ゲスな男、ゲスな女(9年間の不倫と今の戯言)

40過ぎに女の味を知ったショーもない男のブログです。言いたいこと言うばかりで参考にもなりゃしないと思います。コメントは承認制にしているので、非公開の場合はその旨書いてください。

籠の鳥を解消しないと不倫はその1

出会い系サイトでプロフィール検索をするとき、「既婚、未婚、バツあり」のような婚姻経験のあるなしが選択肢としてあればいいのであるがプロフィールを入れる時にその選択肢がないために検索する側もそれがカテゴリーとしてない、という場合がある。

私は単身者とお付き合いをするつもりはないので、そうしたサイトに登録して検索をするときには職業欄を「人妻」とか「主婦」とかにして単身者に行きつかないようにするのである。

こうした出会いを始めた頃にはちょっと勘違いをしていたこともあって「人妻」とか「主婦」という人の方が「時間もあって良かろう」と思っていたのであった。

しかし、本当に「人妻」「主婦」に時間があるか?と言えばそうでもないということを知る、

勿論、働く既婚女性に較べれば専業主婦は時間があるのは事実であろう。

ただ、「時間がある」と「自由時間がある」のとは違うということなんだね。

そこを追求し始めると何故「主婦」をしているのか?ということに行き着く。

これは配偶者の心理からすると「経済的に支配することで自由を奪う」ということに他ならないと思うんだ。

しかし、そうした「主婦」こそが配偶者に大きな不満を抱いていることも事実であることも知る。

それは正に「自由を奪われているから」に他ならないと思うのである。

もう少し現代的に言うとモラハラを受けている、とさえ感じるのであろう。

男という立場からすると十分な生活費を与えているからいいだろう、ということになる。

しかし、その対価として家事、子育て、そしてセックスが当たり前かのよう、もっと言うと「家主は俺だ」とばかりに上から目線でこられると小さな不満が積もるのだね。

私の不倫相手でも「もう少し配偶者に感謝した方がいいのでは?」というケースがなかったわけではないが、この時代、自らの親の世代と同じような関係を築くことは男にとって困難であると思わないといけないようだ。

その一方で抱いた不満の捌け口を他の男に求めようとした時に「自由」がないことに改めて気づく。

そして気づく前にサイトに登録し、思うがままに「平日の昼間」という聖域に時間のある男性を求めてしまうと、以前書いた通りに捌け口の選択肢を狭めるばかりか質までも落としかねないのである。

つづく