ゲスな男、ゲスな女(9年間の不倫と今の戯言)

40過ぎに女の味を知ったショーもない男のブログです。言いたいこと言うばかりで参考にもなりゃしないと思います。コメントは承認制にしているので、非公開の場合はその旨書いてください。

セックスが嫌いな女~その9

真っ暗な中でもかなり目が慣れてきた内腿を愛撫する私の目に飛び込んできたのは暗がりの中でもわかるパンティの中心部にできている色の違い…それは明らかにシミなのであった。

声をあげない…身体の反応もあまり見られない。
しかし、確実にセックスをする態勢にはなっているのである。

私が非常に危惧していたのはセックスが嫌いということなのではない。これはわかっていたことであるし、それを乗り越えたいと思ったのである。

不向きなのではないかな?と思ったのであった。
そもそも、女性としての成熟が、それはもちろん身体としてのことであるが、なされていないのではないだろうか?と思っていたのである。

しかし、どうやらそれはない。
これは私にとって安心に値した。
イケると思ったのはこれで…である。

しかし、その一方でもっとお互いの人間性に触れてからこうなれば良かったのかもしれないとも思ったのである。

なぜなら食事中の彼女は饒舌で社交性もあった。
出会い系サイトのサイメで求められたとは言いながらも私がちょっと焦ったところがあった。

話のフィーリングが合うことには間違いない。
だからきっと何度かデートをしてお互いの親和性を高めればすんなりとセックスに入れたのではないか?と思ったのである。

これはこの女性がステディではなく、そうしようとしているわけでもなく…女性として目覚めさせる私のトライアルでもあった。

しかし、それにはこの女性が女性として目覚めないと意味がない。
つまりは少なくともこの女性が私と触れて嫌な気持ちになってしまったら、まったく無意味な行為になるのだ。

私は彼女の足もすべて愛撫をした。基本リップであったが何人かの女性が感じてくれた膝頭や膝裏、そして足指には舌を使った。

ここまできて思ったのは私の稚拙なテクニック…それは経験からしかこない…フィジカルなそんなことをしても何にも進まないのではないか?ということであった。

私は全身に口を使った上で彼女の横にゴロンと寝ころんだ。

そして、彼女の頭を左手の二の腕に乗せた。

「少し休もうか?」
そう言うと彼女は
「ごめんなさい」
と言った。

「全然いいよ」

私は何をしようかと思ったかと言うと会話をしないといけないと思ったのである。

「こちらこそごめんね、いきなりこんなことになって…ちょっとわかってあげられなかったみたいだね」

私は彼女の身体や髪を撫でながら話を始めた。

つづく。

キス

セックスよりもキスが好き…
こういう女性は多いと思う。

前のステディもそうであったし、今のステディもそう。セフレという仲の女性でもそういう人は何人もいたね。

セックスもそうなのであるが、このキスというのも「好き」と一概に言われても個性がある。

ある女性はフレンチ(ディープ)キスの反対、つまりはkiss on the lips というのか?唇にチュッチュとするのが好きであった。

だからといってEnglish Kiss のように挨拶変わりということでもなく、それをし続けたら恍惚の表情になり、セックスで逝くような感覚になったらしい。たぶん性感帯がそこにあったのであろうね。

もちろん私は女性に合わせることをするので、それをすることに努めていたのであるが、たまにはフレンチ・キスをしたくもなるのである。ちょっとでいいから舌を捩じ込みたくもなるのである。

そのあたりが前のステディさんへのちょっとした不満で、そこについては「したい」欲望から他の女性と関係を持つ要因となったことは否めない。

ただその一方でベロチューと呼ばれるようなことをすればいいとも思っていない。

舌と舌を絡ませることもしたいのだけど、それだけだとね…と思うのである。

別の女性はいわゆるベロチュー好きであったがEnglish Kiss をすると部分によっては感じてくれたりするのである。

だから「わからないものだよな」と思う。

女性がキスを重んじる以上は男として研究は必要だと思うんだよね。

それがある時にはセックスへの重要な前戯だとしたら尚更だと思う。

今のステディとは挨拶代わりにキスをする。

だからこそ、キスが上手になりたいな、と思うんだよね。

使い分けたい。

挨拶と前戯と…

難しいことだからこそ意識的にしないといけないことだよね。

バブル期に弾けていた女~その16

私はリクエストに応えるように彼女の下半身に顔を埋めた。

ここで私はちょっとトーンを変えてみようかな?と思ってみたのである。

ここまで激しく求めた。お互いにね。

一度目の情交が終わった後に私の前戯も激しいものであった。獣のように…というと動物に失礼なのであるが一般的な表現からするとまるでそんな感じなのであった。

ここで一度トーンを落とすことを考えたのであった。

ここまでの流れで言えば、私はクリトリスにむしゃぶりつき、ヴァギナ舌を入れて出し入れ、中でグラインドよろしくぐるぐると回して、彼女が欲しくなることを早期にすれば良かったのであろう。

しかし、それでは面白くはないという考えが私に生まれたのである。

ここでペースダウンをすることが彼女とのセックスに新たなバリエーションを生むような気がしたのであった。

だから、先ずはビキニラインに舌を這わせた。しかもゆっくりと。そして時々強く舌でそのラインを押してみたのであった。

「何?それ?すごく感じちゃう!」
そう言っていた彼女であったが、それを何度も続けると「早く舐めてよ」とリクエストしてきた。

局部…つまりはクリトリスを舐めろ、と言ってきているのであると思った。

しかし、私はそのリクエストには応えることなく大陰唇に軽くなぞるように舌を這わせたのであった。

彼女は身体をひくつかせて感じていることを表現していた。

ただそれさえも長く続けると
「いじわるぅ~」と言ってきた。
彼女の目的は明確であった…

それでも私はそこにはいかなかった。
ヴァギナとアナルの間をなぞってみたのだ。
正確に言う決してヴァギナには触れなかったがたまにアナルの端に舌を当てたのであった。

彼女の声が大きくなった。
性感帯なんだろう。
今度はリクエストもなかった。

だから、いよいよ愛撫を局部に移さないといけないな、と思ったのである。

つづく。

昔、テレクラというものがあった。

今でもあるのだろうが、昭和と平成の間頃にテレクラというものがあった。だから35年とか30年前という話であろう。

当時私は高校生とか大学生とかいう風情でこの存在自体はまだまだ自由な放送をしていた深夜番組か何かで知ったものの、結局は立ち入ることさえできなかったというのが正直なところなのである。

確か当時、このテレクラからの出会いを作品としていた成田アキラさんという漫画家がいて大ヒットしていたと思うのであるが、こう言ったらなんだがテレビなどで見る成田さんが語れば語るほど胡散臭いと思えるほどの普通なチョビヒゲのおっさんだったと記憶している。

しかし…私よりも10歳くらいは歳上の方でこのテレクラを当地でお手伝いをしていたという人の話を聞いたことがある。この方の友人がこの「事業」を始めてサクラとして電話を取っていたというのであるが「入れ食い」だったというのである。

成田さんの漫画はあながちウソではなかったということである。多少のデフォルメはあったかもしれないけどね。

こうして、なにごとにもそうなのであるが、フロンティアスピリットのある方というのは当然リスクは伴うものの、何かを乗り越えれば良い思いもするということなのであろう。

この場合、リスクと言っても「よくわからないもの」を経験するというよりは「そういう店舗に入る」勇気がないという、私の中のレベルからすると風俗店に行けないのと同じ意味合いでダメだったのだ。本当は行きたいクセに。

しかし、こんなレベルの人間は意外と多いのではないかな?と思うのだね。

だから意外と男性諸氏はその後、携帯やピッチを持つのが当たり前となった時に「ツーショットダイヤル」というのを経験しようとした人も多いのではないだろうか?

実は私はこれに何度か電話してみたことがある。店舗に行かないテレクラのようなものだから私のような小心者でも利用できるというものだ。

何か留守電のようなものが聞けて、それに重ねて伝言を入れると課金されるようなシステムになっていたように思う。

確かに聞きには行ったのだが、ここからはその胡散臭い内容にあと一歩が踏み入れられなかったというのがまぎれもない事実なのである。

で、結局はそれから15年もして出会い系サイトに手を出す。

これとてかなり勇気のいる行為であった。
たぶん出会い系サイトも一般的になって5年や10年もしてである。

私が非常にズルいのは犯罪の温床のように言われていた出会い系サイトが安定してから手を出したことであった。

もちろん、手を出したのは優良サイトと言われるものでセキュリティも高いということをネットで確認してのことであった。

ここまで書いて思うのであるが、フロンティアスピリットが無くて良かったのかな?と思うのである。

それらのソースが安定する以前に手を出したならば、その時は私の人間としての安定期ではなかったと思うのだね。

そこでもしも前であろうが今であろうがステディさんのような人と出会ってしまったら…止まらないと思うんだよね。

のめり込むという意味ではあまり変わらないけど、それを行動に出すかどうか…はまた別次元。

たぶんね、「お預け!」ができなかったと思うんだよね。

だからそれはそれで良かったのではないか?と。

面白いものだよね…

ウソのプロフィールを書いていた女~その11

私は胸を揉みしだきながらも彼女をベッドに横たわるように促し、そして、感じるであろうポイントの尾てい骨付近に舌を這わせた。かなり無理な体勢となる。

猫なんかはそうなのであるがこのあたりを刺激することで発情度合いが増して交尾に至るらしい。それは人間もしかりということは私は知っていたのでそうしたのである。

セックスと交尾は別物と考えてはいるのであるが、その考えとは別にセックスは交尾という本能を利用した遊びであることには間違いないという事実もある。

だからこそそうしてみたのであるが、正直なところこの時はさしたる効果はなかったと思う。あまりボルテージに変化はなかったのだ。

こうした段取りが崩れると人は焦る。でも焦っては物事いいように進まない。感じるポイントも人それぞれで私が試技したところで不発なんて当たり前と思わないといけないのである。

私は彼女を仰向けにした。

あのあそこを攻めれば間違いなくボルテージは上がるのであろうが、そこにいきなり行くのは無粋というものだ。

私は再び耳、うなじを攻めた後に喉や鎖骨周りなどをねちねちと舌を使った。腋とかにも舌を這わせた。

そして、いよいよ、高く天を向くそれに口を近づけたのであった。

つづく

濡れ具合

これというのは本当に人それぞれなのである。

加齢に伴い、やはり濡れ具合は良くなくなるようで10年くらい前に女優の五月みどりさんが言っていたのだが、セックスをしていて不正出血かと思ったら摩擦による出血だったという。当時の五月さん、すでに70歳近くであったけどね…

私が接した女性に関しても濡れやすい人、濡れにくい人がいた。

濡れにくい人の場合はやはりこちらも気になってしまう。あれ?声は出ているのに感じていないのかな?と。
女性の方も気にしているのか「ごめんね、あまり濡れなくて」と言ってくれたりする。
それで安心するのだね。

そうした女性にはクンニの時にヴァギナに唾液を多目に滴らせておく。インサートの時にには自らのぺニスに唾液を塗る。それでも足りないかな?という場合には次回からローションを持参する。
せっかく楽しむのに痛いのは良くない。部分的に痛いくらいの方が感じる人もいるのは事実であるが、局部が痛いのはあまりよろしくない。

ローションまで使用したのは二人だけ。
お二方とも50代半ばを過ぎていた。
それでも、中イキと濡れかたはあまり関係ないみたいだね。

だいたいの方はすごく濡れてくれた。
確かにこちらの方が楽?であることは事実で、摩擦が少ないのはこちらが心おきなく中で暴れられるというものである。

女性の中イクポイントというのは定点であることが多くて、そこを集中するには中で自由に暴れられた方がいいのである。ホールが大きい女性の方が逝かせやすいのも同様の理由なのである。

やっぱり…セックスに限らないのであるが、女性を楽しませてナンボだからね。

「楽しい!」と思ってもらって次回があるのだと思う。

確かにハーフはかわいいし。

昨日だったか?
ハーフの双子の男の子を町中で見た。
何でだろうね、あのハーフというのはやけにかわいらしい。

こんな私でも学生時代にハーフの女性とお付き合いするかもしれない…くらいのところまでいったことがある。

確かオーストラリアと日本のハーフだったかな?
何度かデートをして…と言ってもドライブとか飲みに行く程度で一線は越えられなかった。キスさえもしていない。手は繋いだかな?

私が踏み込めればお付き合いに至ったのかもしれないけれども、それをしなかったがためにあっさりお別れとなってしまった。残念なことだったね。

このハーフの女性で印象的なのはその見た目スタイルの良さもそうだったのであるが、考え方が本当にフラットであったということだ。

どちらかというと古い家に育ち、モロ日本人という私にはかなり新鮮なものがあった。

異文化の中で育ち、それでも一緒になろうと決めたご両親はたぶんいろいろと葛藤がありながらもお互いに合わせるべきは合わせてきた…ということがこの女性にも反映していたのであろうか?と今さらながらに思うのである。

長い短いは別として日本人同士でお付き合いしても生活観の違いが見られるのであるから異国ともなればそれは相当な努力があったと思う。時代も時代だったしね。

彼女自身も斜めに見られただろうし、陰では「合の子」などと揶揄されたこともあったかもしれないな。そんな時代であった。

しかし、今はそんな時代でもない。
かなりボーダレスになってきたと言える。

以前、辛坊治郎さんがテレビ番組で言っていた。
民族間の差別を無くすには国際結婚を奨励して、ハーフを増やすしかない、と。

確かにもっともな考えだと思ったのだね。
おまけにできた子供はかわいい(場合が多い)とくれば、それもいいんじゃないか?と。

意外とこの地は北方領土の問題もあり、ナショナリズムが強い。首都圏にいる時のように「ロシアからしたら南の島なんだから」のような発言は軽はずみにはできない雰囲気にある。

ただもとはと言えば、先住民がいた地でもあることを忘れてはならないと思う。開拓とは入植であったとも言えないだろうか?

そして、先住民とのハーフを作ることによって150年でこの地の文化を築いたかのようになっているということではないのかな?

やはり辛坊治郎さんの意見は正しいのかもしれない。
そして、この地は美人さんが多いというのもそのあたりに理由があるのかもしれない。

プレゼントをしたい

好きなお相手ができると「プレゼントをしたい」と思う気持ちになるのは普通なことではないだろうか?

これは人間だけでなく、鳥なんかでも気を引こうとしてプレゼントを渡すらしい。
確かカワセミという鳥の一種だったと思う。
オスが気に入ったメスにエサである魚のプレゼントをするという。

それが気に入る…つまり、この後二人で巣作りをしてメスは卵を産み、子育てをするにあたりエサを取り自らと子供を守れるだけの経済力があるのか?を試金石として配偶者を決めるというものであるのだが、むろんそれは本能に基づくものである。

しかし、人間の恋愛は本能だけではもちろんないし、況してや不倫ともなれば経済力だけでは決してない。

当たり前のことだ。

もし経済力だけだとすれば、金満オヤジが金で釣れる女性を独り占めすることが(昭和の妾の感覚)不倫となるだろう。

しかし、世の中そうではない。
最も卑近な例を言えば私と過去から現在のステディやセフレの関係がそうではない。

だけど…そうじゃない関係があったとしても私はプレゼントをしたい!と思ってしまうのである。

装飾品、衣服、食べ物…なんかサプライズ的にプレゼントをしたいと思ってしまうのだ。

もちろん妾にまでできないから、生活まで支えはできないし、その程度の経済力である。お相手も少なくとも今は望んでいない。

ステディを例に取ろう。
前のステディはだいたい私がプレゼントしたものについては喜んでくれた。一度かな?外したことがあったのは。明らかにこれは違うと言われたリングがあったかな。

今のステディについては私がプレゼントを渡すことすら望んでいない感じだ。ジュエリー、スカーフ、衣服、日用品、食べ物…プレゼントしたのであるが、「ありがとう」とは言われるものの、実はあまり感謝されていないのかな?と思うのである。

まぁ、ステディの感覚がまだまだわかっていないのかもしれないな…と反省しきりなのである。

「プレゼントするな」と言われたことはない。
だけどね…たぶんなんだけど「中途半端なものは欲しくない」というのが彼女の本音なんだろうな…と思う。

私自身もそれはいいように考えようと思うよ。

ステディ自身は私にプレゼントしたがるんだけどね(笑)

それはたぶん普段のデート代を私が持っているからなのかな?

基本、50/50じゃないと嫌なようだからね。

ステディが欲しいものをあげればいいんだろうけど。聞けばいいよね?

だけどプレゼントできないように「別荘!」とか言いそうで怖いよね(笑)

「今すぐはできないけど、必ず叶えるよ」と言って仕事を頑張るのが正解なのかな?(笑)

たぶんそれは正解じゃないのだろうけどね。

このブログがリマインダー

かつてなぜこんなスケベブログを書いているかについて書いたことがあった。その時にも書いたかもしれない。

私は男としての自信が相当ない。
ルックスという点ではもちろんなのであるが男子校とそれに準ずる大学にいたために女心に疎いと思っているのである。

それは今をもってしてそうなのである。

そんな私がここ10年で40人くらいの女性とお付き合いをしたのである。
これは理由はなんであれ、女性に一時的にも認められたということになる。

それはそれで経験として大切にしないといけないと思っているし、女性の思い、考え、そしてセックスのプレイも最大限ステディに対して使わないといけないと思っているのである。

しかし、人は忘れっぽい。
良いことも忘れるのであるが、悪いことは忘れたいという思いがあるからか更に忘れるのが早いようだ。

バブル期に趣味の世界で知り合った羽振りのいい不動産屋のオッサンが弾けた後に首にコルセットを巻いていたが、たまたまリーマンショック後に会ったらまたコルセットを巻いていた。何度首釣りゃいいのかな?という話さ。

だから私は悪いことも含めてリマインドしたいな、というのがこのブログ。

女性心理と言っても人それぞれ。
生き方によって大きく違う。

しかし、その最小公倍数たるや莫大なものになるが最大公約数は一桁台の素数ではないと思っている。

やはり嫌なものは嫌だし、好きなものは好きなのである。

それを思い出したくて書いている、というかなり自分本位なブログなのである。

だから読者登録している人には申し訳ないね。
同じようなことばかりを書いてしまっていると思う。

本当に自分のためのブログであるから。

女性の読者の方は…たぶんこうしたら男は喜ぶし、不安がらないのだろうな…ということくらいはわかってもらえるのかな?と思う。最大公約数が大きくはなってくれるかもしれない。

しかし、男性の読者の方は…本当に申し訳ないね、たぶんこれから不倫を始めようとしている方くらいにしか「ためにならない」と思うのさ。

こんなに不埒なブログ。
しかし、あくまでも自分のためだからつづけていこうと思う。

人はあまり頭が良くはない。
かなり頭が良かったり、かなり場馴れしている人間でも失敗や失言をしてしまう。

ましてや凡人である私は間違いなくそうなる。
しかし、こんな私でもルーティンで失敗することはほとんどない。

女性関係をルーティンとできるほどモテはしないし、もしできる心と容姿を持ち合わせたとしてもそれだけの生活力と経済力が伴わないのである。つまり時間がない。

だからこのブログで経験の内だけでも思いだそうとしているという訳なのである。

ネタが尽きることくらいはわかっている。
しかし、ブログを書くために新しい女性を求めるなんてことはしない。主客転倒だからね。

明日もアホなことを書こうと思っているよ。

女の方が少ないという事実

なんで私が必死になって女性に好かれないといけないかと思うか?と言えば日本人の絶対数として女性の方が少ないのである。

なぜか?と言えばかんたんな話でこうした一度の産卵数が少ない動物においては本来メスが多いのだけど、弱い存在として雄を作った(そりゃそうだ、オスは生殖してそれが成功すればいいのだし、文明と呼べる時代から守るために一度に産む基本は一人としてきたのであるから)のであるから死ぬ数は当然カウントに入っているのである。

それがいつの間にか医学の進歩でたくさん生まれるオスが多くなってしまった。

本来そうではない。数多く子孫を残すものはメスの方が多い。
私は魚が好きなのでそれに準えれば、魚の中には全部メスということもあるのさ。
フナという魚がそうなのであるが、この魚の卵は他の同じ種族(コイ科)の精子でも授精する。
海にも成熟すると全てがメスになるクロダイという魚がいて、逆に小さい時はほとんどがオスなのである。地方によってはその小型魚をチンチンと呼ぶのはそのせいなのかもしれない。

そういう世界においてはオスであればあぶれない?で済むかもしれない。しかし、私は人間なのである。しかも医療技術の進んだ日本にいる。

私が小学生だったころ(その後は男子校、大学も圧倒的に男が多かった)は昭和50年代であったが「男子21人、女子19人」みたいなクラス編成であったと思う。

当時その数的な優位?を私はすでに憂いていたよね(笑)
「俺は誰にもありつけないんじゃないかな?」と。

そこまでの異常な感覚を持たないにしても、自分を相手にしてくれる女性は少ない…だからお相手してくれているだけでありがたい、と思う感覚はないといけないのではないかな?と思う。

確かに自分は大切だ。
これは主観でしかないが、自分は頑張ってきたと思うことも必要だし、今の自分が頑張っていると思うことも重要であると思う。

ただ、だから彼女さんがいるのではないかな?
頑張って、今の自分があるから彼女さんがいるのである。

確率的にはそうじゃないか?

だからお付き合いしてくれる女性には感謝しないといけないと思っているんだよね。

それを…甘え過ぎてはいけないと思う。
私がモテないからこそそう思ってしまうのかもしれない。

しかし、世間においてもどんどん相手にされなくなる年齢だ。
私のような年齢になると役職定年も考えることになる。

そうなった時にどれだけの人間が付いてきてくるというのか?今の立場があるから付いてきてくれるのではなかろうか?

ステディは「仕事で頑張っているあなたが好き」と言う。それこそ危機感を持つ。

私が窓際になった時に果たしてステディは付いてきてくれるであろうか?
私は人として魅力があるのであろうか?

現実、私よりもいい男なんて掃くほどいることくらい良くわかっている。

10年後、20年後を考えて私がステディから捨てられないと言う確証はない。

捨てられるってカッコいいか?
カッコいいわけがない。

だから今の自分を頑張らないと。
ただただそう思う。

確率論として低い、とても低い中でね。

セックスは演じないと。

女は演技するからね…そういう話はよく聞く話である。

自分の相手を傷つけまいとして感じているふりをしたり、逝くふりをしたりと…如何に下手でも満足しているふりをするというものである。

お互いにことを楽しく過ごしたいということなんだろうけど、こうした態度が男性の向上心を削ぐような気がしないでもない。

しかし、それに甘んじてはならないのであろうなと思っていてはならないのは男性の方なのであろうね。

私がセフレという存在を作っていた理由のひとつは自分の実力値を上げたいと思ったこともあるが、ある時期からは実力値を知りたいと思ったところもある。

嫌われてもいいとお互いに思う関係に於いては演技することも少ないのではないだろうか?と考えていたし、それで感じてくれるのであれば時のステディにも通用するのかな?なんて思ったりもした。

だからプレイは一生懸命したよね。試技もしたことはあったが基本的にはステディとしていることをそのままセフレにもしたというところがある。

しかし、この演技というのは否定的にとらえたらいけないのではないかな?と思うのである。

演技させないほどのテクニックを持つのもいいが、お互いに演じる部分があっていい、いや演じないといけないと思うのだね。

お付き合いをしている間柄に於いてセックスをしているのはほんの短い時間である。

それはいつまでも非日常でありたいと思うのだ。
特別な時間でありたい。

だからそんな時くらい素を離れて演じていいのだと思う。
そして、どう演じたらお相手に合うのかを追求していけばいいのではないかな?と思うのである。

思うがままにやってしまってはいけないのではないか…とね。

私は男だが演じることもある。
お相手が果てた時に逝くふりをすることがある。
だいたいの場合は女性が果てた後にまで居残るのは無用の長物だからね。

お相手が感じてくれ、更に悦びを逝くという現象で表してくれたら私のセックスはそれで満足なのである。

だからそれでフィニッシュでいいんだと思うんだよね。

セックスは過剰なのか?

まさに今セックスが嫌いな女性の話を書いているので、すべての女性がセックスが好きとは言わないのであるが、それはパートナーもまたあまり好きではない、パートナーそのものがいない、または嫌な過去の経験があるということがほとんどであり、それ以外の女性は「好き」というのが私の経験のうちにある。

それは本能ということを利用してセックスという遊びをしているならば当たり前の話で、そもそもが本能という点からすると女性が「さかる」ことをしないと交尾は始まらない。

自然界においては交尾は子孫を作るという点においてはかなり崇高なものである。
それが遊戯になったのは人間が高い知力を持つということもあるが、かなり繁殖力が高いというのは一年中繁殖期ということであろう。もちろんそうなるには高い文明があってこそ、つまりは無防備な繁殖という行為を安全に過ごすルールを自ら作っていったからであろう。

自然と本能を中心に考えれば、それは本能から逸脱した「過剰」という言葉で整理できないでもない。
平成の始めにそれを言っていた学者(大学教授)はいたし、私もそう思っていた。

それで整理がつく、そして整理をつけないという流れ、特にリーバイス創始者であるレビィストロースが周辺部=欧米文化を見直すが如くの本能から発するアフリカなどの文明と文化が昇華されつつあったためにそれも致し方ないことなんだろうなと思っている。

亜種の間で子孫を作るということが当たり前になってきた時代でもあった。
しかし、ナショナリズムというのはどこにでもあって亜種(ハーフ)はかわいいとわかっていてもそれが進まないのはアンチテーゼではないかと思っている。

何せその時の私はその考えを信奉していたのであるからこんな考えすら持たないし、それをつい最近までそう思ってきたのである。

それに反する、つまりはほとんどの自然に勝ってしまうというガリバーな人間という産物が隆盛を誇る中では、そんな論理は通用しないと思っている。

その話はまた書くとして、私がこんな考えになったのはごく最近、何人かの女性と逢瀬を経験してからである。

だから経験なのだね。

当時そんなことは思わなかったけど、教授さん、どうでもいいような女流作家のチチを揉んだりキスしたりしたのをFRIDAYされたんだよね。

当時は情けない話と思っていた。信奉していたのでね。

しかし、今はわからないでもないかな?と思う。

ただね、そうした時に彼の論理は変わらなかったのかな?と思う。

私なら変えるかな?

手のひらは返すためにあるからね(笑)

やきもきすることと嫉妬と

ステディとお付き合いを開始して2年半が経過する。

その間、多少なりとも危機はあったし、現に私はセフレと浮気していたことはあったのだが、今は順風満帆といっても良いのかもしれない。

それもこれもステディができた女であるし、何故かわからないが私に惚れてくれているのである。

しかし、そういう状況をもってしても…私が男として自信がないためにやきもきしたり、ちょっとしたことで嫉妬してしまったりするのである。

当たり前のこと…かもしれないが会社でもなかなかモテるみたいである。
そうはっきりとは言わないがステディを慕う男性は先輩、後輩を問わず多いようだ。

その意味では私も社内で異性に慕われてはいると思うし、他の人間が言ったら間違いなくセクハラとされるようなことを言ったところで許される、というか感心さえされる。

だから慕われている男性たちと男女の話となった話を聞いてもステディがそれらの男性に靡くとは思わない。しかし、嫉妬はする。

何人かの男性からは誘われるらしい。しかし、それを「キモい」と言っているので絶対に大丈夫だが、それもちょっとやきもきする。

それらはまだいい。
ステディは私と付き合う前に憧れていた男性がいる、というのだ。この人だけは角に置けない。

ステディはたまに残業なのか飲みにいったのかわからない時がある。
しばらくラインが途切れたりするのだ。

それでも2時間もすればラインが来るから…そういうことにはなってはいないと思うのであるが、その男性と飲んでいたら?なんて思うとやきもきするのである。

いやはや…過去ではあるが、自らがもっとひどいことをしていたのにステディが飲んでいるだけで落ち着かないなんてね。

わがままな話さ。

もちろん誰かと飲んでいたことが垣間見れたり、会話の中で会社の男性の話になっても余裕をかましたふりをしている。

そこで慌てたら小さいと思われるし、「信用してないの?」という話になるからね。

そういう時には常に笑顔で「うんうん」と聞いている。

実はひきつっているかもね…

近道をしてしまう

私にとってのセックスの悦びは女性が感じてくれることである。

何度か書いてはいるが、男の快感なんて一瞬のうちに果たせてしまったりするのでそれだけでは面白くもなんともないのである。

中には大して前戯もせずにインサートし、ガンガン突いて、はいおしまいという男性もいることは何人かの女性に聞いているのであるが、果たしてそれでいいとでも思っているのかな?ということである。
私からすると甚だ疑問なのである。

セックスというのは少なくとも二人いないとできない。一人だとオナニーということになる。

しかし、そのオナニーに近いことを女性のヴァギナを使ってしているだけという男性が世の中にいるということなのである。

もちろん、女性は男性が自らの中で果てることに快楽を感じるから、たまにはそんなセックスをしてもいいのかもしれない。

ただ基本はなるべく肌を合わせる時間を長く持ち、ソフトタッチかつ、外側から内側に愛撫を進めるというのが基本なのではないか?

少し前にアダム式とか呼ばれるセックスの仕方が紹介されたがあれが最たるものであろう。

私はあそこまで達観?してセックスはできないのであるが、その気持ちは持っておこうと思っている。

しかし、私もたまにかなり欲情をしてしまい、近道をしてしまうことがあるのだ。情けない話なのだけど。

前戯をしないわけではないし、パートナーからインサートを求められる程度には愛撫する。

いつものようにキスから始めて全身愛撫をしようとするのであるが堪えきれなくなって乳首とかクリトリスに早期にいってしまうのである。

まさに近道、ショートカットである。

それでインサートを求められる時間も早くなる。

終わってみて…ダメなセックスだったな…と反省しきりになるのである。

こんなことをしてどの女性からも一度として文句を言われたことはない。しかし、きっと「いつもと違うな」と思っていると思うのだ。

セックスとは肉体的な快楽だけではない。
最中にはあまり言葉は交わさないが、どれだけお相手を思ってしているか?が重要だと思うのだね。

これからもこうした30点みたいなセックスはしてはならないと思うのだよね。

アンダーウェア

セックスをする関係になった時にアンダーウェアというものが気にならないのかな?と思うのである。

私の経験では「気にしてくれている」という人と「けっこう無頓着だな」という人と二通りいる。

男の私でも少し気になるのである。
こういうことを始める前には機能性のみを重視していたが、始める前に少しずつファッション性も考えて購入するようにした。

私はもともと履かないが男性でもベッドインしたら白のBVDのブリーフだったなんてことだったらちょっと興醒めされてしまうのではないかな?と思うのである。

男性の場合はそうは言っても自分で洗濯をしないことも多いだろうから急激な変更は配偶者に怪しまれるなどのリスクが生まれるからやむにやまれず、ということもあるかもしれない。

私はそういうことが嫌であったため事前準備としてファッション性のあるものに替えたということだ。

女性の場合はそうしたリスクというものが減ると思うのであるが、それでも機能性のみを重視しているかのような下着をつけて来られる方がけっこう多かった。

シャワーなどを浴びてからすることがほとんどであるから「見せない」前提であるのかもしれない。しかし、どういう状況になるかはわからないではないか?

それならば「見せる」前提で考えておかないといけないと思うのだよね。

ファッションや美にうるさいのであろうな?と思う女性が下着だけ「あれ?」ということもある。

そうなると…本当にこの人はおしゃれなのかな?と思ってしまうのだね。

私のステディはすごくセクシーな下着をつけている。しかし、二人でシャワーを浴びたり、風呂に入ってから…ということがほとんどであるから、そのセクシー下着を脱がせてなんていうことにはならない。

時々、帰り近くに垣間見る程度だ。

今度風呂の後につけてもらうようにお願いしてみようかな?

ちょっと恥ずかしいけどね(笑)