ゲスな男、ゲスな女(9年間の不倫と今の戯言)

40過ぎに女の味を知ったショーもない男のブログです。言いたいこと言うばかりで参考にもなりゃしないと思います。コメントは承認制にしているので、非公開の場合はその旨書いてください。

不倫やセフレを作って何か良かったことがあるとすれば。

世間から後ろ指を指されるような不倫ということをしているのは、フィジカルもメンタルも今を満足するということが一番にあることは間違いない。

ただそれを続ける理由として、もうひとつあるとすればこの10年間で明らかに私が変わったということなのである。

先日、選民思想ということを書いたが、それは私にももちろんある。そして10年前には今よりももっとあった。

しかし、出会い系サイトという、かつては忌み嫌うほどの「低俗」なところに身を置き、そして約40人もの女性と身体を重ね、もっとたくさんの女性と出会い、そのうち2人の女性がステディとなるという「経験」をした時にそれまでの自らの視野がどれだけ狭かったのか?と思うのである。

私は商売上、万人に関わるので…選民思想を持ち、自らのもともと持つ感性で仕事をしていると端から見れば「殿様商売」くらいに見られていたのかもしれない…と今さらながらに思うのだ。

それは今、なくなったね。
気持ちがわかるというのは元来ある優しさとか慈しみとか言うことが一番のファクターではあると思う。それは育ちの部分によるよね。だから自らの近似値にある人にはそれを発揮できた。

しかし、私はそれに留まっていたのであるが、この10年でその振れ幅は大きくなった。人は上を見ることは多いのだけど、下を見ることはなるべくしないようにする。

それを根底から覆すこの10年だったと思う。あくまで自分を正当化してのことだけどね。

もうひとつ言うと10年前までの私は女性にからきし弱かった。

今もその傾向はあるのだし、そうでないと女性とのお付き合いも上手くはいかないと自覚しているのであるが、同じホモサピエンスであるが、人種よりもジェンダーの方がより「異なる種」と思っていたところがある。

異性という「よくわからないもの」に対して、どう接していいのか?がよくわからないままに過ごしてきたのである。それは女性と接する機会が少ない環境に育ってきたということに大いに関係する。

ちょうど男女雇用機会均等法が(当初は無理矢理感があったが)やっと浸透しはじめたところで私は仕事上でマネジメントをしなければならない時期にさしかかったのであった。

そこでジェンダーを感じ過ぎて、女性の部下を使いきれない…なんてことをしなかったのはこの経験にあると思うのだよね。

差別意識とは何かいわれのない理由で下に見るということであると思っているのであるが、そこに「よくわからないもの」という要素が加わった時に仕事で言うとパワハラをはたらいてしまったり、仕事を自らの理由としてセクハラをはたらいてしまったりするのであろうね。

こうして文字におこすと当たり前なことが意外にもできていないということは世間を見ても手元を見ても普通に横行しているのは明らかなんだよね。

それらの意味でもいい経験をさせてもらったと思っている。

過去形ではなく、もらっているという現在進行形でね。