存在をありがたく感じる
この歳になって恋愛する対象がいるということは本当にありがたいことであると思う。
もしその存在がなければもちろん今の自分はないと思うし、日々を明るく過ごせるのもその存在があってこそなのである。
だから感謝しないといけない。真にそう思う。
どのレベルを恋愛と呼ぶかはわからない。
しかし、そうした存在がいなかった期間を考えるとレベル感は異なれど、いた時の方が自らに余裕があったことも事実なのである。
私はお付き合いをする異性をステディとセフレというカテゴリーに分けている。
実はこちらから主体的にすることに両者はあまり大差ない。
ではなぜセフレと呼んでしまうのか?というとそう宣言してお付き合いを開始してしまうことがほとんどであったからだ。
これはお相手にそれを知らしめるということもあるが、自ら気持ちを入れ込まないということでもある、というかその方が大きい。
つまりは同じことをしていても気持ちが入っているか?いないか?であり、これは大きな差があるのだ。
正直なことを言えば一時期めんどくさくなってセフレだけでいいかな?と思ったこともあった。
それを1年くらいかな、続けてみたのであるが、先に言ったような余裕が持てないことに気づいた。
ビジネスシーンでも力が発揮できなかった。
だから再び…と思ったら今のステディが現れた。
そんなに簡単に見つかるのか?と思われるかもしれないが、これは本当にたまたまというしかない。
ステディに対しては、たまに嫉妬したりやきもきしたりすることを除いては気持ちは本当に安定している。もちろん、そこに気持ちの損得勘定を思うことはない。
それはステディが私のことを思ってくれていることを肌で感じているからだと思う。
普段は特別な何かをするわけでもない。
それでもその存在をありがたく思っているから、それでいいのである。
そしてそうじゃないと長続きしないと思うのだね。
ただ、それにいつも甘んじていてはいけないというのも事実。