アダルトビデオ好きな女②
しかし、実際に会って一戦を交える前には考えてしまうところがあった。
あの激しいプレイを自らができるのであろうか?とね。
そして一戦を交えてみると…意外にも普通のプレイでいいのであった。
何か特別なものを求められることもなかったのである。
私の中で女性は「理想を求める」ところがあるような気がしていた。妙齢な女性も若いアイドルに熱を上げるみたいなものがあるように思っていた。
しかし、よくよく考えればいつまでも若い女性を求めるのは男の方であるし、夢と現実が倒錯してしまって遂には犯罪まで犯すのが男なわけである。
確かに女性も夢を追い求める部分はあるのであろうが、一方で現実主義なのは女性の方なのである。
一般論であるが、よく自分のこともわかっているし、実際にお付き合いする異性のことも冷静に判断できるのは女性なのである。そこは決して倒錯しない。
だから汚いデブ…とかでなく、普通であればきれいな顔をしていなくても、筋骨隆々じゃなくてもいいのである。まぁ、この歳になると「普通」を保つのもなかなか大変なのではあるけど(笑)
プレイにしたって高速ピストンを何分も続けられるわけがないのである。スローセックスとは言わないが(実際に試してみてあれはあまり性に合わない)、普通にこなせればいいと思っている。
そもそもお相手となるAV好きな女性がこれまでAV男優のような男性とばかりお付き合いしたとは思えない。
だから普通でいいと思うのである。
私の女性経験の人数が多いかどうかはわからない。
一応、平均人数よりは多いようである。
だから言うが普通な見た目とプレイでもそこそこ女性には出会え、お付き合いできているのである。
だからこういうことをしてみたいと思う男性がこのブログを見たなら「打って出ればいい」と思うけどね。
もちろん内面的には自信があるという人だよ。女性はそこには厳しいと思うな。
私もそこでフラレた口ではあるからね(笑)
全てに於いて努力した末なら行けばいいと思うよね。
おしまい
もうすぐバレンタインデー
あと1週間もすればバレンタインデーなのである。
前にもこの時期にバレンタインデーの話題を書いたと思う。
ちょっとストーカーチックな女性に連絡先も含めて渡されたような話を書いたかな。
このバレンタインデーにチョコレートがいくつ来るのか?というのは実は楽しみでもある。
私が女性から頂くのは概ね十数個である。年々少しずつ増えている感じである。
もちろんそのほとんどは「義理」であるのだが、この「義理」の数こそが重要ではないのかな?とも思っている。
義理チョコを渡す女性の心理は如何なものかと想像すると「世話になっている」「利害関係を持っていた方が都合いい」「反対給付(ホワイトデー)が期待できる」などであろうが、それでも男としての所作がまったくなっていない者には渡さないのではないか?と思うのである。昔と違って周囲の男性に渡さないといけない…のような強迫観念のようなものはない時代だからね。
これはあくまでも自らの中での比較であるのだが、こうしたことを始めてからの方がやはり「もらえる」のである。
清潔感、スタイル、ファッションなど外見に気を使うのはもちろんのことだが、女性との会話についても妙な引け目がなくできるようになっていく。
たまには下ネタも言うがイヤらしくしない。
そして、何より余裕を持っているということなんだろうと思う。異性に関しては特にね。
これはいわゆる「安パイ」とは全然違うと思うのだね。そういう意味ではかつての私はこの「安パイ」に該当したのかもしれない。だから大してもらえなかったのだろうね。
ちょっとどこかで遊んでる雰囲気がいいのだろうね。自らに被害が及ばない程度に。
そう、「義理チョコ」は渡して勘違いされるような男性には渡さないと思うのである。
…とまぁ、義理チョコがもらえる理由について書いたが、その個数は自らが今年も「遊べるか?」のバロメーターなんだよね。
さて、いくつ来るかな(笑)?
アダルトビデオ好きな女①
私はあまりアダルトビデオなるものを見ない。
たまに自慰行為をすることはあるが、これをおかずとしたことはなく、時のステディの顔写真をそれとすることがほとんどなのである。
アダルトビデオを見ない理由というのは2つあって、一つは他人のしているところを見て何が楽しいんだろう?と思うのである。
人それぞれに性癖というのはあって他人のしているところを見て興奮する人がいてもおかしくはないのだが、私にはそれがないのである。
もう一つは自らと男優さんとの「比較」である。
中には汚いデブもいるが、筋骨隆々でマスクも良く、しかもモザイクがいっそうそれを思わせてしまうところがあるのであろうが立派なモノをお持ちのように思えるわけである。
そういう男性だからこそ女性がセックスに興じられるのかな?という劣等感を覚えるためにそんなものを見るという行為は私にはとうてい理解ができないのである。
そしてもっと言うと数少ないと思われる「汚いデブ」さえも腰を激しく振り、そして女性が感じていくのを見ると「こんなヤツにさえ負けているのか?」と思えてきてしまう自分がいるのである。
だから私は怖いもの見たさ、くらいの時じゃないと見ないし、それらを観賞することが「趣味」くらいに言う男性の気持ちはまったく理解できないのである。
これらは男性目線の話である。
「アダルトビデオを見るのが好き」
と言う女性がいたとしよう。
いや、意外と多いのである。
それを単に欲求不満と捉えることができるであろうか?仮にそうだとしても抱かれる対象をあの男優さんたち、と言う妄想を抱く女性とこれから一戦を交えようなんていうのはかなりリスキーではないのではないだろうか?
まぁ見た目については「汚いデブもいる」から…いや、そんなことはない。汚いデブの出演するアダルトビデオなんて女性は見るはずもないのである。これまた性癖があるので汚いデブに犯されることを望む女性も中にはいるかもしれない。しかし、それはかなりレア物と思わないといけないと思うのだ。
だから…こういうことをサイメで話す女性を極端に警戒した。
写メ交換で断られない…しかし、やはりテクニックという点であの激しいプレイができるのか?と言われたら「ちょっと無理」と思うのである。
しかし、そういう話までできた女性をあきらめきれるか?というとその勇気もないのである。
だから…何とかセックスにこぎつけられるように話を持っていく。
ただ…そこで「俺もそれくらいのテクはあるさ」とか「イカせた女は多いよ」なんて嘘は言えない。
だってステディであろうがセフレであろうが、せっかくお付き合いするならば長くお付き合いしたいからね。
嘘なんてすぐにバレるのさ…
つづく
候補が外れて…と言ってもセフレの話ですが…⑥
ここで少しだけインターバルを開ける。
女性の身体は熱しにくく冷めにくい。
メールの段階では「熱しにくい」と言っていたのだが、私としては「普通かな?」と思っていた。
その前の2名がどうか?はわからないが、今の彼氏さんはこの女性よりも年下らしく30代。
まだまだ血気盛んがゆえに前戯を怠るのかな?とも思ったのであった。
女性の荒くなっていた息が完全に落ち着いてから再起動させることとした。
数分間お互いに仰向けになり、私が腕枕をしていても女性の方から動く気配はなかった。このあたりも男慣れしていない証左であろう。
これが男性経験がそこそこあれば女性の方から愛撫を仕掛けてくるものであろうが、それはなかった。
ゆくゆくそういうことも教える必要があるのかな?とも思ったのである。
私はもう一度、十分に感じることがわかった胸を指先と舌で愛撫し始めた。吐息は次第に荒くなり、声が漏れ始め大きくなっていく。
私はより感じることがわかっていた右の乳首から口を離し、左の胸同様にそちらも指で弾くように触れた。
ゆっくりと体勢を変えて私の口が目指したのは女性の一番感じる部分であった。手の動きはそのままに私は口をそこにあてた。
すでに準備万端であるそこは先ほどの指での愛撫もあり、周囲の陰毛までをも濡らしていた。
私はその湿気を舐めとるかのように舌を使った。
周囲を玩ぶだけで女性は声をあげていた。相当感じるのであろう。
そして私が一番感じるところに舌をあてて軽く動かすとあっという間に勝負はついてしまった。
今度は「逝く…」という言葉とともに。
私は「もうそろそろいいかな?」とベッドサイドのゴム製品に手をかけたのであった。
つづく
めんどくさいのは当たり前
このブログをご覧になられている方と何人かメール交換していてときどき意見をやりとりしている。
女性の方が多いのであるが何人か男性もいてだいたい長くメールをしているのは私と同じような境遇?の方なのだが、中にはこれから不倫相手を見つけたいとする人もいる。
41歳とのことであるから概ね私がこういうことを始めた年齢である。
仕事が順調でいろいろと余裕ができてきて遊びたくなる年齢なのかもしれない。
私もその当時このブログのようなものを見たら同じような心境になっていたのかもしれないのだが、どうやら彼が躊躇しているのは「めんどくさいもの」ととらえているようなのである。
まぁ確かにめんどくさいのであるね。
お相手に送るラインやメールは多い時だと50通以上。
朝起きたら筋トレはするし、シャワー浴びて全身にオイル塗るし、顔は乳液でマッサージし、定量のマカや亜鉛を飲む。
たまには歯のホワイトニングもするし、ムダ毛の処理もする。
週末は時間があればジムに行きトレーニングをする。
そして先日のように女性に呼び出されてもなるべく都合を合わせてそこに向かったりもするのである。
清潔感、体力、精力、時間…どれも整えておかないといけない。
いや、いけない…という訳ではないが、それくらいのことができていないと女性から受け入れられないのではないかな?と思っている。
内面的なものはできていて当たり前、遊ぶ金くらい持っていて当たり前。それらに加えてある程度の見た目とパフォーマンスがないとニーズもないような気がするんだよね。
もちろん何もせずとも備わっていると自負できるのであればそれでいいのであろうが、年齢的に何もしなければ全てが確実に落ちていくから。
私なんて保持するのに精一杯。
めんどくさくても意識し、やらないとすぐにポンコツになるんだよね…
キープくん
この週末はあまり暇ではなかったのであるが、年始に誘ってもらった過去セフさんが「会いたい」というのでほんの短時間であるが逢瀬を過ごしてきた。
実のところ、この短時間…というのはあまり好きではない。しかし、それでも…というならば致し方なしなのである。
土曜日の午後2時前に過去から待ち合わせ場所にしていたところで出会い、私の車に乗りかえてホテルに向かう。5時にはここに戻ってくることになるので、正味2時間半と言ったところか?
この時期は外遊びがしにくいこともあるのか?ホテルが満室であることもしばしば。だから近くでいくつかホテルが建ち並ぶ地区に自然と車を走らせる。
前日に睡眠は十分取っていたつもりであるが、この歳になると急なお誘いはちょっと自信がない。
気休めに過ぎないのであるが来る前にコンビニでマカ剤を飲んでしまった。
かつてしていたように風呂を入れている間にソファーでいちゃついてお互いを昂らせ、風呂の中で前戯をして、ベッドに突入。こうしてインスタンスにモノゴトを進めてもこの短時間では2回戦までで3回目の復活を前戯しながら待ったがどうにもこうにも兆しが見えないので指で誤魔化させてもらった。
ホテルを出る前にシャワーを浴びたがここで復活しかけ…「後悔先に立たず」ではなく「後から勃って後悔する」という感じだったね。
元セフさんは満足だったようだからそれは何よりだよね。
こうして呼び出すと出てくる男だからさしずめ元セフさんからすればキープくんなんだろうね。
まぁ、それでもいいけど…
向こうに新しいセフレができるまでの男かな。
もう呼び出されないかもしれないし、また呼び出されるかもしれない。
相手次第だね。
候補が外れて…と言ってもセフレの話ですが…⑤
男性が女性から乳首を愛撫されることがある。
私もしてもらうのは好きだ。
しかし、これが下半身の焦燥感を生むことはあっても逝くという現象にはならない。
一方で女性はこれで逝くこともある…かつての女性から言わせるとこれは中逝きに近いという。
現にその後の経験でもインサート中に乳首を指で転がすと中逝きする女性には何人か出会っている。
ならばこの後に展開されるクリトリスへの愛撫よりも今回の「目的」を果たすならばこの乳首への愛撫はきちんとしなければならない。
愛撫の仕方もどうしたら一番感じるかを見ながらする。今後この女性と何度かベッドを共にし、楽しむのであればそれは当然のことであると思う。
そしてそれは左右で違うことも多い。
左は舌先で転がすようにした方がいいが右は吸い付くようにした方がいい…というのがこの女性への愛撫方法であった。
片方は口で愛撫するがもう一方は指で愛撫する。
この時の指の動きは口での愛撫を参考にする。
私はその時下半身を撫でていた右手でパンティをずらし、感じる部分に中指を沿わせてみた。
そこは今でも十分に私を受け入れられるほどに水分で溢れていた。
何度かホールの周りをなぞった末に中でも一番感じるところで指を止め、そこで回したり振動を与えてみたりした。
「ダメ…もう…」
30秒もしないうちに女性はそう言った。
逝くという言葉は口から出なかったが、のけ反って硬直した身体が昇天したことを物語っていた。
つづく
ツボを知ってるということ。
好きな人とのセックスはしているだけで楽しいのだけれど、やはりお互いのことを知り、どこをどうしたら感じるのかをわかっている方がいい。
前カノさんの時は私は彼女の身体のことがよくわかっていたと思う。超がつくほどの敏感な身体であったし、ある意味「自在に」昇天まで導くことができたのでプロセスのバリエーションも豊富であったのである。
一方で彼女が私の身体のことをわかっていたかというとそうではなかった。
それは彼女の努力不足かというとそうとも言えないところもある。
なぜなら二人のセックスの一連の動作が私が攻めるということに終始していたし、普段勝ち気な彼女がベッドで乱れていく様を見ていたいとする私の征服欲を満たす行為になっていたからであるからだ。
それに女性がする愛撫として代表的なフェラが好きではなかったし、だからこそあまり上手くもなかった。だんだんとしてもらわないようになっていったのだね。
その点で言うとセフレさんたち、特に長くお付き合いした方々について言うと基本的に出会うのがセックスであるから、セックスで「ギブアンドテイク」が成立していたように思う。
こちらの愛撫に対して返してくれるような女性とがセフレとして長続きしたと思う。
逆に「男はしたいものだからさせてあげている」気分の女性とはあまり長くはなかった。
こう言ったらなんだが、それが彼氏さんとの「不仲」にもなっているのかな?なんても思ったりもした。大きなお世話だから注意したことはないけどね。
意外だったのは今カノさんなのである。
付き合い初めは明らかに経験不足であったし、私自身も「他は全ていいけどセックスだけは合わないな」と思っていた。
しかし、そこから本当に一生懸命頑張ってくれて私のツボがどこにあるのかを本当にわかってくれているのである。
今では私にとっての一番のエロ女は今カノさん…と言えるんだよね。セックスしていて本当に楽しいんだよね。
候補が外れて…と言ってもセフレの話ですが…(自分が悪いのではとの思いを受けて)④
女性を下着姿にすると…震えていた。
彼氏さんがいるとは言いながらこういうシーンには慣れていないのであろう。
もう一度キスをして上半身を愛撫し始める。
耳やうなじ、顎のライン、首…舌を這わせたり、リップしたりすると声が漏れた。
別に感度が悪いというわけでもなさそうだ。
そのまま鎖骨のあたり、腕とリップを続け、指を入念に舐めるといっそう声は大きくなっていった。
しかし、まだ震えている感じがする。
女性の身体をうつ伏せにして手のひらで撫でながら、背中に舌を這わせた。パンティにかかる尾てい骨のあたりを入念にするとビクッと反応した。
それと共に震えも止まった気がした。
そのまま尾てい骨のあたりを舐めて反応を楽しみながら上目遣いでブラのホックを外した。
こういうシーンを思い描いていたからこそなのであろうが、下着は上下ともセクシーな赤のものであった。
今度は仰向けにしてブラを取る。
小ぶりな乳房の真ん中には少し大きめな乳輪の中に天を向いている乳首があった。
左の乳輪の周りから愛撫を始めた。
少し乳房を押すくらいに強めに舌を当ててみる。
乳房を揉むという行為はあまり効果はないと経験上思っているのであるが、こうして舌を強めに当てて乳腺を刺激するのは悪くないかな?と思っている。
時々、舌の端が乳輪に触れるとヒクっと反応するのだから胸は感じるのであろう。
右手で頭を撫でながら左手は下半身に伸ばし、腿をやさしく撫でていた。
いよいよ乳輪から乳首を攻めていく。
声はいっそう大きくなっていった。
もう女性の緊張感がないのは感じているということと共にされるということに堪忍したことなのであろう。コンディションとしては良い方向に行っていた。
かつてある女性から「乳首とヴァギナは繋がっている」と聞いたことがある。
確かにそれはその後の経験で思わされたことは何度もあった。
だから…乳首は入念に愛撫するようにしている。
つづく
セックス依存症②
私が経験した女性のなかにセックス依存性ではないかな?という人がいなかったわけではない。
ある女性はセックスをすることを「恋愛」と呼んでいたし、先日も書いたが出会ったその日にホテルに行った人は何人もいる。
こうした人たちの中にはセックスをするということが人から受ける最大の愛情表現であり、男からそれを求められることが最大の悦びと思っていたのではないかな?と思われるフシがあるのである。
まだこういう出会いに慣れていない頃、メールの会話でさえ「会うならばセックスしたい(で、なければ会う意味がない)」と言ってきた女性もいた。そして会って実際にセックスをしたのであるが、その後サイトに残る(向こうも残っていたのだが、笑)私のことを詰り、一度の逢瀬で別れることとなった。
私は初めて会った時のそこに至る所作や最中もやや完璧に思ったことで、初めて「セックスフレンド」と呼べる間柄が作れるかな?と思っていただけに当時「残念!」と思ったのであるが、基本的に女性とはそういう生き物…結局は「セックスだけに縛られない」ものと思うようにしてきたところがあるのだ。
その後、いつまでもセフレが長続きしないのはそのあたりにあるような気がしたんだよね。
このテレホン人生相談に出て来た女性の話…2、3年で7人(相談者を含めると8人)の男性と逢瀬を繰り返した…そのことに訝しげな顔をしてみたりしたのだが、自らの行状を考えればごくごく普通なのである。
女性だから…異常と思っているところがないだろうか?男性ならばセックス依存「性」などと病的な表現を使うであろうか?
その女性をセックス依存性とするならば、私も間違いなくその域に入るのである。
どうなのかな?
その心の病気は小さい頃に愛情を受けなかったことが原因という。
私は両親から十分な愛情を受け、教育を施されてきたと信じてきたが、実は歪曲して捉えていたのかもね。
そう…私こそがセックス依存性なんだろうな…と思う。
悪い癖が今も出てきているよな…
おしまい
セックス依存症①
私は仕事で車を使うことが多い。
あまり運転は得意ではないが、それがないと仕事にならないため致し方ないのだ。
車の中ではラジオが流れている。決まってAMラジオである。これは新入社員の頃、先輩に示唆されてからずっとそうなのだ。
なぜAMか?というと仕事中だから…とのことであった。
リラックスするためにたまには耳障りの良い音楽を聴くのもいい…しかし、仕事中だから耳から情報を入れろというのである。
ニュース、ローカルな情報、天候…
客先で話題にする世相なんて評論家の話を真似れば、その程度で会話は成り立つという教えで私は今もそれを守っている。
その中でも生活に役立っているのはテレホン人生相談なのである。法律的なことも出てくるので仕事にも役立つものもある。
あれを茶番と言う人もいるが、もしフィクションとしても良くできあがった作品であると思う。
先週の放送で「不倫関係にあったがお互い離婚したので結婚を考えているのだが、彼女が2、3年の間に自ら以外に7人の男性と肉体関係があったのでどうも信用できない。どうしたらいいだろう」という相談があった。
回答者の弁護士の先生は「結婚という法的整理だけを考えず、同棲や近所に住むようなことを考えてみては?」という優しい答えであったが、これで済むはずもない。
すかさずパーソナリティのカトウタイゾウ先生がそこに口を挟む。
「それはセックス依存性ですね」
セックス依存性とは幼少期の両親から受けた心因的トラブルなどが原因で、セックスをされることが一番愛情を受けていると思い、それを求められたら応じてしまう現象らしい。
カトウタイゾウ先生は「セックス依存性を乗り越えられるような大きな愛情を注ぐことが必要」としながらも、はっきりとは言わないものの「治らないもの」として弁護士先生の回答を担保するような回答をしてみせたのであった。実に素晴らしい展開である。
私が経験した女性の中でもここに思いあたる人がいなかったわけではない。
つづく
仲の良い人に不倫関係であることを話す
不倫という関係というのは2人の間でだけ正当化されているものであって、他には誰も認めてくれないものだということはよく認識しておかないといけないと思う。
私も勘違いした時期があって、それこそ当人たちの論理を第三者に押しつけようとした時期があったが不快感を持たれるだけだ。
この不快感というのは二通りあって、本当に倫理に反することをしているから…と言うのと、先日社内不倫の話を書いたがそこに出した「やっかみ」というのがある。もちろん、そのmixであるとかやっかみなんだけど表向き「倫理に反する」とするものもある。
斯様にして不倫をしていることなど第三者に話さない方がいい。(不倫ブログを書いてる私が言うと説得力がないが…)
特に仲の良い人には話さない方がいいと思うのである。
特に女性の場合には配偶者との間になんら問題がなければ、そうそう不倫に走るというものでもないと考えている。
そして問題があっても不倫に走らない、または走りたくても走れない人も数多くいる。
そうした不倫していない、配偶者に不満を持った人たちの前で自らの不倫の話をしたらどうだろう?
これは男性の「できもしないやっかみ」というのとはちょっと?かなり?違う、劣等感にも似たものを持たせてしまうと思うんだよね。
今までの関係に皹が入るようなことではないかな?と思うのである。
もし、入らないくらいの友情関係だったとしよう。
さすれば今度は不倫相手との関係に疑問を持った時にその相談をすれば、必要以上に味方をしてくれ、不倫相手との関係にダメージを与えるような意見をしてくれるのである。
だから…仲の良い、近しい人には特に話さない方がお互いのためだと思うんだよね。
そう、不倫関係なんていうのはテメェら二人で楽しんでりゃいいものなのさ。
そう、考えているけどね。
不倫相手と行くランチ
デートは昼が多いか夜が多いかというと圧倒的に昼間が多い。
私のお相手となる女性はお子さんが未成年という人が多かったので夜はなかなか出られない。
不倫という関係であるからして人目を忍んでホテルにしけこむというのがセオリーなのかもしれないが、それでは「ただやるだけ」で面白くもない。
やはり異性の友達(と見られてないと思うが)という体でランチくらいしてからホテルに行きたい。
ラブホテルは食事が充実しているところが少ないからね。特にこの地に於いては。
ランチと言うと気取った感じがするが、要するに昼飯なのだ。
私も当初はちょっとしたレストランなんぞに行っていたのであるが、専業主婦なら昼は家で、働いている女性も弁当を持っていっているケースが多く、そもそも外食というのが少ない。
そしてたまに外食をする茶話会のような時はコジャレたレストランや喫茶店のようなところとなるし、一人の時もカフェのようなところに入ってしまうという。
よくよく聞いてみると「あそこのラーメン屋に行ってみたかった」「本当は日本ソバが好き」「一度吉野家に行ってみたいと思っていた」など、こちらが気張っていたのとは別に意外と庶民的な場所でいいことがわかる。
私の場合はこれまでのステディが「なんでも美味しく食べられる」人であったから本当に助かるんだよね。これまでで一番多いのはラーメン屋かな?おかげでずいぶん詳しくなったものだ。
とは言うものの…たまにはちょっと高級なものも連れて行ってあげないといけないね。
冷静にセックスという行為ができるようになった時
これはいつからかな?と思うと今から8年くらい前かな?と思う。
前カノとお付き合いしながらもバレないように浮気をして2年くらい…かな?
それまでは前カノの後に会った女性でも…初めて抱くことになったらやたらと興奮していた。がむしゃらな感じだよね。
新しい女を抱くというのは今でも興奮に値するのであるが、当時と今の違いと言えば明らかなる余裕の差があるのである。
そう考えると、セックスに巧拙があるとすればそれは経験数に比例すると思っているのであるが、経験人数もまた大きく関係すると思っているのだね。
そうじゃないと新しい女性を抱くという「有事」に堪えられないと思うんだよね。
先ずを持って、裸の女性を目の前にして「平常心を保つ」と言うのはかなり難しいことであった。
それを乗り越えない限りは次に移行することなく、事を終えるということになる。
性癖とまではいかないが、女性の感じ方は千差万別なのは今も思うところなのであるが、その「最大公約数」のようなものがわかり始めたのがこの頃だったと思う。
そう、そんな観察ができて初めて基礎データの積み上げが頭の中でできるのであるし、そこからの派生も考えられるというものなのだよね。
冷静さを保つということは、結果的には「セックスをリードしきる」ということになる。
これは私が思っていた通りのことであるが、ここで経験人数を上げたことにより、ステディとのセックスも当然良くなっていったというところなのだよね。
当時のステディは自らのフィニッシュラインを過去の経験から知っていて、私もそれに従っていたのであるが、ちょうどこの頃、その過去の男とのパターンを用いずとも普通にフィニッシュラインに持っていくことができるようになったのである。
それがちょうどこの頃かな。
それはごくごく単純なことであったのだけど冷静にならないとそんなことさえ思いつかないんだよね。
私が前カノをイカせるということに快感を得てしまったこともあるが、このあたりを境に前カノが「マグロ」になっていったのはちょいと計算違いではあったのだけどね(笑)
でも…口説くまでもそうならベッドもまた女性との駆け引きだと思うんだ。
セックスをゲームや遊戯と考えれば、冷静な面を持ち合わせないと成り立たないような気がするんだよね。
不倫やセフレを作って何か良かったことがあるとすれば。
世間から後ろ指を指されるような不倫ということをしているのは、フィジカルもメンタルも今を満足するということが一番にあることは間違いない。
ただそれを続ける理由として、もうひとつあるとすればこの10年間で明らかに私が変わったということなのである。
先日、選民思想ということを書いたが、それは私にももちろんある。そして10年前には今よりももっとあった。
しかし、出会い系サイトという、かつては忌み嫌うほどの「低俗」なところに身を置き、そして約40人もの女性と身体を重ね、もっとたくさんの女性と出会い、そのうち2人の女性がステディとなるという「経験」をした時にそれまでの自らの視野がどれだけ狭かったのか?と思うのである。
私は商売上、万人に関わるので…選民思想を持ち、自らのもともと持つ感性で仕事をしていると端から見れば「殿様商売」くらいに見られていたのかもしれない…と今さらながらに思うのだ。
それは今、なくなったね。
気持ちがわかるというのは元来ある優しさとか慈しみとか言うことが一番のファクターではあると思う。それは育ちの部分によるよね。だから自らの近似値にある人にはそれを発揮できた。
しかし、私はそれに留まっていたのであるが、この10年でその振れ幅は大きくなった。人は上を見ることは多いのだけど、下を見ることはなるべくしないようにする。
それを根底から覆すこの10年だったと思う。あくまで自分を正当化してのことだけどね。
もうひとつ言うと10年前までの私は女性にからきし弱かった。
今もその傾向はあるのだし、そうでないと女性とのお付き合いも上手くはいかないと自覚しているのであるが、同じホモサピエンスであるが、人種よりもジェンダーの方がより「異なる種」と思っていたところがある。
異性という「よくわからないもの」に対して、どう接していいのか?がよくわからないままに過ごしてきたのである。それは女性と接する機会が少ない環境に育ってきたということに大いに関係する。
ちょうど男女雇用機会均等法が(当初は無理矢理感があったが)やっと浸透しはじめたところで私は仕事上でマネジメントをしなければならない時期にさしかかったのであった。
そこでジェンダーを感じ過ぎて、女性の部下を使いきれない…なんてことをしなかったのはこの経験にあると思うのだよね。
差別意識とは何かいわれのない理由で下に見るということであると思っているのであるが、そこに「よくわからないもの」という要素が加わった時に仕事で言うとパワハラをはたらいてしまったり、仕事を自らの理由としてセクハラをはたらいてしまったりするのであろうね。
こうして文字におこすと当たり前なことが意外にもできていないということは世間を見ても手元を見ても普通に横行しているのは明らかなんだよね。
それらの意味でもいい経験をさせてもらったと思っている。
過去形ではなく、もらっているという現在進行形でね。