってしまう。

すごいな、と思うのはかなり過疎化が進んだところにもラブホテルが存在するということなのである。

昔、戒厳令がしかれた某国で、その後出生率が高まったことがあった。

戒厳令の場合は結果的に交尾と同じことになってしまったが、やはりセックスというのは大人の男女なら誰でもできる遊戯と思って正しいのだろう。

過疎化が進んだ土地は実は核家族化が進んでいないからラブホテルの存在が成り立つのかもしれない。

これが都市部のような使われ方だけをするとホテル経営は成り立たないのだろうね。

先ず一番需要が高いと思われる若者層が少ない。

次にデリのようなものについては、さすがにこんなところまで来ないよな?という話。
経済合理性がない。

最後に私のような不倫であるが危険極まりない。
いつ知り合いと出くわすかわからないということになる。

という事で、普通に夫婦の営みとして使われているのかもしれないな、なんて想像してみるのである。
そうするとそうした場のホテルの繁忙期というのはやはり土日祝日ということになろう。

都市部に目を移すと土日祝日は意外と混んでいない。
私が現在住まう地は雪国であるために冬場は土日祝日も混んでいる。言わば自然が成す戒厳令みたいなものだ。

しかし、今のような季節の良い時はあまり混んでいないことの方が多い。

その一方で平日の昼間は意外と混んでいる。
「満」の看板が赤く点灯していることが結構あるんだよね。

そして駐車場から出てくる車のハンドルキーパーがスーツ姿ということが結構良くある。

これって「不倫カップルなのかな?」と想像してしまうのである。

つまり、週末は男女共に家族と触れ合うことが多い。

だから、男性が有給でも取得して、朝はスーツ姿で家を出て、会社に行ったふりをして、昼間彼女と会っているのかもしれない。

まだそれなら健全?だ。
休暇も取得せずに出勤し、朝「行ってきまーす」と外勤をしに出て、彼女と勤しんでいるなんてこともあるのではなかろうか?

私はこう見えても意外と仕事に真面目であるため、そういうことはしたことがない。

ごくたまに有給を取得して彼女と平日デートを楽しむことはあったが、夕方になると駐車場の車がめっきり減るのは、サービスタイム終了前にチェックアウトしているのではなくて会社に戻るため、なのかもしれないね。

出会い系サイトは母数の問題ではない、ということ。

私はある地方都市で出会い系サイトというものに手を出した。

紆余曲折というものはあったが、私が描いていた?目的というものについては果たせていたと思う。

つまりは順調とまではいかないものの、1年でそれまでの人生で経験した人数くらいとは身体を重ねていたということだった。

それはやや私を勘違いさせた部分があった。

もともとモテる部類ではないという認識についてはそれまでと変わらないのであったが、出会い系サイトというソースを使えばそこそこ安易に新しい女性と出会えると思ってしまったのであった。

仕事の都合で私はしばらく首都圏に居を構えることになった。

仕事のことについては新しいフィールドですることになるので、様々な不安が付きまとったのであるが、一方でプライベートはかなり期待をしていたのであった。

何せ人口を考えても出会い系サイトに登録している女性の数が違うことは明白であった。調べたわけではないが単純計算で10倍は下回らないであろう。

しかし、簡単にはいかなかった、というのが結論である。
わざわざ3つの県を跨いで人妻に出会いに行っていたこともあるくらい日照っていた(笑)
単純に母数の問題ではないということである。

これには2つの理由があると思う。

1つは私が妄想をした通りに女性の登録数は多いのであろうが、同様にして男性の数も多いということになる。

前にも書いたことだが、もう私の歳になると男の価値は見た目だけではなくなる。そうでないと私のところに女性が来てくれる説明ができない。

そして、匿名性の高いサイトという世界に於いてはプロフィールやブログなどから入り、人となりを見極め、メールで一定のプライバシーを取得して出会うことになる。

このあたりの言わば駆け引きというものについては、頭脳と人生経験が必要になるということになる。

当たり前の話ではあるが機会は均等ではない。

首都圏における平均値がどこにあるかはわかりかねるが、少なくとも地方都市で女性から求められるそれよりも高い位置にあるということなのだろうね。

恐らく入口の時点で私よりも魅力的な男性が多かったということなのだろう。

もう1つは地方都市での私が恵まれた環境にいたのであろうな、ということである。

上記の通り、その地における「男としての偏差値」が私が高かったというのはあるだろうが、お相手をしてくれた女性たちの心持ちも、その地は寛容であったと思うのだ。

それと同時に女性の独立心というのも強かったような気もする。恐らくいろいろな意味で男女の較差を感じることが他の地に比較すると少ない感じがしたし、そうなりたいという女性の思いが強く反映していたと思う。

しかし、一方で地元の男性は閉塞的な感覚を持っていることは否めなかった。地方都市という名の田舎特有の感覚は未だに「家社会」が中心となっていた。

そうした中で私は恐らくその地の女性たちが自己実現できるかもしれないとの期待を持ってくれたからこそ、出会いの機会も生まれたと思う。

まぁ、出会いは算数ではじき出せるほど単純ではないということだね。

10年ぶりにセックスをした女9

私は肉体の欲望に負けてインサートすることを欲した。

しかし、そこで自らの身体の快楽だけを果たそうなどとは思わなかった。

自らの身体のことは自らが一番わかっていた。

もし普通に腰を振るならばあっと言う間に終焉を迎えることであろう。

回復力は若い頃のようにはいかないものの自信はあったので、瞬時に果てても次ができることくらいはわかっている。

しかし、それでも三こすり半のようなことになるのは恥ずかしいし、何より私のぺニスがインサートされた後の彼女の反応が見たかった。

私は膣口に亀頭を当てるとゆっくりと亀頭が埋まるくらいぺニスを入れた。

入口まで感じる感度の良いヴァギナであることは舌で実感していたが、実はそれを試すためにそうしたわけではない。

自らが堪えうるか、ゆっくりと入っていったわけである。

私はその範囲内でゆっくりと抜き差ししてみた。
それだけで彼女は恍惚の表情を浮かべ、そして小さくあえぎ声を発していたが、しばらくすると

「お願い、焦らさないで。奥に欲しいの。」
と懇願してきた。

私はその言葉に従って、奥に向けてズンと突いてみた。

ラブホテルに行くための準備?

私はラブホテルというところが好きだ。

彼女やセフレがいない時期でも無性に入りたくなる時があった。

若い時など将来家を建てるならラブホテルの個室仕様の部屋を作りたいな、と思っていたくらいである。

勿論、一人で入ったことはないし、無理矢理二人で入るために女性を呼ぶということをしたこともない。

私はラブホテルにはセックスをする目的でしか入ったことはないのだが、時々カラオケの音が聞こえたりすることもあるから、好きな人と過ごす場所としていろいろな使い方があるのだろうな、と思う。

私の住まう地は半年間くらいは雪に閉ざされる。
男女共にウィンタースポーツが好きなカップルであれば冬場のデートのしようもあるとは思うのであるが、そうではないと二人で楽しむ場所というところがあまりにも少ない。

そうなるとラブホテルという場所は貴重な遊び場になるのかな?なんて思うのだ。

私の感覚ではこの地は人口に対してラブホテルが多いと思うのだが、それでもいつも混んでいるという感じがする。

ところでこれは以前から思うのであるが、ラブホテルの精算機というのは何とかならないものなのかな?と思う。

昔は内線9番を鳴らして「帰りまーす。」というと店員さんが取りにきてくれたり、シューターにお金を入れるとシューターでお釣りを返してくれたり。
あ、このシューターは4年くらい前にT市のラブホテルで15年ぶりくらいに見つけて感激?した(笑)

現在では出入口にある精算機で支払を済ませるということがほとんどである。

入退室管理までできるあの精算機はホテル側としてはすごく良いシステムであると思料するがユーザーサイドとしては気になる点がいくつかある。

1つは機械音声である。
特に「メンバーズカード」がかなり訛っているのである。
機械音声だから致し方ないところはあるのだろうが、テスト段階で「これはあんまりだね。」ということにはならなかったのであろうか?

まぁ、これは慣れの問題だからまだ何とかなる。

もう1つは釣り札が1000円札でしか出てこないということである。

行為が終わって身を整え、抱きしめてからキスをして、さて精算という段階で4000円という室料であったとする。

10000円札を精算機に投入した日には「ギッギー」という濁音を6回聞くことになるのだ。

本当は大した時間ではないのであろうが、釣り札を取り終えるのにたいそう時間を要する気がするし、あの「ギッギー」は興醒めするのだ。

そこで何かを言われたことはないが、男の私でもそう思うのだから女性はもっとそう思うのかもしれない。

5000円札をお釣りで出すように精算機を改善してもらえないだろうか?と思うのだが、冷静に考えるとラブホテルの精算機以外でも5000円札が釣り札として出てくる機械は少ないような気もする。

そう考えると自助努力をするしかないということになるのだ。

つまりラブホテルに行くにはその前に5000円札を所持しておくという準備をしておかないといけないということなのだ。

当地のラブホテルのサービスタイムやレストは4000~6000円というところが多い。

この値段を考えると5000円以上でも以下でも支払がスムースに行くということになる。

今日は水曜日。
そろそろ週末に向けて5000円札を作らないといけない(笑)

アソコを誉める

セックスは頭でするものと理解しながらも肉体関係という言葉に引っ張られ、身体を意識してしまう。

特に男性の場合はその傾向が強く、特に結合部に関するぺニスについての拘りは強いものがある。

ぺニスが硬いとか大きいと言われることについてはやはり悪い気はしない。
いや、気分いいのである。

今の彼女さんのヴァギナに対して私のぺニスは少し大きいらしい。

他の女性にも何回か同じようなことを言われたことがあり、それはそれで嬉しいのであるが、プレイに支障を来すとなると話は別となる。

果たして日本人の平均サイズがどれだけかわからないが、私は間違いなく巨根ではなく、自他ともにそれを認めるような男性は大変だな、と思うのである。

こればかりは大は小を兼ねないということをたまたまではあるが、身を持って経験している。

しかし、今の彼女はどれだけ短小な男性とセックスをしてきたのかな?なんて我が愚息を見て思うのだ。

まぁ、セックスを重ねるうちに女性のサイズは合ってくると言われているから根気よく?続けるしかない。
無論、セックスだけでお付き合いをしているわけではないのだから。

ところで、男性がぺニスを誉められると嬉しいのであるが、女性はヴァギナを誉められたらどう思うのだろうと思ってきた。

女性の場合は羞恥心が強く、直接的に性器を誉めることはかえってこちらの印象を悪くするのではないか?と危惧していた時期がある。

しかし、結論は「誉めた方がいい」ようなのだ。
勿論、交際期間にもよると思う。
私は数回ベッドを共にしてから言うようにしている。

女性によっては締め付ける練習をしたりと努力をしてくれているようなのだ。
それに一度として射精ができなかったことはない。
それならば、誉めるに値することになろう。

そして、現に何度も「嬉しい」と言われたことがある。嫌な顔をされたことはない。

そこは男女共通なんだね。

かくありたいなと思うカップル

この時期になると肌の露出が多くなる。
変な言い方になるが、誤魔化しが効かない。
それは体型だけではない何かがあると思う。

昨日彼女とデートをした。
酒を飲む予定にしていたので、久しぶりに電車で移動をした。

車だからどうでもいいという訳ではなく、電車だから、より身なりには気を遣う。
衆目に晒される機会が間違いなくアップするからである。

こうした時、他のカップル、特に同世代には目が行くのだ。

この歳で夫婦ではない可能性の方が少ないのであろうが、「どういう関係かな?」なんて想像をする。

会話の内容を聞くとやはり夫婦だったりする。
先ず、私と同世代で夫婦仲良く休みの日に出かけることが素晴らしいことと思う。
それだけで私たちよりも間違いなく人として出来ているということになる。

ただ、二人して衆目に晒されるならば、もう少し気を遣うといいのにな、というケースは多く見るのである。
夫婦の緊張感の無さを世間にまで持ち込んでしまっていることが散見される。

また女性の方だけが着飾っている場合もある。
あれはまたどうなのかな?と。

相手に興味がないのか?
少し意見をしてあげるといいのにな、と思う。
あ、これは若いカップルでもいるけどね。

昨日出会ったカップルの中で「ナイス」と思ったのは、恐らくだが男性が60代前半、女性が50代後半というカップルであった。

恐らく観光でこの地に来たのだと思う。
男性に話しかける女性の笑顔がとても素敵であったし、それに返す男性の笑顔も素敵であった。

会話の内容からして、夫婦ではなさそうである。
恋人同士であることは間違いない。不倫関係なのかどうかわからないが。

男女とも肌の張りもいい。
何がナイスかと言えば、間違いなく未だにセックスをしているということだ。

二人からフェロモンが出まくっていた。

彼女も何となく気づいたようであった。

「俺たちもかくありたいね。」

彼女は笑顔で頷いていた。

10年ぶりにセックスをした女8

彼女のアソコは愛液で溢れかえっていた。
私が舌を這わせれば勿論口の中にそれは入ってきたがかまうことはなかった。
ピチャピチャといやらしい音を立てるほどであった。

音と言えば、彼女の口からは大音響であえぎ声が奏でられていた。
そして「逝く」と言うが早いか全身を使って果ててみせるのであった。

勿論それは膨れ上がったクリトリスを執拗に責めると起きたのではあるが左の大陰唇にもスポットがあり、そこでも身を震わせてくれた。

しかし、何度逝ってもギブアップをしない。
底無しであるのであった。

前戯だけでも十分に楽しめることがわかったのであるが、私も欲望に負けてインサートがしたくなってしまった。

溢れかえる蜜壺の入口に舌を当てた。
すでにいつでも私を受け入れられるようにぱっくりと開いたヴァギナの中に舌を忍び込ませた。

入口をなぞるように舐め、そして、舌をすぼませてヴァギナの中に突っ込み、出し入れしてみた。

「それ、いい。変な気分になる。」

いい感じだ。
もう少し固くて長いものを欲してくれれば、と思ったのである。

しかし、それを続けてもなかなか彼女は求めてくれない。
どころか舌の出し入れで絶叫してしまった。

感度の良い女性は意外と多い。
しかし、ここまで感度がいい上に何度となく追求してくる女性は初めてであった。

私は頭の中も身体も興奮しきっていた。
そして、恥ずかしながら身体の欲望が勝ってしまった。

「入れてもいいかな?」

「お願い、」

私は上半身を起こし、彼女の上に覆い被さった。

フェラをして欲しいと思うならば。

私はアダルトビデオというものをほとんど見たことがない。

いや、大学生くらいまでは親に隠れて見ていたし、興奮もした。

ある時、深夜のちょっとエッチな番組を観ていたら夜の街で働く女性が言っていた。
「アダルトビデオの通りにしてくるから困る。」

この言葉を聞いた時、あれは指南書にはならないとわかった。その途端に見る気が失せてしまったのである。

ちょうど年上の女性とお付き合いを始めた頃で、我がセックスライフは充実していた。
だから指南書とならないあれを見たところで意味がないと思ってしまったのだ。

そもそも他人のセックスを見て楽しいとは思わない。羨ましくはあっても。

そんな私がたまたまこのようなことを始めてからアダルトビデオを見たのであった。

相変わらずストーリー性もないセックスシーンが映されていたのであるが、1つだけ20年前と異なるシーンが見受けられた。

男優さんのアンダーヘアが一部ないのである。
そう、ぺニスの部分とタマタマからお尻にかけてのヘアがないのだ。

「これはいいかもしれない。」
そう思ってしまったのであった。

さて、真似するにもどうしたことか。
カミソリで剃るのはあまり宜しくないことはわかっていた。

かつて毛ぞりしていた女性とセックスをした時にチクチクしたことがあった。

これは私がそうすると同じような支障を来すような気がした。

だからと言って脱毛剤のようなものを使うのは少し怖い。
更にエステのようなところでやってもらうのは極て恥ずかしい。

と言うことで「抜く」ことにしたのである。
風呂やトイレで地道に抜く。
情けなくなることもあるが致し方ない。
自分で決めたことだから。
今でも続けている。

なぜこんなことを続けているかと言えば、これをした後に当時の彼女がフェラをちゃんとしてくれるようになったからである。

私は女性にフェラを強要することはないし、それがなくても勃つので拘りのようなものはない。

しかし、してもらえるのは嬉しいのである。

当時の彼女はフェラが嫌いであった。
たま~に気が向いた程度の時にしてくれる程度だった。

しかし、私のヘアが下半分無くなっていることに気づくと丁寧にフェラをしてくれるようになった。

気持ちいい、タマタマや裏筋まで丁寧に愛撫してくれるようになったのであった。

確かにそれはそうなのかもしれない。

女性はアンダーヘアにまで気を遣う。
それに対して男性は無頓着過ぎるような気がするのだ。

アンダーヘアをボーボーにしていたら、フェラの時に抜けて口に入ることもあるのではないか?

そう思うと私も女性に大変な失礼をしてきたと思うのである。

それに、陰茎のヘアを根元まで抜けば、愚息がちょっと大きく見えるかもしれないものね(笑)

これからも続けて行こうと思う。

ショボくれたおじさん

毎朝通勤をしていて、そして普段街に出たりして、「こうにはなりたくないな。」という同世代がいる。

チビ、デブ、ハゲという三要素については、既に結果がはっきりしているチビを除いては「ならないように」努力をするしかない。

デブとハゲについて言うと普段からかなり厳しい寸評を自らの口から吐いていることから「今さらなれない」というのがある。
困ったものだ。

それよりも怖いと思うのが、「ショボくれたおじさん」になることだ。
私の世代になると結構多いという現実がある。

女性でも「女を捨てている」というのはある。

私はこんなことを9年近くしていて、「男とどうにかなりたいのであれば、もう少しちゃんとしたらいいのに」と思わせる女性がいなかったと言えば嘘になる。

しかし、もともと需給バランスがズレていることから、そうした女性でも疑似恋愛できてしまったりするんだね。
これからそうした世界にいきたいと思う女性がいるならば、相手を選ばずに考えるならば、そういう意味では自信を持っていいと思う。

一方で男は女性よりも「セックスしたい」願望があるのは事実で、普段見る「ショボくれたおじさん」も、もしかすると恋愛を求めているのかな?なんて思ってしまう。

自らはそうなりたくないよね。

「この男に抱かれたい‼」と思わせる見た目と雰囲気は保ちたいと思う。

年々、経年劣化していくことは身を持って思う。

ただ、それに甘んじてしまっては「いけない」と思うんだね。

女性が「この人に許してもいい。」という要素はいろいろあると思う。

それにオスである部分は要素として残しておきたいな、なんて思って日々を過ごしているわけである。

毎朝鏡を見た時に「ショボくれているな。」と思う時がこうした世界から足を洗う時だと思う。

10年ぶりにセックスをした女7

「ヒッ!」

彼女は驚きの声をあげた。

私は既に愛液にまみれる彼女の蜜壺に舌を這わせた。

「まだなの?」

彼女が聞いてきたから答えた。

「まだ舐めてあげてなかったからさ。嫌かな?」

「お願い。」

私は愛撫を続けた。
先ずは一番感じるところに少しだけ舌を当てて、それから太腿あたりを丁寧にリップや舌を使って愛撫した。

ビキニラインに性感帯のある女性は多い。特に尿道の通っているであろう位置はそうしたゾーンであることが多い。
彼女もそれがピタリと当たった。

私は左右のそのあたりに執拗に、そして強く舌を当てたのである。
そんな愛撫は受けたことがないのであろう。
しかし、彼女の感嘆の声が上がり続けることで自らの愛撫の方法は誤りではないことを示してくれていたのである。

周囲をそうした後には、一番感じるゾーンに舌を近づけていった。
勿論、ヘアの生えるあたりも丁寧に舐めながら。

私のぺニスは彼女の身体とそれを補助する声に興奮して、MAXに膨れ上がっていた。

私は愛撫を止めた。

彼女にこう言ったのである。
「ほら、こんなに興奮している。入りたくて仕方がないんだね。」

そして彼女にぺニスを触らせた。

彼女の言葉通り、本当に久しぶりのセックスであったのであろう。
ぺニスをしごく手はぎごちなかった。

それでも興奮しきったぺニスには十分なくらいの刺激を与えてくれた。

私は手を離させた。
このまま続けさせれば放出の危機にさらされると思ったからである。

私は再び彼女の中心付近を愛撫すると、いよいよ愛液にまみれたアソコを無造作に舐め始めたのであった。

男に許されなくて、女には許されるもの

不倫経験がない人からすると、不倫という関係は非日常を求め、ラブホテルでセックスに勤しむことのように思われるかもしれない。

こう書いていて、実はそのイメージ通りの交際をしている方がいいのかな?などと思ってみたりするのだが、現実にはそうではなくて普通に恋愛関係となることの方が多い。

そうなると当然のことながら、それは「日常」ということになるのである。

そして、いろいろな会話をする。
どっぷり行くと将来のことまで話し始めたりもする。
当人たちは意外と真面目なわけである。

日常≒緊張感からの解放というのは決して悪いことではないのであるが、それがために関係が良くなくなるケースもありうる。

気をつけたいのは家族の話だ。

男女共に気をつけたいのは、配偶者の話である。

男性は単なる浮気心で不倫関係となる場合があるが、女性の場合はほとんどの場合が配偶者に対する不満から不倫関係となるのであろう。

勿論、それが原因なのだから、それを話さざるを得ないのであろうがあまりやり過ぎるのは如何なものかと思う。

配偶者への不満の内容が不倫相手にも該当してしまったり、「そんなことさえ不満に思うわけ?」と我慢のレベルが低い人間だと思われたりするからである。

女性を例にとったが、男性とて同様である。

一方で子供の話というのは男はしない方がいいような気がする。

なぜなら女性が配偶者に抱く不満の1つに育児のことがある。男性が育児に理解がない、などのようなことだ。

もし、不倫相手が子煩悩であったりしたら女性はどう考えるであろうか?

不倫相手は勿論、他人の配偶者である。
そして、不倫は自らの配偶者との比較により始まる部分が多い。
にも拘わらず、自分が不満に思うことを不倫相手はその配偶者に不満を抱かせていないということに不快感を覚えるようなのである。

男性とは育児に関わらないもの。
こうした考えにある女性には、自らの子供の話はしない方がいい。

今の若い世代は仕事も育児も分業している場合が多いようだが、私のお相手世代はそのような考えを持っている場合が多い。

だから私は聞かれない限り、自らの子供の話はしないようにしている。

しかし、女性が子供の話をするのは仕方ないと思う。
これは「自らの腹を痛めた。」という言葉を象徴的として、女性と子供との関係は男性では思慮しかねる重いものがある。

この話題をシャットアウトしてしまっては、お子さんのいる女性とお付き合いをするのは難しい。

お付き合いする男女の関係はフラットであることがいい。

ただ一部、片務的になることでバランスが取れることもあるということは寛容に理解しないといけない。

10年ぶりにセックスをした女6

彼女の身体から力が抜けたため、私は彼女をベッドに寝かせた。

そして自らもその横に寝そべったのであった。
しばらくインターバルを置こうと思った。

まだ彼女がどういうタイプかわからない中で無理に連続して愛撫を続けるのは、かえってマイナスになることもあることを私は知っていたからだ。

しかし、そんな私を尻目に次に動いたのは彼女の方であった。
私に抱きついてきて、キスをし、言ったのである。

「すごく気持ち良かった。こんなに気持ち良かったの初めて。」
嬉しい言葉である。

「以前の時よりも女性として成熟したからじゃないかな?どこまで気持ち良くなれるか、やってみる?」

彼女は恥ずかしそうな顔をしながらも頷いたのであった。

私は彼女を仰向けにした。
そして自らも裸になると、彼女のいやらしい声で既に興奮していたぺニスにコンドームを装着した。

彼女にキスをしてから上半身を起こし、彼女を開脚させた。

彼女はいよいよインサートだと思ったのであろう。軽く目を閉じた。

ぺニスが入ってくる、と思った場所には私の舌先が当たっていたのであった。

どこからが不倫か?~斉藤由貴の会見報道を見て

テレビをあまり見ないためにタレントさんについてのことがよくわからない。

学生の時にほんの短い期間、タレントさんとお付き合いをしたことがあったのだが、最初はタレントさんであることすら知らなかった(笑)

それほどまでに昔からテレビを見ないし、昨今に至っては1週間以上見ないなんてことはザラなのである。

見たとしてもニュースを朝流すように聞くか、画面を見るならスポーツくらいという始末だ。

最近はBGMにすらならないニュースにしてもネットを見れば、詳細に出てくる。そして、その裏打ちは昼間社有車で聞くラジオのコメンテーターの一言、二言を自分なりに咀嚼すれば、客先で困ることはないというのが自分なりの結論なのである。

しかし、ごく稀に仕事でタレントさんの話になったりする。

さすがに子供の頃はテレビを見ていたため、まったくタレントさんを知らないわけではないが、その方々をネットで見るのはご逝去の報ということが多いので、毎年かなりのペースで知っているタレントさんが物故者となり私の中から消えていくものだから、現存する私の意識の内にあるタレントさんなんて数えるほどしかいないのである。

前置きが長くなったが、そんな私でも斉藤由貴というタレントは知っている。

その人のスキャンダルが上がった。

直近、同じようなタレントさんでスキャンダルが上がったのは今井絵理子さんという方だが、こちらは存じ上げない。

「一線は越えていません」という彼女の答えに「一線とはなんですか?」と聞いた芸能リポーターのセンスを疑うのである。ショーもない質問だよね。

繰り返しになるが、こんな私でもギリギリ斉藤由貴は知っていたのだ。

Yahoo!ニュースでその姿を見ると「お変わりなく」と言いたいところではあるが、やはりそれなりに年齢を重ねられたようである。
当たり前の話ではあるが。

今回報道されているのは長年主治医としてきたドクターと手を繋いでいる写真を撮影されたというものであった。

なーんだ、そんなことで、という感じと思われる方も多いだろうし、斉藤由貴さん自身もアメリカにいたことを理由にその現象は普通のことと受け流している。

しかし、本当にそうなのだろうか?

手を繋いでくれるという現象は実は私は女性が私と肉体関係に至ってもいいかどうか?の指標としている。

この現象は勢い余ってのキスよりもセックスをしてもいいかどうかの指標としては間違いないものとなっている。あくまで私の経験則でしかないが。

私はステディな彼女を作りたいという理由で出会い系サイトに登録をした。
しかし、もう1つの理由として自らに欠けている女性経験を豊富にしたいという欲望もあった。

そして、彼女がいない期間は女性経験を積む活動をした。より多くの女性と知り合い、ベッドを共にしたいと考えたんだね。
手前勝手な考えだと思うが、それが次にお付き合いをするステディとの恋愛をうまくできる、くらいに思っていた。

その頃に実感したOKのサインがこの「手を繋ぐ」というものであった。

出会ったその日にセックスをした女性も何人かいる。
勿論、サイメではある程度盛り上がってはいた。

しかし、実際に出会ってから判断というのは当然ある。

車で待ち合わせた場合もあるし、繁華街で食事をしてからというのもあったが、そっと手を出すと握ってきた。すると私は言うのである。

「二人きりになれるところに行ってもいい?」

今のところ、これでノーはないのだ。

斉藤由貴さんの話に戻ると、タレントさんであるからして男女の付き合いもこなれていると思う。

だから、実際にはどうかはわからないことではあるが、同時に斉藤由貴さんは「好意を持っていた。」と答えている。

恐らくだが、少なくとも男性が口説きにかかったら 、そうなっていたということなんだろうね。

性欲が強くないと思われる理由

出会い系サイトのサイメで女性とやり取りをしていて親密になるといろいろな話をすることになる。

私はこうしたサイメのやり取りやプロフィールについては正直に書くようにしている。

勿論私もそうなのだが、女性も私に対する一定の印象が出来上がる。

そして出会ってみるとサイメとの印象があまり変わらないということを言われる。

たぶんこれは女性の安心感に繋がっていると思う。

女性に対してのことと今現在不倫をしたり、それを求めていたりすることは別にして、これまであまり恥ずかしい人生を過ごしてきていないからこそできるのであろうが、デフォルメされていないことがわかると女性は安心してくれ、心を開いてくれるようなのである。

その安心感をもって、舞台をベッドに移すとその印象は急変するらしい。

この意外な印象というのは一人や二人の女性に言われたことではない。半分くらいの女性に言われたことであるし、言わないだけでもっと多くの女性が抱いた印象かもしれない。

「性欲が強いんだね。意外だわ。」
表現方法は様々であるが、このような意味のことを言われる。

セックスという基本的には男女が二人で密室で行うものであるから自ら較べたことはないのであるが、女性の感想からするとどうやらそういうことになるらしい。

「なぜ意外なの?」
そう聞くと
「貴方のような学歴、職種の人はセックスが強いという印象がない。」
とのことである。
そして会ってみた時の見た目が更にそれを強めるらしい。

これは大した誤解なのである。

確かにガテン系の男性の方が体力はあるのは事実である。
しかし、それと精力というのは別物であると思う。

ましてや学歴と性欲は関係がない。
これは根底にセックスが卑しいものというような考えがあるからなのだろうか?

いやいや、セックスというものは「頭」でするものだ。
本能は利用しているだけで、実際には頭を使ってする行為だから楽しいし、工夫も生まれるというものだ。

第一印象が「あまりセックスが強そうじゃない。」と思われることについては、ちょっと悔しいところもあるのだが、その意外性を女性に楽しんでもらうことの方がいいのかな?とも思うのである。

10年ぶりにセックスをした女5

そうした私の焦らしに気づいたのであろう。
もう堪らないと言ったような口調で言ってきたのであった。

「おっぱいを舐めて。乳首が感じるの。」

リクエストには答えないといけない。
私は乳首に愛撫を加えた。

単に舐めるというだけではなく、ソフトに吸い上げたり、乳頭だけに舌先を当てて左右に首を振ったりして彼女の反応を見た。

自ら言う通り、胸の感度はかなり良く、声を圧し殺せなくなっていた。

左右の胸を順に舐めた。どちらの胸も感度は良かったが右の方がより良いことがわかった私は右胸に口を当て、左胸の乳首は右手の指で弄んだ。

「もうダメ」と言って身体を痙攣させた。
はっきりとはわからなかったが、胸への愛撫だけで逝ってしまったようである。

この感度と反応は十分に楽しませてくれそうである。

こんな女性が10年もセックスをしていないなんて本当にもったいないことであると思った。

そして、その分一気に開花させてあげたいと思ったのである。

私は彼女のスカートを、そしてパンティをも一気に脱がせた。

彼女をベッドに座らせて開脚させた。
私は背後に回って頭を右胸に近づけて乳首を舐め、左手で左胸を愛撫し、余った右手を割れ目に持っていった。

一番三点責めがしやすい体制である。

茂みの中は既にかなり濡れていた。

「そんなことしたら」
彼女は何をされるかがわかったのだろう。

そしてその言葉通り、「逝く、逝く」と言って果てるのはあっという間であった。