若き頃の不倫の追憶10~セックスが合うようになるまでは
猿のように、などと言ったら猿に失礼にあたる。
私はそれまでの女気がない生活が一変した。
本来であるならば大学を出たての駆け出しのサラリーマンである。
がむしゃらに働かなければならないのに、その集中力は彼女に向けられた。
週末のデートは土日いずれか1日としていたのがいつの間にか両日となり、平日さえ上司や先輩の目を盗んでは早帰りをして彼女を呼び出し、都内のラブホで二時間ほど楽しんでから帰宅をした。
彼女もよくそれに付き合ってくれたものであると思う。
早くて下手くそな男の出すだけのセックスを楽しめていたか?と言えば決してそんなことはあるまい。
それは女性特有の母性とホスピタリティーがそうさせていたとしか思えないのである。
それにしても下手くそなままであった。「上手くなろう」という向上心に欠けていたことが原因であったのだ。
早いのもいかんともしがたいものがあった。
1日のうちに5回程度射精した後は少し持ったが、それまでは三こすり半という表現がピタリとくるようなものであった。恥ずかしい話だ。
そうして、まさしくさせてもらっていたわけなのであったが1年くらいした時、彼女が言ったのであった。
「貴方が逝くのがわかると私も逝ってしまうの」
確かにたまに彼女は身を捩らせたり、深淵なところからなまめかしい声を出していた。
「だから逝く時に教えて欲しいの。耳元でささやいて」
それからというもの私は出そうになると彼女の耳元で言った。「逝くよ」
その度に彼女も悦びの声を上げた。
これは肉体的な満足ではなく、女性特有の「脳幹で逝く」というものであったに違いない。
そうだとしても二人でセックスを楽しめるようになったのである。
お付き合いをした女性とのことを思い起こすとセックスが合うようになるのは一定の時間がかかるような気がする。
いや、肉体的な満足については1回目で果たせるということはわかっている。
それだけであれば前戯で十分に身体を温め、経験上感じるであろう箇所に突き立てツボに嵌まれば逝ってくれる。
むしろ「脳幹で逝く」ということの方が難しい。
そこには間違いなく安心感のようなものが伴わないとなし得ないと思っている。
二人だけのセックスという間合いのようなものが必要なんだよね。
つづく