ゲスな男、ゲスな女(9年間の不倫と今の戯言)

40過ぎに女の味を知ったショーもない男のブログです。言いたいこと言うばかりで参考にもなりゃしないと思います。コメントは承認制にしているので、非公開の場合はその旨書いてください。

確かにハーフはかわいいし。

昨日だったか?
ハーフの双子の男の子を町中で見た。
何でだろうね、あのハーフというのはやけにかわいらしい。

こんな私でも学生時代にハーフの女性とお付き合いするかもしれない…くらいのところまでいったことがある。

確かオーストラリアと日本のハーフだったかな?
何度かデートをして…と言ってもドライブとか飲みに行く程度で一線は越えられなかった。キスさえもしていない。手は繋いだかな?

私が踏み込めればお付き合いに至ったのかもしれないけれども、それをしなかったがためにあっさりお別れとなってしまった。残念なことだったね。

このハーフの女性で印象的なのはその見た目スタイルの良さもそうだったのであるが、考え方が本当にフラットであったということだ。

どちらかというと古い家に育ち、モロ日本人という私にはかなり新鮮なものがあった。

異文化の中で育ち、それでも一緒になろうと決めたご両親はたぶんいろいろと葛藤がありながらもお互いに合わせるべきは合わせてきた…ということがこの女性にも反映していたのであろうか?と今さらながらに思うのである。

長い短いは別として日本人同士でお付き合いしても生活観の違いが見られるのであるから異国ともなればそれは相当な努力があったと思う。時代も時代だったしね。

彼女自身も斜めに見られただろうし、陰では「合の子」などと揶揄されたこともあったかもしれないな。そんな時代であった。

しかし、今はそんな時代でもない。
かなりボーダレスになってきたと言える。

以前、辛坊治郎さんがテレビ番組で言っていた。
民族間の差別を無くすには国際結婚を奨励して、ハーフを増やすしかない、と。

確かにもっともな考えだと思ったのだね。
おまけにできた子供はかわいい(場合が多い)とくれば、それもいいんじゃないか?と。

意外とこの地は北方領土の問題もあり、ナショナリズムが強い。首都圏にいる時のように「ロシアからしたら南の島なんだから」のような発言は軽はずみにはできない雰囲気にある。

ただもとはと言えば、先住民がいた地でもあることを忘れてはならないと思う。開拓とは入植であったとも言えないだろうか?

そして、先住民とのハーフを作ることによって150年でこの地の文化を築いたかのようになっているということではないのかな?

やはり辛坊治郎さんの意見は正しいのかもしれない。
そして、この地は美人さんが多いというのもそのあたりに理由があるのかもしれない。

プレゼントをしたい

好きなお相手ができると「プレゼントをしたい」と思う気持ちになるのは普通なことではないだろうか?

これは人間だけでなく、鳥なんかでも気を引こうとしてプレゼントを渡すらしい。
確かカワセミという鳥の一種だったと思う。
オスが気に入ったメスにエサである魚のプレゼントをするという。

それが気に入る…つまり、この後二人で巣作りをしてメスは卵を産み、子育てをするにあたりエサを取り自らと子供を守れるだけの経済力があるのか?を試金石として配偶者を決めるというものであるのだが、むろんそれは本能に基づくものである。

しかし、人間の恋愛は本能だけではもちろんないし、況してや不倫ともなれば経済力だけでは決してない。

当たり前のことだ。

もし経済力だけだとすれば、金満オヤジが金で釣れる女性を独り占めすることが(昭和の妾の感覚)不倫となるだろう。

しかし、世の中そうではない。
最も卑近な例を言えば私と過去から現在のステディやセフレの関係がそうではない。

だけど…そうじゃない関係があったとしても私はプレゼントをしたい!と思ってしまうのである。

装飾品、衣服、食べ物…なんかサプライズ的にプレゼントをしたいと思ってしまうのだ。

もちろん妾にまでできないから、生活まで支えはできないし、その程度の経済力である。お相手も少なくとも今は望んでいない。

ステディを例に取ろう。
前のステディはだいたい私がプレゼントしたものについては喜んでくれた。一度かな?外したことがあったのは。明らかにこれは違うと言われたリングがあったかな。

今のステディについては私がプレゼントを渡すことすら望んでいない感じだ。ジュエリー、スカーフ、衣服、日用品、食べ物…プレゼントしたのであるが、「ありがとう」とは言われるものの、実はあまり感謝されていないのかな?と思うのである。

まぁ、ステディの感覚がまだまだわかっていないのかもしれないな…と反省しきりなのである。

「プレゼントするな」と言われたことはない。
だけどね…たぶんなんだけど「中途半端なものは欲しくない」というのが彼女の本音なんだろうな…と思う。

私自身もそれはいいように考えようと思うよ。

ステディ自身は私にプレゼントしたがるんだけどね(笑)

それはたぶん普段のデート代を私が持っているからなのかな?

基本、50/50じゃないと嫌なようだからね。

ステディが欲しいものをあげればいいんだろうけど。聞けばいいよね?

だけどプレゼントできないように「別荘!」とか言いそうで怖いよね(笑)

「今すぐはできないけど、必ず叶えるよ」と言って仕事を頑張るのが正解なのかな?(笑)

たぶんそれは正解じゃないのだろうけどね。

このブログがリマインダー

かつてなぜこんなスケベブログを書いているかについて書いたことがあった。その時にも書いたかもしれない。

私は男としての自信が相当ない。
ルックスという点ではもちろんなのであるが男子校とそれに準ずる大学にいたために女心に疎いと思っているのである。

それは今をもってしてそうなのである。

そんな私がここ10年で40人くらいの女性とお付き合いをしたのである。
これは理由はなんであれ、女性に一時的にも認められたということになる。

それはそれで経験として大切にしないといけないと思っているし、女性の思い、考え、そしてセックスのプレイも最大限ステディに対して使わないといけないと思っているのである。

しかし、人は忘れっぽい。
良いことも忘れるのであるが、悪いことは忘れたいという思いがあるからか更に忘れるのが早いようだ。

バブル期に趣味の世界で知り合った羽振りのいい不動産屋のオッサンが弾けた後に首にコルセットを巻いていたが、たまたまリーマンショック後に会ったらまたコルセットを巻いていた。何度首釣りゃいいのかな?という話さ。

だから私は悪いことも含めてリマインドしたいな、というのがこのブログ。

女性心理と言っても人それぞれ。
生き方によって大きく違う。

しかし、その最小公倍数たるや莫大なものになるが最大公約数は一桁台の素数ではないと思っている。

やはり嫌なものは嫌だし、好きなものは好きなのである。

それを思い出したくて書いている、というかなり自分本位なブログなのである。

だから読者登録している人には申し訳ないね。
同じようなことばかりを書いてしまっていると思う。

本当に自分のためのブログであるから。

女性の読者の方は…たぶんこうしたら男は喜ぶし、不安がらないのだろうな…ということくらいはわかってもらえるのかな?と思う。最大公約数が大きくはなってくれるかもしれない。

しかし、男性の読者の方は…本当に申し訳ないね、たぶんこれから不倫を始めようとしている方くらいにしか「ためにならない」と思うのさ。

こんなに不埒なブログ。
しかし、あくまでも自分のためだからつづけていこうと思う。

人はあまり頭が良くはない。
かなり頭が良かったり、かなり場馴れしている人間でも失敗や失言をしてしまう。

ましてや凡人である私は間違いなくそうなる。
しかし、こんな私でもルーティンで失敗することはほとんどない。

女性関係をルーティンとできるほどモテはしないし、もしできる心と容姿を持ち合わせたとしてもそれだけの生活力と経済力が伴わないのである。つまり時間がない。

だからこのブログで経験の内だけでも思いだそうとしているという訳なのである。

ネタが尽きることくらいはわかっている。
しかし、ブログを書くために新しい女性を求めるなんてことはしない。主客転倒だからね。

明日もアホなことを書こうと思っているよ。

女の方が少ないという事実

なんで私が必死になって女性に好かれないといけないかと思うか?と言えば日本人の絶対数として女性の方が少ないのである。

なぜか?と言えばかんたんな話でこうした一度の産卵数が少ない動物においては本来メスが多いのだけど、弱い存在として雄を作った(そりゃそうだ、オスは生殖してそれが成功すればいいのだし、文明と呼べる時代から守るために一度に産む基本は一人としてきたのであるから)のであるから死ぬ数は当然カウントに入っているのである。

それがいつの間にか医学の進歩でたくさん生まれるオスが多くなってしまった。

本来そうではない。数多く子孫を残すものはメスの方が多い。
私は魚が好きなのでそれに準えれば、魚の中には全部メスということもあるのさ。
フナという魚がそうなのであるが、この魚の卵は他の同じ種族(コイ科)の精子でも授精する。
海にも成熟すると全てがメスになるクロダイという魚がいて、逆に小さい時はほとんどがオスなのである。地方によってはその小型魚をチンチンと呼ぶのはそのせいなのかもしれない。

そういう世界においてはオスであればあぶれない?で済むかもしれない。しかし、私は人間なのである。しかも医療技術の進んだ日本にいる。

私が小学生だったころ(その後は男子校、大学も圧倒的に男が多かった)は昭和50年代であったが「男子21人、女子19人」みたいなクラス編成であったと思う。

当時その数的な優位?を私はすでに憂いていたよね(笑)
「俺は誰にもありつけないんじゃないかな?」と。

そこまでの異常な感覚を持たないにしても、自分を相手にしてくれる女性は少ない…だからお相手してくれているだけでありがたい、と思う感覚はないといけないのではないかな?と思う。

確かに自分は大切だ。
これは主観でしかないが、自分は頑張ってきたと思うことも必要だし、今の自分が頑張っていると思うことも重要であると思う。

ただ、だから彼女さんがいるのではないかな?
頑張って、今の自分があるから彼女さんがいるのである。

確率的にはそうじゃないか?

だからお付き合いしてくれる女性には感謝しないといけないと思っているんだよね。

それを…甘え過ぎてはいけないと思う。
私がモテないからこそそう思ってしまうのかもしれない。

しかし、世間においてもどんどん相手にされなくなる年齢だ。
私のような年齢になると役職定年も考えることになる。

そうなった時にどれだけの人間が付いてきてくるというのか?今の立場があるから付いてきてくれるのではなかろうか?

ステディは「仕事で頑張っているあなたが好き」と言う。それこそ危機感を持つ。

私が窓際になった時に果たしてステディは付いてきてくれるであろうか?
私は人として魅力があるのであろうか?

現実、私よりもいい男なんて掃くほどいることくらい良くわかっている。

10年後、20年後を考えて私がステディから捨てられないと言う確証はない。

捨てられるってカッコいいか?
カッコいいわけがない。

だから今の自分を頑張らないと。
ただただそう思う。

確率論として低い、とても低い中でね。

セックスは演じないと。

女は演技するからね…そういう話はよく聞く話である。

自分の相手を傷つけまいとして感じているふりをしたり、逝くふりをしたりと…如何に下手でも満足しているふりをするというものである。

お互いにことを楽しく過ごしたいということなんだろうけど、こうした態度が男性の向上心を削ぐような気がしないでもない。

しかし、それに甘んじてはならないのであろうなと思っていてはならないのは男性の方なのであろうね。

私がセフレという存在を作っていた理由のひとつは自分の実力値を上げたいと思ったこともあるが、ある時期からは実力値を知りたいと思ったところもある。

嫌われてもいいとお互いに思う関係に於いては演技することも少ないのではないだろうか?と考えていたし、それで感じてくれるのであれば時のステディにも通用するのかな?なんて思ったりもした。

だからプレイは一生懸命したよね。試技もしたことはあったが基本的にはステディとしていることをそのままセフレにもしたというところがある。

しかし、この演技というのは否定的にとらえたらいけないのではないかな?と思うのである。

演技させないほどのテクニックを持つのもいいが、お互いに演じる部分があっていい、いや演じないといけないと思うのだね。

お付き合いをしている間柄に於いてセックスをしているのはほんの短い時間である。

それはいつまでも非日常でありたいと思うのだ。
特別な時間でありたい。

だからそんな時くらい素を離れて演じていいのだと思う。
そして、どう演じたらお相手に合うのかを追求していけばいいのではないかな?と思うのである。

思うがままにやってしまってはいけないのではないか…とね。

私は男だが演じることもある。
お相手が果てた時に逝くふりをすることがある。
だいたいの場合は女性が果てた後にまで居残るのは無用の長物だからね。

お相手が感じてくれ、更に悦びを逝くという現象で表してくれたら私のセックスはそれで満足なのである。

だからそれでフィニッシュでいいんだと思うんだよね。

セックスは過剰なのか?

まさに今セックスが嫌いな女性の話を書いているので、すべての女性がセックスが好きとは言わないのであるが、それはパートナーもまたあまり好きではない、パートナーそのものがいない、または嫌な過去の経験があるということがほとんどであり、それ以外の女性は「好き」というのが私の経験のうちにある。

それは本能ということを利用してセックスという遊びをしているならば当たり前の話で、そもそもが本能という点からすると女性が「さかる」ことをしないと交尾は始まらない。

自然界においては交尾は子孫を作るという点においてはかなり崇高なものである。
それが遊戯になったのは人間が高い知力を持つということもあるが、かなり繁殖力が高いというのは一年中繁殖期ということであろう。もちろんそうなるには高い文明があってこそ、つまりは無防備な繁殖という行為を安全に過ごすルールを自ら作っていったからであろう。

自然と本能を中心に考えれば、それは本能から逸脱した「過剰」という言葉で整理できないでもない。
平成の始めにそれを言っていた学者(大学教授)はいたし、私もそう思っていた。

それで整理がつく、そして整理をつけないという流れ、特にリーバイス創始者であるレビィストロースが周辺部=欧米文化を見直すが如くの本能から発するアフリカなどの文明と文化が昇華されつつあったためにそれも致し方ないことなんだろうなと思っている。

亜種の間で子孫を作るということが当たり前になってきた時代でもあった。
しかし、ナショナリズムというのはどこにでもあって亜種(ハーフ)はかわいいとわかっていてもそれが進まないのはアンチテーゼではないかと思っている。

何せその時の私はその考えを信奉していたのであるからこんな考えすら持たないし、それをつい最近までそう思ってきたのである。

それに反する、つまりはほとんどの自然に勝ってしまうというガリバーな人間という産物が隆盛を誇る中では、そんな論理は通用しないと思っている。

その話はまた書くとして、私がこんな考えになったのはごく最近、何人かの女性と逢瀬を経験してからである。

だから経験なのだね。

当時そんなことは思わなかったけど、教授さん、どうでもいいような女流作家のチチを揉んだりキスしたりしたのをFRIDAYされたんだよね。

当時は情けない話と思っていた。信奉していたのでね。

しかし、今はわからないでもないかな?と思う。

ただね、そうした時に彼の論理は変わらなかったのかな?と思う。

私なら変えるかな?

手のひらは返すためにあるからね(笑)

やきもきすることと嫉妬と

ステディとお付き合いを開始して2年半が経過する。

その間、多少なりとも危機はあったし、現に私はセフレと浮気していたことはあったのだが、今は順風満帆といっても良いのかもしれない。

それもこれもステディができた女であるし、何故かわからないが私に惚れてくれているのである。

しかし、そういう状況をもってしても…私が男として自信がないためにやきもきしたり、ちょっとしたことで嫉妬してしまったりするのである。

当たり前のこと…かもしれないが会社でもなかなかモテるみたいである。
そうはっきりとは言わないがステディを慕う男性は先輩、後輩を問わず多いようだ。

その意味では私も社内で異性に慕われてはいると思うし、他の人間が言ったら間違いなくセクハラとされるようなことを言ったところで許される、というか感心さえされる。

だから慕われている男性たちと男女の話となった話を聞いてもステディがそれらの男性に靡くとは思わない。しかし、嫉妬はする。

何人かの男性からは誘われるらしい。しかし、それを「キモい」と言っているので絶対に大丈夫だが、それもちょっとやきもきする。

それらはまだいい。
ステディは私と付き合う前に憧れていた男性がいる、というのだ。この人だけは角に置けない。

ステディはたまに残業なのか飲みにいったのかわからない時がある。
しばらくラインが途切れたりするのだ。

それでも2時間もすればラインが来るから…そういうことにはなってはいないと思うのであるが、その男性と飲んでいたら?なんて思うとやきもきするのである。

いやはや…過去ではあるが、自らがもっとひどいことをしていたのにステディが飲んでいるだけで落ち着かないなんてね。

わがままな話さ。

もちろん誰かと飲んでいたことが垣間見れたり、会話の中で会社の男性の話になっても余裕をかましたふりをしている。

そこで慌てたら小さいと思われるし、「信用してないの?」という話になるからね。

そういう時には常に笑顔で「うんうん」と聞いている。

実はひきつっているかもね…

近道をしてしまう

私にとってのセックスの悦びは女性が感じてくれることである。

何度か書いてはいるが、男の快感なんて一瞬のうちに果たせてしまったりするのでそれだけでは面白くもなんともないのである。

中には大して前戯もせずにインサートし、ガンガン突いて、はいおしまいという男性もいることは何人かの女性に聞いているのであるが、果たしてそれでいいとでも思っているのかな?ということである。
私からすると甚だ疑問なのである。

セックスというのは少なくとも二人いないとできない。一人だとオナニーということになる。

しかし、そのオナニーに近いことを女性のヴァギナを使ってしているだけという男性が世の中にいるということなのである。

もちろん、女性は男性が自らの中で果てることに快楽を感じるから、たまにはそんなセックスをしてもいいのかもしれない。

ただ基本はなるべく肌を合わせる時間を長く持ち、ソフトタッチかつ、外側から内側に愛撫を進めるというのが基本なのではないか?

少し前にアダム式とか呼ばれるセックスの仕方が紹介されたがあれが最たるものであろう。

私はあそこまで達観?してセックスはできないのであるが、その気持ちは持っておこうと思っている。

しかし、私もたまにかなり欲情をしてしまい、近道をしてしまうことがあるのだ。情けない話なのだけど。

前戯をしないわけではないし、パートナーからインサートを求められる程度には愛撫する。

いつものようにキスから始めて全身愛撫をしようとするのであるが堪えきれなくなって乳首とかクリトリスに早期にいってしまうのである。

まさに近道、ショートカットである。

それでインサートを求められる時間も早くなる。

終わってみて…ダメなセックスだったな…と反省しきりになるのである。

こんなことをしてどの女性からも一度として文句を言われたことはない。しかし、きっと「いつもと違うな」と思っていると思うのだ。

セックスとは肉体的な快楽だけではない。
最中にはあまり言葉は交わさないが、どれだけお相手を思ってしているか?が重要だと思うのだね。

これからもこうした30点みたいなセックスはしてはならないと思うのだよね。

アンダーウェア

セックスをする関係になった時にアンダーウェアというものが気にならないのかな?と思うのである。

私の経験では「気にしてくれている」という人と「けっこう無頓着だな」という人と二通りいる。

男の私でも少し気になるのである。
こういうことを始める前には機能性のみを重視していたが、始める前に少しずつファッション性も考えて購入するようにした。

私はもともと履かないが男性でもベッドインしたら白のBVDのブリーフだったなんてことだったらちょっと興醒めされてしまうのではないかな?と思うのである。

男性の場合はそうは言っても自分で洗濯をしないことも多いだろうから急激な変更は配偶者に怪しまれるなどのリスクが生まれるからやむにやまれず、ということもあるかもしれない。

私はそういうことが嫌であったため事前準備としてファッション性のあるものに替えたということだ。

女性の場合はそうしたリスクというものが減ると思うのであるが、それでも機能性のみを重視しているかのような下着をつけて来られる方がけっこう多かった。

シャワーなどを浴びてからすることがほとんどであるから「見せない」前提であるのかもしれない。しかし、どういう状況になるかはわからないではないか?

それならば「見せる」前提で考えておかないといけないと思うのだよね。

ファッションや美にうるさいのであろうな?と思う女性が下着だけ「あれ?」ということもある。

そうなると…本当にこの人はおしゃれなのかな?と思ってしまうのだね。

私のステディはすごくセクシーな下着をつけている。しかし、二人でシャワーを浴びたり、風呂に入ってから…ということがほとんどであるから、そのセクシー下着を脱がせてなんていうことにはならない。

時々、帰り近くに垣間見る程度だ。

今度風呂の後につけてもらうようにお願いしてみようかな?

ちょっと恥ずかしいけどね(笑)

セックスが嫌いな女~その8

ここで焦ってはならない。
変な台詞を口走ってしまったが、本来それもご法度なわけである。
目の前にいるのは妙齢の女性であるのだが、私は処女に対さないといけないと思ってちょうどいいのであろう。

それをそのまま口に出した。
「ごめんね…焦らずゆっくりと進めていこう」
そう言って私は彼女を抱きしめたのであった。

私はもう一度スタートから始めようと思い、彼女の顎に手をかけてキスから開始したのであった。

キスについてはパートナーともしていたのであろうか?むろん積極的ではないにせよ、私の動きについてきて舌を絡ませてきてくれるようになったのである。

私は焦るがばかりに大変なことに気づいていなかった。部屋の灯りである。

慣れた?女性ならば自らリクエストしてくる。
ステディならばちょうどいい明るさを私自身が知っている。

私はキスをしながらも手を伸ばして「全消灯」のボタンを押したのであった。

そして先ほどしたような愛撫を再びしてみた。
さしたる効果は見られなかったのであるが、私は時間をかけて愛撫を続けた。

身体を開いてくれないことにはその先に進まない。
下着を取るということを焦ってはいけない…そう思って上半身にリップと舌を使って愛撫を続けた。

背中もくまなく…ひとつだけ彼女が声を出した部分を覚えている。
それは尾てい骨周りを舐めた時であった。
「あっ、あっ、あ」
ほんの少しであったが反応を見せてくれたのであった。かなり嬉しかった。

それでも下着を取ろうとはせずに下半身に愛撫の矛先を向けてみた。
パンティに沿って舌を這わせてみた。

その中でビキニラインは感じたのであろう。
声こそ出さなかったがビクッと身体が反応をしたのであった。

むろん?ここまで丁寧な愛撫をステディには施していない…その間に出会ったセフレならば尚更なのである。
その前にインサートを求められていたからね。

私が内腿に舌を移した時にあることを見つけたのであった。
それを見て私はいける、と思ったのであった。

つづく

面と向かっては言えない。

かつての上司は大変小心者でどこかにパワハラチックなところを持ちながらも、面と向かっては言えずにメールでしか部下を叱責できないでいた。

まぁ、誠に申し訳ないのであるが、その方の実力は計り知れる範囲であり、そうすることが適当であるというところであったのであるが、今なら内部通報制度のかっこうの証拠となっていたであろう。

時代であると思うのだよね。
今なら言葉でさえ録音されたり、そこまでしなくても社内調書を取られた時に「こんなことを言われました」と部下に言われたらおしまいなので本当に言葉遣いには注意をしないといけないというところだね。

私も当時の上司の立場になり、かつ、その上司よりもパワハラチックさは大きいので尚更気をつけないといけない。
だからといって組織を間延びさせるわけにはいかないので「パワハラとならない部下の詰め方」を研究している。判例なんかも見ながらね(笑)
今の仕事を引退したら本でも執筆しようかな?と思っているくらいだ。このあたりを知りたいと思っている人は多いと思うし、むしろ「パワハラをしない」研修よりも「パワハラにならない」研修を施した方が強い組織となると思うのだね。

こんなことを話そうとしていたのではない。
不倫相手と面と向かっては言えないくせにSNSではかなりひどいことが言える男が意外と多くいるようだ。

私がこのブログを書いて久しいのであるが、何人かの女性のメル友がいる。相談?のようなものを受けるのであるが、意外とこの手の話や要求をスルーされる…みたいな話が多い。

相談ということはそれをソリューションしないといけないのであるが、それをできた試しがない。残念ながら。

何故か?ということを分析すれば、それは女性がなんだかんだ言っても彼氏に惚れているということと女性脳の特徴でもあると思っている。

そんな中でそういう男性の心理を言おうかな?と思う。

前述の上司と同じく、ちっちゃい人間なのである。
男として自信がないくせにSNSだと強気になる。

これってね…私から言わせると賢くないなぁと思うのである。
だってその次にはどの面下げて会うのかい?という話なのさ。

しかし、女性はね…普段からジャブのようにこれをやられると…DVにも似た感覚になるのか?やられてしまうのであるね。

恐らくは男尊女卑を心に秘める男性は多いと思う。
しかし、それを表には出さないようにしている。

しかし、それを捌け口にするところがないから不倫相手にする。
気づいて欲しい…貴女はいつまで経っても一番にはなれないのだよ。
配偶者に気を遣うから貴女に気を遣わないなんてあり得ないでしょう?

そうは言うのである。

でも別れることはしない。

確かにつまらない人間関係でもそれを放棄することは大変なストレスを抱える。
それが恋愛関係ともなれば…更に重いものになる。

そして、そのお相手を選んだ自分の自己責任にもなる。
そうしたフィニッシュを人は望まない。
人は自らを悪者にする勇気はない場合が多い。
もちろん、お相手もひどいことを言いながらも、ひどい仕打ちをしても貴女と別れる気がないことくらい貴女はわかっているのである。

私が女性たちの相談に乗ってソリューションできないのは致し方ないかな?と思っている。

そう、女性たちはソリューションを望んでいるわけではないのである。
心の悩みを話せる相手が欲しいだけなのであろう。

言うことで心が軽くなるならば、それは私の本望であるのだ。

それは私のステディにも共通であろう。
彼女の話を聞いてあげられればいいと思えば気持ちは軽くなるのである。

それを本当の意味で教えてくれた相談相手には本当に感謝している。

ありがとう。

バブル期に弾けていた女~その15

私も次の瞬間に果てたのである。
コンドームの中には大量のスペルマが放出されたのであった。

このスペルマの量というのは、もちろんたまっているか?にもよるのであろうが興奮度合いによってもその量は変わってくると思っている。

私の場合、その量を調整して次の一戦に臨むこともあるくらいだからあまり一気に放出することもないため、こんなことは少ないのであった。それだけ興奮していたということなんだと思う。

もちろん体力も使った。
ここに来るのには高速を使っても2時間はかかる。
まだ朝の9時くらいであったと思う。
前日も深夜残業をしていたからかなり疲れていたはずだ。

しかし、崩れ落ちている彼女から一度はぬるりと抜けたぺニスはまだコンドームが先に垂れ下がっているうちに隆起し始めたのであった。

一方で眠気がある。
これこそが「疲れマラ」と呼ばれる現象、命の危機に子孫を残そうとする現象なのであろうか?

そして、私の気持ちの部分もまだ生気を持っていたのであった。
何せまだロクな愛撫も行っていない。これは私にとって不本意であった。

床に崩れている彼女を抱えるようにしてベッドに誘った。

まだ外していなかったブラを外して乳首にむしゃぶりついた。
「また、するの?すごい…」

嫌がるかと思ったがその様子はなく、私の愛撫にあえいでいる。前回も思ったがすごい性欲をもった女だ。

体力勝負…しかし、この時はそれを望んでいたところがある。

私は両方の乳首を激しく舐め回した。
もちろん、彼女の身体は冷める暇はなかった。
「あっ…きちゃう…」
乳首への愛撫だけでまた小さな山を登ったようである。

「お願い、下も舐めて…」
自ら願ってきた。

期待には応えなければならない。
私は匂い立つように濡れている部分に顔を近づけたのであった。

つづく

ゴールデンウィークだね。

前代未聞の10連休が始まろとしている。
皆さんはそこで何かをしようと思っているであろうか?

あまりに休みが長いと困ってしまう、なんていう方もいるかもしれない。

私のように不倫をしている人は既に外に目が行っているであろうから、家人と過ごすのは息が詰まるということもあると思う。

こんな私でも家人と過ごさなければいけない時間もある。しかし、それが堪えられないからこそ、前もって自らの時間を設定しておくということをしておかないといけないと思うのである。

人により事情は違うのであるが、一方で環境など自ら作るものと思っている。もしお相手と会いたいという気持ちが強いのであれば、そうできる自分を作らないといけないと思うのだよね。

よく出会い系サイトに「立場をわきまえて」とか「節度をもって」とか「家庭を重んじながらも」とか書いている人がいる。これらは女性のプロフィールの例であるがあまりいい印象はない。

百歩譲って女性ならわかるところもあるのだが、もし男性がこれらの台詞を書いていたら最初から逃げているとしか思えないよね。

最初からお相手にがまんをさせる前提なのさ。
そんな気分で不倫しようと思うのであれば、やらない方がいいと思うのである。必ずやお相手を「巻き込む」結果となるであろうから。

今回の場合は10連休であるが、これが3連休であったとしても1日くらいは自由になれる環境を作ってから臨むべきだと思うけどね。

前にも書いたがあくまで今の日本社会においてはごく一部を除いて男性の方が自由な時間が持てると思う。

だから仕事帰りに…というのはわかるし、私もそれはやることがあるのだが、それだけでいいのかな?と思うのである。

不倫と言えども恋愛…というきれいごとを言うのであれば、きちんとお相手のための時間を作って当たり前だと思うのである。

私もそのきれいごとを言いたい向きなので、お相手に見透かされたくはないのだ。いや、見下されたくないというのが正しいかな。環境も作れないようなちっちゃい男?と思われたくないのだ。

このゴールデンウィーク、私の場合は幸いなことに彼女さんが時間を作ってくれているので、楽しく過ごせそうなのである。

本当に感謝しないといけないと思うのだよね。

もちろん、お相手の立場は言われずとも理解しないといけない。当たり前だ。そういう難しい環境をもってしてもお付き合いを開始し、継続したいと思っているのであるから。

しかし、そのお相手のほうは甘えてはいけないと思うのだよね。だって恋愛の相手なんだから。

それをテキトーな言葉でごまかしてはならないと思う。

態度で示さないと…ね。

ウソのプロフィールを書いていた女~その10

耳が弱いのは明らかであった。
左右のそれに舌を這わせて、耳たぶをなぶるように舐め、耳の裏側にも舌を滑らせていった。

そして遊んでいた手も使わねば…と思い、彼女のセックスアピールのポイントである胸を手のひらで押すように擦ったのであった。

彼女の声は更に大きくなっていった。
もっと声を圧し殺すようなことをするのかな?と思っていたがそんなことはなかった。耳がスィートスポットであったのであろうか?

舌をうなじや喉の辺りに移しても彼女は声を上げた。もう過呼吸になることもなく、大きな声を発していたのであった。

意外とセックス自体は好きなのかもしれないな?と思ってみたりもした。あれだけ男に警戒心を抱きながらも今はなされるがまま…完全に身体は脱力している。

私は彼女の上体を起こした。
その状態のまま、鎖骨のあたりを入念にリップしながらも手を後ろに回して彼女の白いブラを外そうとした。

大きな胸を包みこむそれは張りつめていたからであろうか?お恥ずかしながら外すのに手間取ってしまったのであった。
それを外すと中からぷるんと弾けるように大きなおっぱいが出てきたのであった。そしてそれは手のひらで感じていたことではあったが大きな乳首は勃起していた。

たわわな胸の真ん中にあるそれにむしゃぶりつきたくなる衝動に駈られたが、私はブラを外した手を這わせていた背中を口で愛撫するために身体を彼女の後ろに回したのであった。

そして手は両方の胸の下に当てて、ゆっくりと揉み上げたのだった。

つづく。

どこかでジェンダーを重んじる

男女平等ということが言われて久しいのであるが、この意味がまったく理解できていない男性が多い一方で、そこそこ大きな企業ではそれを焦るがばかりにエセ平等で女性が早く昇格するという事態を目の当たりにすると経営陣の軽薄短小ぶりが見えてきたりもする。

いや、本当に実力のある女性もいる。それは敬服に値するし、それは男女とかいうことではなく、人として企業人として認めざるを得ないところがあるのは事実なのだが…そうじゃないのも混じっていて自分に実力があると勘違いしてしまっている女性が多いのもまた事実であろう。

そこでまだ謙虚であればいいのだが、なーんか守られているかのごとく言いがかりをつけてきた日には、基本的にプライベートもビジネスも温厚な私も、同じことをしてきた男性と同様に論破する対象としている。自ら主体的にはやらないが売られた喧嘩は相手が誰であろうと買うのである。

これこそが男女平等の基本だと思っているのであるが、これをしてその対象が泣き出したりした日には、すごくお咎めを受けたりするのである。
「なんで女性にあんな言い方をするんだ?」と。
いやいや…相手は役職も自らと一緒または上でしょ?
同性だと言われないのに、異性だとそれを言われてしまうのは、言った側に不平等の意識があるからであると思っている。

で…私のステディはビジネスシーンでもすごく頑張っていると思う。そこそこの役職にもなっている。

学歴的には大したことはないが、そんなものは15歳とか18歳+αの集中力と記憶力に過ぎないと思うから社会に出ればかえってマイナスにさえなりうると思っている。

その点ではステディは本当に今現在を本当に真面目に勉強しているし、尊敬にも値するのである。

だから…なんだが、私も日頃の発言には注意を要するところもある。底が浅いような発言を一つや二つしたところで咎められないだろうが、そこはしてはならないと思うのであるね。

ビジネスの話になれば、私は自分のスタンスを貫く。当たり前のようにステディの(女性としての)甘えを指摘する。もちろん、頑張っていることについては評価する。それでいい…と、ひたすらそれに徹しろと…恋人同士なのに辛いだろうな…と言うことも言う。

言ってる本人が辛いのだからね。

ただね、ステディだからね。
如何に男女対等とは言いながらジェンダーとしての差異は考えないといけない。

重いものは自ら率先して持ったりとか…それだけではダメだけど、自らのジェンダーを重んじて意識的に動くことがあってもいいよね?そんなことまで男女対等である必要はない。

男女間もfifty-fiftyであるべきと思うのであるが、それは補完関係にあるというだけで「得意不得意」はあるのだから。

これまでのお付き合いで「重いものを持つ」という当たり前の行為をしてもお相手から感謝されたことがある。

当たり前のことなんだけど…スーパーなどに行くとその当たり前のことができていない男性が多いことに気づく。

そこは平等の取り違え方を男性が意識しないといけないと思うのだよね…