ゲスな男、ゲスな女(9年間の不倫と今の戯言)

40過ぎに女の味を知ったショーもない男のブログです。言いたいこと言うばかりで参考にもなりゃしないと思います。コメントは承認制にしているので、非公開の場合はその旨書いてください。

ウソのプロフィールを書いていた女~その7

その日は昼間はステディと会っていた。

ステディには「今晩は上司に麻雀に誘われているから少し早めに帰るね」と言っておいた。

現にそういうことは何度かあったので理由としてはきれいに通る話であったのだ。

この頃のステディとの関係は非常に良好ではあったのだが、ステディは過去こうしたお付き合いをした男性が所詮は身体目的であったことを薄々気づいており、私との関係はそうしたくはないと思っていたらしい。

「らしい」というのははっきりと聞いたわけではないのであるが、ちょっとした発言が私にそれを気づかせることとなったのであった。

私にはそういうつもりはなかったからそれを察する以上はそういう付き合いをしないといけないと思ったのである。

だから何となくなのであるが、2週間に一度セックスをするという暗黙の了解のようなものができていた。

しかし、ただし書きがあって…ステディに求められたらその限りではない…というものであった。

その日は前の週にいわゆる姫始めをしていたので、ホテルには行かない週であった。

しかし、ただし書きだったのである。

以前にもこういうことはあった。しかし、その時は事後であり、夜までの間のショートタイムであったからその時に持ち合わせていた体力に任せてステディに撃ち込むことをしたのであったが、今回は逆である。

先ずステディを抱いてから夜に別の女性を抱くこととなる。

しかも、この日会うやいなや「今日は朝からちょっと変な気分で…」などと言ってきたのである。

そういう週であってもランチくらいしてから…というのが通例であったが、朝10時からそんなことを言い始めたのであった。

ここで躊躇ってはいけない。
そして、全霊をもってステディを抱かないといけないと思った。

そもそも、こんなことをしているのは自分が男としてステージアップする=ステディを楽しませるということである。ならばここで夜のために体力と精力を温存するなどあってはならない。

私は喜んでステディをホテルに連れて行ったのであった。

そして…ステディが
「大丈夫?夜麻雀するんでしょ?」
と心配するくらいに激しくセックスをした。
なんなら夜はドタキャンしてもいい…くらいに思って
「それとこれとは別だよ」
と言って何度も一緒に果てたのであった。

つづく

当たり前と思ってはならない

客観的に見て、自分が特別な存在ではないことくらいの分別くらいは普通に社会人をしていればわかるはずだ。

そんな私がこの歳になって、金銭以外で女性に求められることがあるならば、それは感謝しかない。

それを当たり前と思ってはいけないのだね。

だって自己評価をすれば人並以下の容姿と人並以下の人間性なのであるからね。

こうした自己分析ができた上で言うのであるが、ここ10年余り、女性に困ったことはない。

不思議なのである。

しかし、ここで勘違いしてはいけないと思うのである。単にお相手が良かったのではないかな?そう思わないといけないと思うのである。

本当に恵まれていたと思うよね。

そこを自分自身の人間性として「当たり前」なんて思ったらいけない。現にまだ欲望の塊なのであるし、1日のうちで何度も悪い自分が出る人間なのだ。

こんな私を今でも毎日「好き」と言ってくれる女性がいるということを有り難く思わないといけないし、だからこそ現状維持で良いわけがないと思わないといけない。こんな自分では申し訳ないと思っているのである。

むろん、外面的なことに関して言えば落ちていって当たり前であるのだが、それこそ現状維持をする努力をしていくということをしないといけないと思っている。

むしろ内面的なことはまだまだ磨けると思うのであるね。

とりあえず今の自分を好きでいてくれる。しかし、これが「できあがり」の自分と思ってはならないし、そこにあぐらをかくようなことはしてはいけない。

お付き合いが深くなるということは嫌な部分が見えてくるということもあり得る。
そうしたことを直す努力はしなければならないし、七難隠すではないが秀でたる何かを持たないといけないのかもしれない。

愛されるということは非常に心地よいことではあるが、何故愛されているのかを考えないといけない。

しかし、これは恋愛に限らないのであるが人は認められたとたんに努力を怠り、ともすれば劣化の一途をたどる。

それをしないためにもいつも意識は高く持たないと…

繰り返しになるが、当たり前と思ってはいけないのだよね。

面白い人が好きなの…という女

自分自身がお笑いというカテゴリーにおいてかなり貪欲であるのであるが、「楽しい人が好き」という女性とお付き合いすることが多かったように思う。

若い時からそちらには興味があって、一時はそちらの方向に行けるかな?とあるラジオ番組で取り上げられて勘違いしたこともあったから、ほんの一時期、当時のオーソリティーに師事したこともあった。

それはもちろん、芸人としてではなくて作家として。いわゆる構成作家として。笑いとしては番組のプロデューサーをも動かすという存在だ。

今の芸人を謳う人間が「笑わせる」よりも「笑われる」ことでいいと思ってしまうのは、我々オーディエンスが芸でもないリズム感とナチュラルな対象に対して「笑う」ということで芸を磨かないことをして助長させている事実がある。

今のトレンドがそうだとしても、やはり無責任な我々を持ってして「流行り廃り」を決めてしまうところがあるんだよね。問題。

だって最近は?というと「笑わせる」よりも「笑われる」が芸人の世界でも受けてしまったりするのだよね。そして、次の世代にいくのである。どんどんつまらなくなると思う。

世間一般のそれらはいいとして、「面白い人が好き」と言ってくる女性は多かった。この「面白い」はむろん「笑わせる」の方であり、「笑われる」というような間抜けさを求めているのではない。

これはかなりハードルが高いリクエストと言える。なぜなら、面白さというのは観察力、経験、記憶力、演技力、ボキャブラリーの全てが一定以上備わっていないとなし得ない。それらがわかったから、凡人の私には無理と若い時に夢をあきらめたのである。

そう考えるとおそらく女性は何気なく言っていることであろうが、内面においてかなりいい男を求めているということになりはしないだろうか?

普段、私は「面白い人」と言われている。しかし、ネタの構成を考えると軽く下ネタを混ぜていることに気づく。

下ネタというのは安易に笑わせるものとしては非常に都合いいが、男女の仲にある相手には何となく使いにくいのである。それこそ下心を見透かされるようで…

とはいえ、先日も書いたが、私は三の線でいくしかないのである。

探さないといけないね、ネタを…

安全パイ

ステディだろうがセフレだろうがお付き合いをしてきた方々はどうも私が会社でもモテているのではないだろうか?という疑念を抱いてきたケースが多い。

以前にも書いたが会社という空間は不思議で、仕事の出来不出来や昇格するしないで価値判断がなされてしまうことがあり、また仕事上での「責任感」が問われてしまうところがある。

その結果、特に上司と部下という関係に於いてはこっちにその気さえあれば…ということがなかったわけではない。

また、私が勤務するような会社では基本的に画一的な「ワイシャツにスーツ」というかくも七難隠すようなスタイルであるがためにあまりにもひどい着こなしをしていない限りは見た目も大きくは変わらない。

あとはチビ、デブ、ハゲ、妙に不細工などに代表されるようなその女性が持つ生理的に受け付けないレベルや明らかに低い人間性をこれでもか!と見せつけない限り、可能性として出てきてしまうことはこれまで自らの周囲を見ただけでも何例も見てきているのだね。

では自らがどうかと言われると「安全パイ」ではない。先に書いたような可能性を秘めている要素を持っているからだ。そして何度お誘いを受けたこともある。

ならば要素を取り除けばいい…ということになるが、妙に男を出すことはしないもののお客様対応もあるためにあんまりダッサイ姿でもいられないのだ。そして、妙に無愛想なのはマネジメントにも関わる。

お誘いを受諾した場合、仕事に影響したり、ついには経費を費消するのではないか?という心配があるが、それ以上に社内の女性に没頭した挙げ句、ステディにバレるのではないか?と思うのである。それほどまでに物理的な距離感というものは重要かと思う。

ではどうしたら良いか?というと、それとなく仄めかすのである。お相手がいることを。
不倫をしていることをはっきり言うのは、如何にプライベートとはいえ仕事にも影響するから、仄めかす程度だ。「あれ?いるの?」という程度にね。

そしてデートした場所や一緒に食べた料理などをインスタ上げておくのである。

「彼女いるんですか?」
と聞かれれば
「いやぁ」
としらは切っておく。
でも気づくよね。

さすがに配偶者がいて、彼女までいる男に来ることはないようだ。

まぁ、私に本当の魅力があれば、それでも乗り越えて来ようとするんだろうけどね(笑)

連絡を密に取り合う

セフレさんたちの話を聞いた結果なのであるのだが、お付き合いをしていてもお互いにあまり連絡を取り合わないことが多いようである。

もちろん生活環境なは異なり、なかなか連絡できない環境にあるケースもあるとは思うが1日一度も連絡をしないというのは如何なものかな?と思うのである。

いや、かつてであればそれも致し方あるまい。連絡の手段もないのであるから。しかし、今となってはメールやラインといった手段があるにも拘わらずそれをしないというのはかえって不自然とは思わないであろうか?

私の場合は筆不精ではないことに加えて、かつてのステディに飼い慣らされた感があるため、メールの類いは頻繁にする。

今の彼女さんはおはように始まり、朝、昼、晩、おやすみに至るまで結構な数のメールをする…それ以外にも思ったこと、見たことなどをちょくちょく入れる。お相手もフルタイム勤務しているからすぐに返信がくることは期待してはならないが、やはり長時間返信がないとちょっと心配になることもある。

お互いに思っているならば、これが当たり前と思うのである。

そして、かつてのセフレさんたちや女友達にもちょくちょくメールをしてきた。

セフレさんの彼氏さんよりも多くのメールを配信してしまうことになるようなのである。

セフレさんを彼氏さんから奪おうなどという気持ちを持ったことは一度もない。そんな弄ぶようなことはしたことがない。しかし、それでも私に気持ちがきてしまうことがあったのはこのメールの数というのが、親密さを表していると思われるのかもしれないね。

かつてあるセフレさんが言っていた。
「どっちが彼氏だかわからない」
これは彼氏さんに較べて私の対応が丁寧ということを言い表してくれたものであるが、その裏には「どっちがセフレかわからない」ということもあったようだ。つまり彼氏さんはやりたい時だけ連絡をし、やりたい時だけ愛想がいい…と。

比較対象が出来上がった時にお相手の意図がわかってしまった…ということなのだろうね。

そんなことにならないように今日も彼女さんとは密に連絡を取り合う。他愛もない会話から現れる新たな気持ちというものもあるものだ。

次に会うまでに何通するのかね?

甘えすぎてはならん、という話。

女性全般に言いたいのであるが、男っていうのはかなり甘えん坊なわけなのである。

私なんかもそうなのであるが、本当は彼女さんに甘えたいと思っているのである。

ただ、その過程として、先ずお相手に惚れてもらわないといけない、という作業があるのだね。
そしてお相手は男である私が「頼りがいがある…」と思い込んでいるという前提の元にお付き合いが開始されていると思うのさ。

だから当初は凭れかからせることをする。

普段はあまり何も言わない。
「うん、うん」と聞くことも女性の欲を満たすことと理解しているつもりだ。

しかし、一定の関係を得たと思ってからも、先方からのリクエストに応えるだけの関係は破綻を意味する。

私は人間関係なんてfifty-fifty(50-50)なのがちょうど良いと思っているのであるが、そこに到達するには男がずいぶんと我慢すべきことが多いと思っているのだね。

これは経験側。
だからその期間は必ず迎えるし、そこで自己のわがままを通そうとするならば、いつの日か関係は破綻する。

ちょっと間を飛ばすが、その期間を超えたとき、もう大丈夫かな?と思った時に男としての甘えが出るのさ。

で、その思うがままに行動して失敗したのは前カノさんとの関係。私が甘えて思うがままにしてしまったのである。

今の彼女さんは私に(前カノと較べて)より私をわがままにさせてくれている。ありがたい話なのであるが…

しかし、それに甘えたらいけないと思っている。
愛されていることがわかっているからより一層愛し続けないといけない。

そう思っている。
期待には答えないと。

だから「甘え過ぎては行けない
「そう謙虚に生きないといけない」と思うのさ。

先ず彼女さんは頭がいい。
私の理想だ。
しかも考え方はリーズナブルだ。

そう、そんな女性をお相手に持っているならば、
今の声を大切にした方がいいと思うのである。

これからだねえ.
本当に二人だけの関係を作れるかどうかというのは。

まだまだお互いにストレスがかかるというもの。

だからこそ、甘えてはいけないと思うのだよね。
彼女さんにも負荷がかかっているのであるから…

最低限のマナーとしての見た目

見た目はあまり関係ないと女性は言うが、本当にそうなのであろうかな?と思うのである。
美的なものに対しては女性の方が感性は高いと思うのだが。

もちろん中身は重要なのであろうが、見た目もやはり重要なのではないだろうかと思うのである。

だからといって私自身は見た目には自信がない。むろん、それだけで女性をハントできるとも思ってはいない。

しかし、それだからこそ、できることはやらないといけないと思っていくつかのことをやっていることについては以前も書いた。

特に肌と肌とが触れ合う関係にある人がいるわけであるから、清潔感に関しては気をつけないといけないと思っている。これは最低限のマナーだと思うのだね。

首都圏や大阪、名古屋あたりだと違うのかもしれないのだが、どうもこの地の中年、熟年男性はこの清潔感だとかおしゃれといったものに無頓着過ぎるような気がするのである。

出会い系サイトの登録者数を考えれば「出会いたい」と考えているその年齢層の男性は結構いると思われるのであるが…どうもなぁと思ってしまうのである。出会いたいのであれば、一定気を遣わないといけないと思うのだね。

かく言う私も最近サボっていることもある。運動だ。雪国の冬ではどうもサボりがちになるのだ。

そろそろ暖かくなるのでシャープにしないとね。彼女さんの気持ちにあぐらをかいていたらいけないよね。

こう言ったらなんだけど…女性もね…男性を求めるならばもう少し何とかした方がいいのではないだろうか?という人もいたのは事実。

私はセフレというお付き合いレベルならば、見た目で決めるつもりはなかったのであるが、その女性たちには彼氏さんがいたことがほとんどであったので…「もしこの人の彼氏ならばちょっと寂しいかも」という女性はいたんだよね。

お互いさまというところなのであろうが、なんにつけ低いレベルでお付き合いはしたくはないと思っている。

お相手に求めることがあるならば、先ず自らを戒せよ、ということなんだろうね。

言いにくいことを言わずとも行動をする、してくれる…そんな関係がいいと思うんだよね。

自己評価の高い女

人には自己評価が高い人と低い人とがいる。

仕事などでも「何の根拠があってこんなに自らの評価を高く持てるのであろうか?」という人がいるのだよね。

決して悪いことではないと思う。自らを低く見て、何事にもネガティブに臨むのであれば、自己評価を高く持ってアクティブに活動できるの方がいいに決まっているのである。

お付き合いをした女性の中にも自己評価が高い人と低い人がいた。

最初は誰でも謙虚に出てくるものであるが、慣れてくると自らのことをどう考えているかについてがわかってくるようになる。

男女間のお付き合いであるので、私に言ってくるのは「女として」という評価である。しかもそれは第三者の言葉を使って客観性を持たせるということをする。しかし、それを口にするということは自らもそう思っているということであり、相手である私にも同様かそれ以上の評価をして欲しいということなのであろう。

「◯◯◯と言われたことがある」
男からの評価。
しかし、それは男がどこかでその女性と「やりたい」と思う心理が働いてのことということを差し引かないといけないものなのだろうな…もっというとそうして褒めれば「やらせてくれそう」という心理さえも働いて言っているところがあると思うのである。

そして、私との間でも…容姿のことを褒めたりすることで簡単に「落ちる」ということになるのであった。

このあたりのことは実は出会う前からある程度はわかるのである。先に言ったように会ったばかりの時は謙虚であるが、サイトのプロフィールの自己評価や一言コメントでそのあたりは必ず現れてしまっている。

今のステディは非常に自己評価が低くて…そんなことはないと思うのであるが…「蓼食う虫も…」と言うが、私は客観的に見てもそこそこいけていると思うのである。

だからたくさん褒めて、少し自己評価も上げてもらわないと…と思うのだね。

あんまり自信を持たれて、他に尻尾を振られても困るけどね(笑)

セックスが嫌いな女~その4

セックスが嫌いな女性とお会いして…何年経過したかな?

その頃はステディといろいろとあって、セフレという存在も何人か経験したから、ちょっと男として自信を得ていた頃であったと思う。

もう、癖の問題で相変わらず出会い系サイトに登録していた。

自らちょっかいを出すこともあり、お相手からアプローチを受けることもあった。

それでセフレという存在を作っていたのであるが、ある時に定番としていたサイトにいたくなくなる出来事があり、定額制のサイトにいってみたのである。

なぜそこに行ったか?というと理由はかんたんで実はこういうことを始めた時に一番最初にお世話になったサイトだからなのであった。

しかし、待てど暮らせど何も来ない。

「こんなにも違うものか?」と思った時に私が始めたのはサイト内ブログであった。

そうした相手がいない時には純粋にそうした場に書き込みしていたのであるが、その時はステディがいたので、正直にその恋愛物語を書いていた。

「でも良ければセフレで~」
これはサイトを変えても変わりなかったのである。

そんなだったのであるが、目的とは違うお相手からメールがきてしまうことになるのだ。

つづく

バブル期に弾けていた女~その11

彼女は完全にグロッキーであった。
それは見て取れたのである。

ただ私は手を緩めなかったのである。
彼女をお姫様抱っこするとベッドに仰向けに横たわらせた。

私もベッドに乗ると彼女の足首を持って高く上げ、その中心部にぺニスを突き立てたのであった。

彼女からは悲鳴に近い声が上がった。
私はお構い無しにピストン運動を繰り返したのであった。

過ぎたるは及ばざるがごとし、という言葉がある。

男というのは射精をしてしまえばそのトーンは一気に沈む。しかし、女性というのは逝ってもそうかんたんには落ちてはいかないようなものであるらしい。

どころか、まだまだ深遠な部分に到達していくということがあるようだ。そしてそれは苦痛にさえ繋がるらしい。だから逝き顔は辛そうで、どんなにいい女でも醜く見えたりもする。

実はそのことは当時のステディで経験していた。
連続して逝かせた上でくたっとなってから尚もまたインサートして続けた結果、ステディは目を見開きすごく怖い顔をして気を失ったのであった。

私はこの女性に同じようになるものなのか試してみた。高速ピストンを数分続けた。その間、絶叫が続き、結果目を見開いて気を失ったのであった。

口からはよだれが垂れ続けていたが、私は尚も腰を振り続けた。

恋愛感情を抜きにすれば、こうまでも棒のように自らのぺニスが働くのだな、と実感した。

あとは刺激で逝くしかない。
その点男は物理的に逝ける動物なのだ。
単純でいい。

私は角度を変えて感じる部分に刺激を与えた。
そして、あっさりと果てたのであった。

彼女と自らの陰部の「汚れ」を拭き取り、しばらく昼寝をした。

夜には帰らないといけない。
ホテルを出たのはサービスタイムぎりぎり。彼女を駅に送り、私は高速を飛ばした。

「やり過ぎたかな?」と思ったのであるが、そうではなかったらしい。会社に戻るまでに何通も彼女から「また会いたい」「もっとセックスしたい」とのメールが入っていた。

いやいや、鍛えていた時期ではあったが、さすがに腰が痛かった。

明日からスクワットの数を増やさないと…と思った。

当時で言えばいいセックスフレンドができた…と思ったのだよね。

つづく

ウソのプロフィールを書いていた女~その6

そう思って、ステディとの会話をメールで終えた。
最後にはお決まりのように「おやすみなさい。大好き」と入れてね。

それからサイトに行ってみた。
それまで一応の経験はあったからサイトに書かれていることの想像もついたのであった。

たぶん、いや、間違いなく表面的な礼と別れの言葉が書かれているものと思っていたのである。儀礼的にね。

一期一会という言葉がある。
とても素晴らしい言葉であると思うのであるが、如何にサイトの出会いとはいえ、そうした別れのメールに対してこちらもきちんとしたお答えをして感謝の意を伝えるというのが礼儀だと思っている。

私はそんな妄想をしながらもサイメを開けた。
しかし、その反応たるや私の予想を裏切ったのであった。

お付き合いして頂けませんか?

そんな出だしで始まっていたサイメはかなり長文であった。

そこにはかなり思いが書かれていた。
その結びには「これまでお会いした男性と…」ということも書かれていた。

会った時にこれまで誰とも会ったことはない、と言っていたが、プロフィールに続いて、またウソを言っているのか?と思ったのであった。

純粋と言えば純粋なのであろう。
没頭すると前言すら忘れてしまうのかもしれない。
誠に申し訳ないがあまり頭はよろしくはないのであろうな…と思ったのである。
狡猾さというのは悪い意味で使われるが、生きていくには重要なファクターなのである。それが見えないというのは少し抜けているのかな?という判断を私はするのだ。ウソをついてはいるが中途半端なわけである。

私はそれを性善説で捉えた。
そうした思いはあったとしても純粋ということで捉えたということなのさ。

私はそれに長文で応えた。

良くなかったのはセフレになって欲しい、とはっきりと言えなかったところにある。

次のアポは彼女が一人になれる夜、年明けになるのであった。

つづく。

なんでその線で行こうとするのか?

一般人ですごくいい男がいたとしよう。
私のような人並みかそれ以下の男からするととてもうらやましいのである。

昨日か?書いたが、男が上を目指すトリガーとして女はつきものだと思っているのだが、こうした人は自然と女が寄ってくるので、その部分においては活力が生まれないのではないだろうか?と思ってしまう…というくらいに仕事ができない、いや、人の心が掴めないというのも何例も見てきている。努力をするファクターが一つ欠けているのではないのだろうか?と思わざるを得ないのである。

むろん、見た目良くてもそのあたりのことも完璧にこなしている男もいる。
その対象には羨ましさを抱いてはならない。
おそらくは見た目に中身を伴わせようと相応の努力をしているからなのである。そこは羨望よりも尊敬に値するというものなのである。

私のような月並みかそれ以下な奴が恋愛なんぞをした日には、とにかく一生懸命お相手に対してするしかない。

それが女をつけ上がらせる原因となることもある、という経験もしているのであるが、そうじゃない場合…つまり自らが慣れないくらい愛され、ついには見た目までも褒められたりするような状態になったとしよう。

勘違いするのである。
一番近しいと思う存在に褒められたりすると本当に勘違いする。
私が単純、いや、あえて純粋と表現したいのであるがそんな人間だから、なのかもしれない。

ステディから日々見た目を褒められた、としよう。
豚もおだてりゃ木に登るがごとくに私も高いところに昇る。

そうするとだ、過去の暗い女性経験なんて忘れてしまったかのように「俺はいい男」気分になるのさ。

もともと、そんな存在ではないから、そしてステディをハントできたのもその線ではなくて「笑い」、つまりは「楽しい人」であったにも拘わらず、急にニヒルになってみたりするのである。

とたんに努力しなくなる。
アホだね。

自らの良さって何か?と言えば道化を演じてでも笑いを取る、つまりは人を楽しませることが本分ではなかったのであろうか?そのために努力した結果?経過?が今の自分でありたい。

なのに…ステディにはカッコつけてしまうのだね。
ちょっとニヒルに。気持ち悪いだろ?

ちゃんと意識しないといけないと思うのさ。
何故ステディが私のことを好きになり、好きでいてくれることを。

だから自らの理想は横に置きつつ、ステディをいつも笑顔にさせないといけない。

それが私ができることだからね。

甘えてはならない、ということだね。

低姿勢、低依存、低リスク、低燃費?

最近の若い女性が男性に求めることらしい。

私が若い時、というかそれ以前から言われていたのは三高(身長、学歴、収入)であるから、だいぶ変わってきたと言えるかもしれないね。

以前にも書いたと思うが、「女性にモテたい」とまでは言わないまでも「女性に求められたい」という必要条件としていろいろと頑張ってこれたところがあると思う。

身長というのはDNAの問題もあるので天命に任せたところもあるのであるが他の2つを実現しようとしたのは他でもない、「女性」がトリガーとなっているのである。

そうした社会的地位については不倫という関係に於いてはあまり関係がないのではないか?ということを先日も書いた。それは実生活とは一線を引いた関係であるからこそ言えるものであって、私がそれを意識してきた以上、女性としても深層心理の中でそれを求めてきたところがあるのではないかな?とも思ってしまったりもするのだ。

それにしても若い女性の理想というものもネガティブとまで言わないもののディフェンシブな感じがするよね。「低」がついてしまうあたりが。

「低姿勢」
見た目考え方謙虚に…というところなのであろう。しかし、捉え方によっては「私に膝まずく男」ということか(笑)?

「低依存」
頼らない男ということなんだろうけど、これまた捉え方によっては当事者間においては家事を任せず、分担して?いや、主となってやる男ということなのかもしれない。

「低リスク」
危ないことに手を出さないということなんだろうね。ギャンブルとかハイリスクハイリターンな投資とか。男女間に於いては浮気しないってことかな?

「低燃費」
質素倹約ということなのであろう。背伸びした生活しない…と言ったような。しかし、そうは言っても「車買うくらいなら私にお金かけて」という自分だけは別物的な下りが付随されるような気がしてならない。

というコメントをつけてしまうくらいに三高を目指してきた男としては容認しがたい内容なのである。

だって面白くないだろう?こんな男、と思ってしまうのだ。

逆に若い男性が抱く理想の女性に「高所得」というのが多くなっているという。
そんなの髪結いの亭主、ヒモじゃん、と思ってしまうのである。

しかし、トレンドというものは若者から始まるのも事実。そうした風潮に抵抗したくなること自体が歳を取ったということなんだよね。

最近新しい女性としていないようだけど

先日、このブログの読者さんとやり取りをしていて「最近新しい女性とセックスしていないようだけど、ブログのネタは枯渇しない?」と言われてしまったのである。

咄嗟に回答したのは「まだまだネタはあるから大丈夫」だったのであるが、これは回答としては誤りであったのである。

正解は「ブログを書くためにセフレを作っているわけではないので…」であったのだ。

そう、このブログでさえ目的ではなく手段でしかない。しかし、このブログを楽しみにしてくれている読者さんに対しての回答としては正解であったのかもしれないね。

男なんてスケベなもので私も例外ではないからステディ以外の女性とセックスしたくないわけがない。興味本位という意味に於いては当然それはある。

しかし、若くはないので身体をもて余すなんてこともない。興味本位だけでするとお相手に失礼をしてしまう可能性がある。

男も気持ちと身体は連動しているので好意を持たない限り、自らの快楽だけを求めてしまう。そんなものを求めるならば風俗に行けばいいと思うのだ。金を対価にするならば自らの快楽だけを求めてもいいのではないか?と思う。

目的意識を持って、かつそれを試行させてくれるお相手に感謝しない限りセフレなど作ってはいけないと思っている。

だから今…いや、将来に亘ってなのだがセフレは作るつもりはない。

のろけるようであるが、今ステディに本当に愛されていると思うのだ。

それが自分に満足感を与えてくれていると思っているのだ。

男の比較~旦那か他の男か

たぶん比較されているのだろうな…という場面は多々ある。

セフレなら当たり前だよね。既婚者で婚外恋愛を望んだはいいけど、もの足りなかったのか?理由はさまざまであろうが私をセフレとしたのであるから。

それで私で事足りないとあらばすぐにお別れということになるのだろうし、得るものがあれば続く、というものであろう。ジャッジは早い。

この比較されているな、と思うのはセフレに於いては私にとって好都合である。
さまざまな女性のタイプがあるようにそのお相手の男性もまた然りであるからだ。
そしてその比較論を口に出してくれた方が助かる。
「こうしたらいい」「こうしたら悪い」という考えがわかるからだ。

セフレとは女性経験が少ない私にとってはサンプリングに過ぎず、無理に好かれようとする対象ではない。
だから私に対する意見を言って欲しいのであって、その比較対象となる男性がいるとわかりやすいというものである。

これが恋愛相手となると違ってくるのである。
もし、比較するとすれば生活に直面する配偶者なんだろう。
これはどうしても好きになってもらわないといけない立場としては比較してもらった方がとりあえずは楽ということになる。

女性の場合、配偶者との男女関係だけでなく信頼関係までも欠落して初めて不倫に走るものであるだろうから。普通はね。

しかし、付き合いも長くなってくると他の男性と比較してくることとなる。これはきっと私だけじゃないと思うのであるが、彼女の恋愛対象にはなり得ないだろうなと思われるような男性でなくとも不快な思いをする現象である。

これはもともと男性が相対評価をする生き物であるからであろう。自らがそれをするだけに逆にされると弱いのである。

比較対象が今でも恋愛対象になるような男性や過去の恋愛相手、そしてついには配偶者のほんの一部となりだす…むろん彼らの方が評価が上、となるといよいよ終局ということになるのだろうね。

絶対評価をすると言われる女性が相対評価をし始めることは気持ちが離れていっているということなんだろうね。